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2007年02月28日

忘れられない努力をしてますか

忘れられない努力をしてますか

自分の若い頃の恋愛のことを思い出していました。

若い頃ってわざと書いてますが恋愛は若い頃だけではないよとの意味を含めたんです。
今でも心に残る素敵な女性を多く存じ上げてもいますし。

いつの時代も幾つになっても異性に興味を持ったり、
一歩すすんでいつまでも恋愛が出来るって素敵な事です。
当然家庭紛争になるような浮気心はいけませんが。

そんな若い頃の頃の恋愛を思い起こしてみると、
まめに懸命に自分を印象付ける、忘れられない努力をしてましたね。
それが時間であったり、物やお金であったり、労力であったり。

側に常にいて欲しいとか、
常にコンタクトを取っていたいとかの自分自身の思い入れもありますが、
相手にも如何なる時に忘れて欲しくない身勝手も大いに働いて。

人生を重ねてくると、
つい前を見ることよりも振り返る事の方が多くなって来た様に思います。
これが懐古主義というものなのでしょうね。

そんな中で数え切れないほどの多くの方々にお会いしてますが果たしてその方々に忘れられない努力はしてきたのでしょうか。

別にその事が事業に反映するとか、
私自身に恩恵が出てくるとかそんな打算ではなくて。

余りにも強いそんな意識が表面に出てくると厭らしい側面もありますが、
相手にも心地よくしかも懐にそっと余韻を残すような努力は大いにしても良かったのではと反省をしています。

世の中、いつまでも印象に残っている人っていますよね。
天性のそんな術を備えている人もいるのも事実ですが、
それだけではないように思います。

雰囲気であったり、言葉であったり、ちょっとしたしぐさであったり、
それとはない心遣いや配慮、
地味であっても何となく印象に残るファッションであったり持ち物であったり。

わざとらしくない行動もそうですよね、
「過ぎるは及ばざるが如し」、押し付けがましかったり、
鼻持ちならなかったり、わざとらしいと却って嫌なものです。

難しいですが、人の心を何となく引き付け、
ほのかな香りをいつまでも放てる術をしにつける価値はありそうです。

人生が広がるって素晴らしい事ですから、
又そこから新たな人生が始まること請け合いです。

私も今日からそんな事を思いながら人生を見つめ直します。
  


Posted by mister_kei0918 at 08:45Comments(0)

2007年02月27日

ピエロになることも

ピエロになることも

人間、楽しい事ばかりではありませんよね。
むしろ笑っていられない、寂しくて耐えられない、
苦境に立たされている、そんな時間のほうが長く感じるものです。

ある世界的な奉仕団体の重要な役職に「テールツイスター」という役職があります。
五役の一つですからそれだけ重要で大切な役目を背負っているんです。
それは会議の場を楽しい愉快な、
意義深いものにする為に演出や催し、行事を凝らす役目なんです。

ボランティアは精神的に時間的に、
或いは労力も幾らかゆとりがあって、
出来れば金銭的にもそうかもしれませんが、
楽しく気持ちよく施しが出来ないといけませんよね。

眉間にしわ寄せて、難しい顔をして何もゆとりのない人が苦しい思いをしながらするものではありません。そこでこんな役目の方が必要なんです。

みんなの心を和ませて、時にはおどけた格好をして笑いを誘ったりも。

そこで、小さい頃サーカスに出かけると必ずピエロの姿を見ました。
おどけて、ふざけて、飛んだりはねたり、
時には芸をしてわざと失敗して笑いを誘ったり。

でも、表情が止まったときの顔は決して笑顔ではありません。
私の見方では涙を流した、それはそれは寂しがり屋の表情に見えてました。
皆さんは如何だってでしょうか。

そこに伝えたいものを感じてました。
「辛いときや悲しいとき、苦しいときもこんなに表情を変えてみませんか、
おどけてみませんか、周りに笑顔を振りまいてみませんか、
そうすれば涙だって吹き飛んでしまいます」。

泥沼は一度足を踏む入れると、もがく程その深みにハマってしまうものです。
抜け出すのは冷静な判断と心の軽さを作り出す事ではないでしょうか。

この心の軽さこそ、
笑いや明るさの源泉であり重石の重さからひとまず抜け出す処方のように思います。

周りの家族や知人、
或いは大げさに考えなくても買い物に出かけたときに前にいる店員さんでもいいし、
レジの女性にでもふと思いついた一言の会話を交わしてみる、
思わぬ反応が返ってきて、つい心が浮き立ち、
小躍りするような気持ちになったりするものです。

時には涙を抱えたピエロであってもいいではありませんか。
涙は人をもっと強くします。
しっかり涙すると浄化作用だってあるんです。

涙に濡れた顔も可愛いものです。
時にはピエロのようにいつもと違うおどけた表情をして見ませんか。
また新たな自分の再発見に遭遇するかもしれません。

今日は私が提案し準備した大切な会を催します。
おどけたピエロになっていると思います。
だから失敗なんか恐れません、だって今日の私はピエロだから。
  


Posted by mister_kei0918 at 08:04Comments(0)

2007年02月26日

え、もう満開の桜?



え、もう満開の桜?

昨日、キャナルで家内と二人で映画を見て陽気に誘われて、
中洲の河畔を散歩しながら天神まで歩くことに。

夜の中洲のママさんたちの話や私の徘徊振りを自慢げに語りながら。

途中、福岡市中央区にある福岡市役所の広場の脇をエルガーラに向かって歩いてたら、
桜らしい花が見えたので近寄ってみると「寒緋桜」。

沖縄地方で一月末に満開になる桜のようです。
もう散り始めるのではと思われるぐらい満開状態です。
どちらかというと強い目の赤の桜、沖縄の色という感じでしょうか。

天神の散策を終え、
スーパーに寄りたいという家内に促され薬院の狭い路地を通る事になりました。

偶々存じ上げてる方の邸宅の庭を横目に見てたら、
一瞬に飛び込んできたのは真っ白に咲き誇る染井吉野?。
目を疑う程でした。え、こんなに早く桜の開花?

もう満開に近い状態です。
家内に確かめても間違いなく桜だといいます。
多分、私が見た一番の桜でしょう。温室だとか、
花屋さんだとかではないんですよ。

早くから春を満喫できて徳をした気分です。

今年最初の花見の予定は3月30日。
果たして大丈夫なんでしょうか。
そのときが果たして遅いのか、早いのか気になるところです。

また、こんなに早い桜の開花でいいのでしょうか。  


Posted by mister_kei0918 at 13:04Comments(0)

2007年02月26日

勇気を持って・頬を伝う涙

勇気を持って・頬を伝う涙

昨日は日韓合作映画「あなたを忘れない」を見てきたことは昨日書きましたが、
実は残念な事がありました。

明らかにマナー違反。

スクリーンで何度も「大きい声は慎みましょう」
「携帯はマナーモードか電源を切りましょう」
「タボコは止めましょう」「ゴミは持って帰りましょう」・・・いくつかの注意点が促されていたんです。

ところが家内と私が座る席の通路を挟んだ席に座る30~40才くらいでしょうか、
ポップコーンとジュースを両の手に抱えながら女性二人の話し声がいつまでも終わりません。

ひそひその声ならまだしも周りに充分内容が聞き取れる程の声。

たまりかねた家内が振り向いた態度でそれとなく気付いてくれると思いきや全く変化なし。
私どもの前のお客さんも、比較的我慢をする私も何度か振り向いてジェスチャーで示すけど駄目。

結局は実力行使をすることにしました。

注意されるほうも嫌だろうし、周りの人々も、
ましてや注意する私にしてみると折角楽しく映画を見ようと勇んできたのにまるで気分のぶち壊しです。

家内は「振り向いて注意するだけでいいよ」といいますが、
でも公共の場でしかも静かに私語を謹んで見ることが常識のところですし、
何度もスクリーンで注意を促されていながらのこの態度は他の同じような場面でもやっているに違いないと判断しましたので、恥ずかしい思いもありますが勇気を持って席を立ち、前まで行って「皆さんが困ってますよ、静かに」と一言。

帰ってきた返事は「すみません」の素直な言葉でしたので
気持ちよく許してあげる事にしました。そうでなければ口げんかでもしてやろうと思ったんです。

暗い中ですから子供がいたかは定かではありませんが、
こんな大人の姿は見せたくないものです。

そんなこんなで昂揚した私の気持ちは、
結局映画の最初から最後まで涙の連続でした。
映画を見て頬を伝うまでの涙なんて経験した事はありませんが。
  


Posted by mister_kei0918 at 08:20Comments(0)

2007年02月25日

「あなたを忘れない」を見てきました

「あなたを忘れない」を見てきました

記憶に新しい事故でした。
強烈な印象を持って記憶にも残ってますし日本の国民にも多くの示唆をいただいたのを覚えています。

人に感動を与え、
衝撃的に心を揺さぶるのは、男でもなく女でもなく、
幼い、或いは年寄りでもありません。
当然、日本人だから、外国人だから?、そんな事はありませんよね。

性を越え、年齢を越え、国籍を越え、
時には時空をさえも超越してしまいます。

人道的な行為や我が命さえも投げ打つ覚悟や行動、
躊躇することなく予断を待つことなく、
ひるむ事なく果敢な勇気ある行動には万人の心に突き刺さるものです。

2001年1月26日、
新大久保駅で線路に落ちた日本人を助けようとして命を落とした青年の物語。
日韓合作映画で実話を基にしたフィクション。副題は「いのちより大切な愛がある」。

その韓国人青年の名はイ・スヒョン。
事件の後のお父さんの素晴らしい態度に感銘を受けたのも決して私一人ではないでしょう。

私の人生で果たして、
感動を呼び起こすような行動や言動は果たしてあったのでしょうか。
例えそうでなくても、
純粋に人のことを思い、悲しみ、本当に人の喜びを我が喜びとする、
そんな事が幾度あったでしょうか。

いつも打算的で利益誘導で、
結果の先読みを常に心がけ、
表面だけを繕う事は一生懸命。

一点の曇りもない人間の心なんて存在するものかと否定する傍ら、
それにしても我が心の有様はなんだと大いなる反省を求められた今日の午後でした。
  


Posted by mister_kei0918 at 18:53Comments(1)

2007年02月24日

自分のできなかった事、出来ないことは子供にさせない?

自分のできなかった事、出来ないことは子供にさせない?

一般的には逆ですよね、
自分が経験できなかったから子供には是非、経験して欲しい。

例えば、ピアノが家庭にあって毎日弾いている友達を羨ましく思うばかりの母親がいたとしましょう。
その母親は家庭や金銭的な諸事情でそんな経験をすることが出来なかった。
ただ恵まれた友人の姿をただただ指を咥えてみているだけが精一杯の事でした。
自分には叶わなかったピアノを引く夢、
自分の娘には実現をしてあげたい、弾かせてみたい、
それが通常の親の願いですよね。

その為に一般的な親は賢明に頑張れるものです。

或いはこんな父親がいたとします。
自分は体力がなくて、どうしても走りが遅い。
それが為に友達からは亀呼ばわりされて軽蔑される。
人前で走るのが億劫になってしまう、コンプレックスになってしまう。

子供にはそんな悔しい、
悲しい思いだけはさせたくない。
小さい頃から運動に勤しむ事を進め、親がした惨めな思いだけはさせたくない。

先頭を走る子供の姿に自分の姿を重ね合わせ、
嘲笑を買った自分の姿を帳消しにしてしまうものです。

でも、こんな事はありませんか。

自分がどうしてもやりたかった、
経験したかった、実践したかった事を出来ることなら子供にもして欲しくない、
させたくない。

自分でどうしても人並み以上にできない事は子供にも出来なくても当たり前、自分以上にはなって欲しくない。

実は懸命に子育てに夢中の頃はそんな事に思いも馳せないのですが、
子育ても一段落し私のように孫が生まれ、
自分の子育てを振り返る時間やゆとりが出てくると、
あの時は或いはあの一瞬はなんだったのだろうと回顧とも反省ともつかない思いに駆られるもの。

子供のしつけや教育の中で、
極めて私自身の過去の思いや経験、
或いはそれと裏腹にある心の歪やゆがみから来る間違った事をしていたように思われます。

あの時、子供がしたいといったことをさせなかった私の行動や発言。
それは私自身の苦い経験やそれにつながる心の曲折がなせる業だったんですね。

だから、子育てなんてそんなに生易しいものではなく、
親のあり方によって子供の将来にも禍根を残したりもするものです。

「子供はほっといても育つ」とか
「親がなくても子は育つ」とは言い古された言葉ですが、
学校教育や社会教育がしっかりしているときはまだしも、
現代は家庭、学校、社会の全てに教育力が低下している時代にはそんな事を恐ろしい事であり、
子供に大変申し訳ない事にもなり兼ねません。

今頃になって反省しても始まりませんが、
私を反面教師として偶然にも素晴らしく育ってくれた子供たちに感謝。

子供の感性や能力は何処に潜んでいるか分かりません、
許せるならば可能な限り色んな経験を踏んで欲しいものです。
  


Posted by mister_kei0918 at 11:41Comments(1)

2007年02月23日

子供達の姿に、今日一日さわやか

子供達の姿に、今日一日さわやか

今朝の事でした。信号のない小さな交差点での事でした。

小学校の2,3年生でしょうか、
まだあどけなさの残る可愛い盛りの子供たちでした。

集団の登校にしては人数が多すぎる、でも遠足の時期にしては早すぎる。
社会見学なのでしょうか。

私が差し掛かる小さな交差点を2列縦隊で横切っています。

私の車に気付いた途端、渡るのを機敏に制止する子供の姿が目に入りました。
普段は腕白坊主おぼしき男の子でした。
いたずら坊主といっても言い過ぎではないような子供でした。

通りすがる私の車に向かって帽子を取って、
ごめんなさいと言っているのでしょうか、
言葉を発しながらお辞儀をしています。

それに呼応するかのように後ろに並んだ20人ぐらいはいたでしょうか、
ほとんどの子供が頭を下げてくれました。

思わずこちらも頭を垂れたのは反射的でした。

子供たちの姿には、
ほほえましかったり、
励まされたり、教えてもらったりするものです。
謂わば「背負うた子に道を教えられる」とはこの事なんでしょう。

人間お互いさま、
大人が子供に教えていると思うのは大変な間違い、
子供に、或いは子供を通じて学ぶ事、諭される事も多いものです。

子供は大人の鏡、大人は子の鏡。

子供は大人の言動を具に、しかも余すところなく、
隅から隅まで見ているものです。

私にも長男・次男・長女、3人の子供がいますが、
「親にしてこの子あり」と思しき様子が日頃から目に付きます。
時には「鳶が鷹を産む」こともないとは言いませんが遺伝子は不思議なものです。

肉体的なことのみではなくて、
精神的なこと、日頃の言動や小さなしぐさに至るまで良く似るものです。

今日の子供たちの行動に「あなただったらどうする」
と問いかけ反省ながら、一日爽やかに過ごせる事に感謝!!感謝!!。


「毎日出かけていく子供がいた、
最初に目にしたもの、
驚き、哀れみ、愛、あるいは恐れと共に受け入れたものそのものに、彼はなった。
それはその日一日、あるいはその日のる時間、
あるいは何年も、あるいは年の経めぐるずっと長いあいだ、
彼自身の一部になった。 詩人ウォルトホイットマン」
  


Posted by mister_kei0918 at 14:08Comments(0)

2007年02月22日

お喋りと出しゃばり

お喋りと出しゃばり

自分が少しはそんな性格であったらと思わないでもありません。

多分、違った人生を歩んでいたんでしょうね、
そんな事を考えたりするとおかしくて笑ってしまいます。
でもそんな自分にも出会ってみたいものです。

「物言わぬは腹膨るるわざ」、「あの人に喋った一言が尾ひれがついてとんでもない事になった」、「あの人は町の広報マン」だなんて揶揄されたり、
軽蔑されたりもしますが一度くらいは腹に溜まっているものや頭に溢れそうなものを吐き出してみたいものです。

その事が飛んだ災いを招く事もないわけではありませんが、
適度な潤滑剤にもなっていることは否めません。
そんな人に限って人がいい、明るいキャラクターの持ち主であったりもします。

あと一つ、何でも首を突っ込みたがる、
一番前にいないと気がすまない、
そんな出しゃばりにもなってみたいものです。

写真を撮るといつも片隅か一番後ろ、
カラオケだって人が一通り歌い終わらないと歌わない、
いつも他人を優先する事ばかり。
譲る事に満足感があったり、気持ちがそれで落ち着いていたり、縁の下の力持ちであったり。

出来れば一度くらいはまずは自分を最優先、
何をさておいても私が一番。そんな自分の姿も見てみたいものです。
集合写真も真ん中の最前列、
しかも足を広げて満足げに。
会話の真ん中にいて結論はいつも私が出す、
背筋を伸ばして主賓の席にいて、笑いの源泉が私で。

でも、空想を巡らすうちに滑稽な、
しかもわざとらしい自分の姿が垣間見えます。
やはり私は私、他人でない私が一番似合っていそうです。

不器用で照れ屋で、引っ込み思案で、
人の気持ちを詮索するのは大嫌いで、
上手も言えなくて、人から教えて頂く事の半分も咀嚼できなくて。

どうもそんな姿が一番似合っているようです。

或いは今の自分だからこそ、
家族も大事にしてくれて、
友人も心置きなく付き合ってくれているのかも知れません。

そう、今の自分、
そのままの自分を守り大事にする事こそ心地よい自分らしい生き方かもしれません。
  


Posted by mister_kei0918 at 12:30Comments(0)

2007年02月19日

取材を受けました

取材を受けました

先月20日、東京から業界の取材の方がお見えになり、約5時間くらいの取材を受けました。
私のインタビューやら社内の撮影、会社の外観・・・。

今まで新聞や商工会議所、業界の冊子、展示会の為の取材は幾度となく受けましたがこのたびの取材は有料で見てもらう為のものなので幾らか、緊張をしました。

でも、飾る事も要らないし有りのままをそのままに伝えて頂けばそれで充分だと思ってます。
見る方々は私の会社業界の経営者や社員。

有料で見てもらうわけだから、視聴する方に大いに参考にならなければいけないのですが果たしてどうでしょうか。

業界本部から選ばれた訳だから、幾らか役に立つ、参考になると判断されたんでしょう。

WEB上での業界向けの有料サイト、現在編集中で発信は4月になるようです  


Posted by mister_kei0918 at 19:30Comments(0)

2007年02月18日

あなたは戦いますか?

あなたは戦いますか?

「君の一番不得手なのはなんですか」と問われたら、
私なら他人との戦いと答えるような気がします。

戦いというと大袈裟になりますが例えば小競り合い、競争、喧嘩でもいいですが
相手との競り合いは私にとってどうも性に合わないというか、
自分が負けるのも嫌だしかといって他人に勝ってそんなに嬉しくもないし、
優越感になんか浸りたくもないし。

でも、負けず嫌いなんですよ、負けたら悔しいし残念な思いをします。
学校時代もそうですがサラリーマン時代も競争するのは極力避けてました。

かといって負けない努力はするんです、
多分人並み以上にするといっても過言ではないでしょうか。

また、人には相手に確実に負ける分野や事象がありますよね、
そんなときにもなるべく最初から勝負に挑まないようにしてます。
只でさえ負けるのが悔しいのに、
相手から負かされる自分の姿を現実に確認するのが嫌なんです。

汚い言い方をすれば自己保身が過ぎるという事でしょうか、
上手な言葉が見つかりませんが。

でも、人生を戦いですよね、
特に男の社会、というか男は本能的に排他的で戦闘的で、
自己や家族を防衛しようとするものですから、
生活を営む上でも常に戦いの現場にいるといっても言い過ぎではないと思います。

男性の全てとは言いませんし女性の全てがそうでないとは言いません、
私の周りにも男性以上に戦い続ける女性もいますから。

戦いの実は表面的には勝っているように見えても
時間の経過や状況によっては明らかに負けの場合もあります。

逆に「負けるが勝ち」という言葉に象徴されるように、負けているほうが実は優位に立っている事も数多く存在するものです。


「人間は、負けるとわかっていても、戦わねばならない時がある。
だから、たとえ負けても勝っても、男子は男子なり。
勝負をもって人物を評することなかれ。   福沢諭吉」
  


Posted by mister_kei0918 at 19:50Comments(0)

2007年02月17日

確実に資産を増やしている?

確実に資産を増やしている?

世の中、頭の言い方、或いは実行力、実践力のある方がいるんですよね。

資産を増やすといえば金持ちの話かと思えばそうではなく、
私どものすぐ側にいる人がコツコツとしかも確実に資産を増やしいる方がおられます。

あなたの隣の優しそうな可愛らしい会社勤めの女の子の中にも。

資産を増やすというと固定資産もそうですし、動産、お金もそうですよね、
最近主婦の方々が巻き込まれ大損をした個人株主のことも耳新しい事ですが、
色んな機会や情報をいち早くキャッチされ、努力や研究を積み重ねて、
それなりの資産作りに成功している方々がいることを知りました。

私どもは資産を増やすというと自分には無縁の話だとか、
関係ないとか、胡散臭いとか、火の粉をかぶる危険が待っているとか、
場合によっては元も子もなくなるとか、
増やす努力を否定するような事や前向きになることを否定するような事をすぐ考えてしまいます。むしろその方向に行かない理由を一生懸命に考えているといっても過言ではないでしょう。

でも、自分の全財産をつぎ込むような、
危険極まりない、断崖絶壁から突き落とされるような話ばかりではなく、
私どもの身の回りにも資産作りの有用な手立てがあるようです。

それでも時間は必要ですよね。
今日その決心をして明日にも資産が出来たなんて、そんな事は有り得ませんし、
また資産作りなんてそんな簡単至極な事ではありません。

ある期間や年月を要する事で、しかも地道に継続的に辛抱を必要とするようです。

その決断をし、継続的にするか、しないか。そこにかかっているようです。

将来公的年金がどうなるか分からないとか、介護の事とか、
子供や孫の事、会社の事・・・考えたら一挙にはとても解決のつかない、
時間と労力とお金と知恵、全てが揃わないとどうにもなりませんが、

若い頃からその事に焦点を当てて計画的に行動されていた女性を知ってますが
その努力が今の悠々の生活を支えている姿を拝見したり、
先見的な若い女性の中にも自分の老後は心配する事のないようにと、
早すぎると思われる今から計画している女性を知っています。

そんな人々が今の生活を窮屈な惨めな、節約生活を送っているかといえば決してそうではなくそれなりにゆとりを持って生活をされています。

という事は思いが専攻するかしないか、という事ではないでしょうか。
目的意識がどれだけ重要かということのように思いますが、
皆さんはどう思われますか。

私は一軒家を作ったのが24歳でした。
当時としては私にとっては大変な買い物でましてや24歳、
一介のサラリーマンが一軒家を作るなんて有り得ない頃でした。
金持ちの息子なら別ですよ、或いは宝くじか何かで一攫千金を得たなら別ですが。
貯金箱を壊して手付け金を渡したエピソードがあります。

そこから、人生の歯車は走り始めました。
事の顛末は又の機会に譲るとして、
資産を増やす事が人生の目的ではありませんし、
そんなに簡単なことではありませんがその事に早くから気がついてその方向に向かって実行に移して行くか行かないか、
長い人生の中で振り向いたときに大きな差が出てくるようにも思います。

それは別に固定資産のことだけでもありませんし、
お金に絡む事でもいいのかも、或いは株という方法もありますよね。

でも、考えておかなくてはいけないのは、
継続する勇気がないならしない事、
努力を惜しむならしない事、
財産の大部分をつぎ込むような事は絶対しない事、
他人を当てにするような事、他人の褌を借りるような事、
他人を巻き込む事は辞める事、家族を巻き込むような事、
不安ならしない事,
自分の裁量や器を大きく逸脱するような事はしない事・・・。

それと謙虚な姿勢も必要ですよね。
例えば自分が株をして幾らか儲けたからといって自信過剰になって他人を引きづり込まないような。
或いは驕り高ぶりだとか。
  


Posted by mister_kei0918 at 20:47Comments(0)

2007年02月16日

帰る宿

帰る宿

人にとって帰るところが存在する事は非常に心強い事だし、
勇気を持って事に当たれますよね。

帰巣本能がそうでしょうし、拠り所とするところが何処かに存在する、
その事が安心感につながり大きな心で果敢に行動できます。

子供もそうですが、帰る家庭が心の穏やかさが保てられ、
安心安住の地であるならば学校においても地域においてものびのびとわだかまりなく、
健やかに過ごせるものです。

子供の心をちゃんと受け止めてあげる親の態度、
厳しくありながらも「どんな事があっても自分の帰るところはここなんだ」って子供に信じられている親、
親の懐のほうが何処にあるそれよりも暖かいはずです。

サラリーマンにとっても帰る家庭が疎ましい、
気の進まないところであるとするならば、
悶々として玄関に足を一歩踏み入れることに躊躇してしまいますし、
落ち着かない生活になる事間違いありません。
その前に帰ることそのものに一抹の不安さえ抱いてしまいます。

或いは他に居心地のいいところを何の気はナシに探し求める事になるのかもしれません。

男性にとっての女性はまさしく母の懐のようなものですから、
その存在は男の人生にとって極めて貴重で重要な役割を果しています。
情愛に満ち溢れたその眼差しは戦い疲れた心を癒し、
明日への希望を育んでくれます。

女性にとっての男性は山の如き懐のようなものですからある時は猛々しく、
またある時は大きい自然のあり方のように優しく受け入れるてくれるものです。
荒々しい言葉や態度にも女性の優しい心を呼び覚まし、
萎える気持ちに鞭打ってくれるものです。

夫々にとって自分の気持ちの納まり場所をあらかじめ持つことの意義は大きいようです。

今日もしっかり帰れる宿のあることを噛み締めつつ。

鉄砲の弾のように行ったきりにならないように、心を引き締めて。
  


Posted by mister_kei0918 at 16:49Comments(0)

2007年02月15日

天は二物を与える?

天は二物を与える?

昔から、慰めの言葉なんでしょうか、または勇気づけのつもりなんでしょうか
「天は二物は与えないもんだよ」なんて良く周りから聞かされました。
現代は果たしてそうなんでしょうか。

“現代は”と言ったのは、やはり昔とは時代背景が180度も違いますし、
情報の量も桁違いになり、グローバルになり、
マスメディが幅を利かす世の中になってしまいました。

世間が狭い、行動範囲も限られた、しかも情報の量も限られた昔でしたら、
一つの町や村の中の事しか耳目に入ってきませんが現在は一瞬にして地球の裏側の様相まで目の当たりにする時代となってしまいました。
そんな時代は極めて平均的だし飛びぬけている人も少ないし、
二物は与えられないと考えていてもほぼ間違いではなかったのでしょう。

代表的なものはテレビでしょうか。

セレブで高級な邸宅に住んで、美人でスタイルが良くて高級車に乗って・・・。

背が高くて金持ちで一流大学を出ていて、ハンサムで大きい会社の社長で、美人秘書を侍らせて外国高級車を乗り回し・・・。

そんな人を知っていますよね、一人や二人ではなくて。

天は二物を与えるんですね。想像を絶する金持ちがいたり、目にも眩い美人がいたり、人形ではないかと疑いたくなるほどスタイルのいい美人がいたり。

私などは逆な意味で2物も3物も天から与えられたような気がしないでもありませんが。

でも、与えられたものがどんなに素晴らしく、凄く、豊かで、飛びぬけていてもそんなに羨む事はありません。
だって、そんな人々は我々以上にそれなりの苦労や、努力、失う事の不安・・・様々な事が付随しているものです。
華やかなように見えて、贅沢に見えて、優越感に浸っているように見えて、将来が保証されているように見えますが。

私どもは落ちてもたかが知れているではありませんか。

何よりも人を羨む気持ちのほうが、
胸をそらせて傲慢で堪えず優越感に浸っているよりも素晴らしい事のように思えます。

人間は形や見てくれではありませんから
人を思いやる気持ちや少ないものでも分け合う事、
ほんの些細な事にも幸せ感に浸れますし、
何よりもお世話好きで体を使って働く事に喜びを感じ、
友人の悲しみにも一緒になって涙だって流せるんです。

そんなところにこそ人としての喜びって存在するって思いませんか。

二物なんかなくたっていいんです。
だって今からの努力によっては二物だって三物だって手に入れることは可能なんですから。
或いは実は自分の知らないところに二物が備わっているのかもしれません。
その二物を探し当てる楽しみだってありますよね。

天から貰う二物よりも自分で探し当てる事のほうがどんなに素晴らしいか、貴重な物かは私共にしか分からないでしょう。

発見した二物は分け与える事だって知っています、
自分の中にある宝物、それは私だけのものではありません。
  


Posted by mister_kei0918 at 12:57Comments(0)

2007年02月14日

人が人を強くする(企業編)

人が人を強くする(企業編)

経営者が良く使う言葉で
「業績のいい会社、前向きで明るい積極的な社長と付き合いなさい」。
講演会でも良く聞きなれた言葉です。

別に業績のいい会社と取引をしなさいとか、積極的な社長と交流しなさいという事ではなくそういう考えで企業経営をしなさいという事ですよね。

業績のいい会社との仕事の直接的な関わりなんてそんなに簡単に行くものでもありませんし、ましてやそういう社長と簡単に付き合えるわけでもありません。

色んな社長とお会いする機会が多い私の経験からいくと、
その様な社長のあり方に間違いなく触発されたり、負けておれない気分になったり、勇気が湧いてきたり、知恵を授かったりするのは間違いがないようです。

だからそんな企業のあり方を勉強したり、経営者の話を聞く機会を増やす事はとても重要な事であるように思います。

逆に消沈している、或いは業績が下がる一方の企業や、いつも悔やんでばかり、悲観的な発言ばかり、一向に前を見ようとしない経営者との付き合いは程ほどにしたほうが良さそうです。

少なくとも経営の参考にはなりませんし、こちらまで気分が落ち込んでしまいます。

お互いの傷を舐めあっているような状況では前進は見込めませんよね。
話しているとこちらまで確実に引き込まれていくのが分かります。

別にその人の人格や個人的な友好、友情を否定するものではありませんし、
付き合いその物は従来どおり継続されればいいと思うのです。

出来るだけ前述のような企業、経営者との付き合いを今後、増やしていけばいいと思うのです。

社長は企業の鏡であり、
企業のあり方がまさしくその企業の社長の生き方にも似ているように感じます。

社長が前向きで活発な企業は、
端から見ていても活力を感じますし社員の方々の生き生きした姿が伺えます。

当然企業は生き物です、
時代の波に乗り遅れたり、人材の喪失、取引先との急激な関係の悪化、
銀行との関係、経営者のあり方・・・等々で明日も分からない状況もあります。
それだけ厳しいものであり予断を許さないものです。

それでもそんな経営者はまた復活されますし、
不死鳥のように立派に生き返ったりされる姿を見ます。
つぶさに見ているとそんな経営者はやはり再び生き返る生き方をされているように思います。

経営者を強くする、奮起させるのは
社員であったり、家族であったり、お客様であったりしますが
何よりも同じ経営者によって大きく成長もしますし、強く大きくもなるものです。

また、雄雄しく逞しく、前向きに戦う社長には、社員の方々も元気を貰うようでやる気や勉強も熱心にされているように感じます。
社員もそんな経営者の下で働けると一生の財産にもなるものです。

さあ、今日もそんな素晴らしい経営者に巡り会えることに期待をこめて行動したいものです。

経営者の鏡になるには大変な努力や知力、財力、判断力、行動力、運が要求されますが、
その足元ぐらいには少なくとも辿り着きたいものです。
  


Posted by mister_kei0918 at 08:35Comments(1)

2007年02月12日

力の出し惜しみ

力の出し惜しみ

何か物事を行うときに力の出し惜しみをしてませんか。
私自身はどうも時々そんな事があるような気がしてなりません、
力のないくせに。

「ま、このぐらいでいいか」とか
「次の機会の為に全力を出すのは辞めておこう」とか
「全ての力をここで出す事はない、次回の為に温存しておこう」、
「程ほどにしておこう」などと。

結局は次の機会や次回に全力投球をするかというとそうではなくて
中途半端な努力や行動で終わってしまう。

じゃ、全力を出すのはいつなんだと自分に問いかけたりもしてますが、
良く考えてみると結局はいつでも力の出し惜しみ、
つまりはそれだけの力しか持ち合わせていない、という証左のような気がします。

業績や成績で人並み以上に結果を出す人は、
姑息な手段や方法を用いる人は別にして、
やはり物事に精魂を傾け全力投球をしている。

会社の中でも一心不乱に情熱を傾ける人はそれなりに結果を作り出している。

私のように能力もそんなにあるわけでもないのに力の出し惜しみ、
ましてや全力投球もしないとなると自ずと結果は見えているし、
たかが知れている。

やはり世の中上手くできているもので
「出し惜しみをせず、持てる力で全力投球する人はその結果はついてくる」様に思います。

いつも後悔が付きまとい、反省だけはしっかり、いつも中途半端。
そんな人生にならないように。


福岡県篠栗町の南蔵院、 おかかえ地蔵さんの前にこんな言葉がありました。
「いい加減だと言い訳がでる。」
「中途半端だと愚痴が出る。」
「一生懸命だと知恵が出る。」
  


Posted by mister_kei0918 at 22:34Comments(0)

2007年02月12日

力の出し惜しみ

力の出し惜しみ

何か物事を行うときに力の出し惜しみをしてませんか。
私自身はどうも時々そんな事があるような気がしてなりません、
力のないくせに。

「ま、このぐらいでいいか」とか
「次の機会の為に全力を出すのは辞めておこう」とか
「全ての力をここで出す事はない、次回の為に温存しておこう」、
「程ほどにしておこう」などと。

結局は次の機会や次回に全力投球をするかというとそうではなくて
中途半端な努力や行動で終わってしまう。

じゃ、全力を出すのはいつなんだと自分に問いかけたりもしてますが、
良く考えてみると結局はいつでも力の出し惜しみ、
つまりはそれだけの力しか持ち合わせていない、という証左のような気がします。

業績や成績で人並み以上に結果を出す人は、
姑息な手段や方法を用いる人は別にして、
やはり物事に精魂を傾け全力投球をしている。

会社の中でも一心不乱に情熱を傾ける人はそれなりに結果を作り出している。

私のように能力もそんなにあるわけでもないのに力の出し惜しみ、
ましてや全力投球もしないとなると自ずと結果は見えているし、
たかが知れている。

やはり世の中上手くできているもので
「出し惜しみをせず、持てる力で全力投球する人はその結果はついてくる」様に思います。

いつも後悔が付きまとい、反省だけはしっかり、いつも中途半端。
そんな人生にならないように。


福岡県篠栗町の南蔵院、 おかかえ地蔵さんの前にこんな言葉がありました。
「いい加減だと言い訳がでる。」
「中途半端だと愚痴が出る。」
「一生懸命だと知恵が出る。」
  


Posted by mister_kei0918 at 22:34Comments(0)

2007年02月10日

側にいて欲しい人っていますよね

側にいて欲しい人っていますよね

昔、若い頃は天涯孤独だとか、
自分の人生を悲観的に眺める事や悲劇の主人公でもあるかのような状況に追い込む事によって、自己確認をしていたような気が致します。

一種の自虐的な行為の一つなのかもしれません。

事実、様々な境遇やハンディを背負いながらの青春でしたから、
もがき苦しむ事から脱却するための具体的な行動は取らずに、
むしろ深層心理の中にはそれを肯定しているような、
オーバーな言い方をすれば楽しんでいるような。

でも、周りには多くの人々が存在する事、殻に閉じこもった自分には見えなかった素晴らしい人間関係や社会が見えてくるに従って自分のあり方を考える様になったのです。

その一つは恋愛がそうでしょう。
一人では成り立たない恋愛を経験する事によって、
人は明らかに本能的に日常的に一緒にいたいことを望み、
側にいることを強烈に望むものです。

結婚もそうでしょう。
夫婦が終始あいまみえる事でお互いの人間性を認めつつ、
高めつつ、喜びも苦労も二つに分けて、
「空気の様な存在だね」なんて照れながら結局はその存在なしでは空虚な寂しいものにもなってしまいます。
存在そのものが疎ましく、辛く、苦しさを加速する事があることも決して否定は致しませんが。

親子だってそうでしょう。
いくら「子供は社会のものだ、預かりものなんだ」なんていっても親子の情愛は、
とりわけ母親にとっては掛け替えのない存在、
側にいて欲しいから厳しい事も言い、つらいしつけだってやるものです。

「側にいて欲しい人っていますよね」
側にいて欲しい人が多いほど、
或いは人生が豊かになるのかも、
幸せを引き寄せる力も強いかも知れません。

側にいて欲しい人が、
次の側にいて欲しい人を増やしていくようなそんな連鎖が起こってくるかも知れませんよね。
  


Posted by mister_kei0918 at 12:43Comments(0)

2007年02月09日

今夜も又、掛け替えのない友人達60人と

今夜も又、掛け替えのない友人達60人と

今日の夕刻は毎月一回の友人たちとのオフの会。
総勢で約60人くらいでしょうか。

ただ、笑顔を交わすだけでも嬉しい仲間です、
衒いも気取りも飾る事も気負う事もありません、
なぜなら心を許す仲間だからです。

会話を交わせば、もっともっと素晴らしい仲間になること請け合いです、
なぜならば相手も心を開いて待っていてくれるから。

夫々に特異性があって個性が光って、
一人たりとも私どもの友人としてはみ出す人はいません、
なぜなら、その特異性、個性を我々みんなが求めているから。

そして一人一人の喜びを我が物として分かち合い、
若し苦しみが見えたら優しい言葉をかけてあげたり、
解決にはならなくても何らかの示唆を差し上げる事が出来る仲間の集まりなんです。

もう15年、173回の例会を迎えます。

でも、会の雰囲気を壊す人、
酒癖の悪い人、
仕事だけが優先の人、
誹謗中傷を悪いことと思っていない人、
そんな人は参加を断っていますし、また決して誘いも致しません。

心置きなく、胸襟を開く友人を多く作り、
多くの方に紹介できる事の喜びは最上のものです。

今夜もまた、杯を高くかかげながら
心地よい酔いと素晴らしい夜を満喫しているものと思います。
  


Posted by mister_kei0918 at 07:59Comments(0)

2007年02月08日

どっぷりと浸かってませんか。

どっぷりと浸かってませんか。

現状に胡坐をかく、どっぷりとつかってませんか。
居心地の良さに満足してませんか?

恋愛だって変り行く心の彩があればこそときめきのすれ、
変化の無い澱みのない恋愛はいつかしら退屈なものとなると思いませんか。
様々な曲折の中で高まっていく感情こそ熱烈な恋愛につなっがていくものと思います。

家庭生活もそうですよね。
子供が生まれたり、学校へ入学したり受験したり、
孫が出来たり、家やマンションを購入したり、
夫婦でもそうですがお互いを高めあう努力があったり、
いい意味での刺激が却って夫婦間の愛情の増幅に役に立っていると経験されていませんか。

企業も変化変身、変革の出来ないところは
将来の見えない経営を余儀なくされていると思います。
業態への対応や業際をも飛び越えてより挑戦的に頑張っている企業、
社員へも未来のある会社になるためには自らが変身を図らねば将来はないことを徹底する会社、社長自信が現状のぬるま湯に浸かっている時代では生き延びられない構造的な変化が起きています。

リーダー自らが身を粉にして頑張らねばいけない時代です。

現状に甘んじることなく、明るい未来に向けて一歩を踏み出せる、
そんな自分でありたいと思っています。

自分が変れば周りが変る、
家庭が変る、会社が、社会が変るに決まっています。

だって、自分が変ったんだから自分の物の見方、考え方、対処の仕方が変わっている筈だから。

何よりも変った私を見る周囲の目が変化に気付かない訳がありません。

昔から湯で蛙の話がありますが、湯で揚がってからは手遅れ。

私にとっても今からでも遅くはないでしょう、
だって人生は長いんだから。
  


Posted by mister_kei0918 at 11:49Comments(0)

2007年02月08日

人を好きになる

人は人によって人になるとか、
人の字はお互い支えられる意味を持って作られてるんだとか、
良く周りから親から教えて頂いたものです。
周りに信じる人、尊敬する人が多いほどその恩恵に授かるものです。
逆にそのお返しもしないといけませんよね、頂いたり、お返しをしたり。


人を好きになる   平成16年12月3日

人を好きになることが自分の人生をどれだけ意義深く明るく豊かなものにするかは、
色んな経験を踏んでみないとわからないもの。

人は様々なものを教えてもらえるし、示唆を授けてくれる。
言葉を交わさなくてもそれはしぐさや目つき、顔の表情、体の動き。後姿でさえ物語を提供してくれる。

様々な経験や機会を重ねる中で他人から教わる事の多さや自分の知識の浅さ、常識のなさを痛感することも多い。

時には聞きたくない苦言もあり、誹謗や中傷がないでもない。
根拠の無いものもあり煙の無いところに立った火もある。
憤りを感じないでもないがそれも時間が解決したり自分の日頃の行いや姿で本来の自分を改めて評価してもらえる事がほとんど。

逆に雨降って地固まるの如く以前にもまして人間関係が深まったり信頼度が高まったりする事が多い。
苦言は謙虚に受け止めて又一歩前進するために刺激をもらったと思えば腹も立たないし有難い事として受け止められる。

だから、私は人が好きである。

人々は知識の宝庫であり、智恵の塊であり、
英知を授けてもらい、明日への勇気を与えてくれる。

私のように対人恐怖を持っていた人間にとっては尚更の事、
多くの人に会うことがその恐怖から救われる唯一の処方箋だったのである。

私の辛い経験から行くと人間は人間によって救われるように出来ており、
元来、人は人間好きに出来ているようにも、思われる。

これからも多くの人々を好きになり、
自分の活力源として積極的に飛び込んで行こうと思っている。

相手に嫌がられない程度に!!。
  


Posted by mister_kei0918 at 08:23Comments(0)