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2007年06月30日

私の人生の伴侶なんですけどね

子育ての後悔は終わってから襲って来る

日本の歴史の中で今ほど家族が危機的状態の時代はないのではないでしょうか。

子が親を殺す、親が子を殺す、兄弟が兄弟を殺す。

昔の尊属殺人はいけないことではあっても同情を呼んだり、理由に納得できるものがあったものです。

今はどうして?、どうなっているの?と首を傾げたくなるような或いは動物的、猟奇的、衝動的な殺人事件が多くなりました。

時代背景にそうさせる理由でも存在するのでしょうか。

歴史的にもそうでしょうが文明が過度に進みすぎたり、加速度的に変化したり、物質文明が栄えると決まって人間の精神的な荒廃が始まるような気がしますがどうなんでしょうね。

素人の私が考えてもそんな気が致します。

貧しいとか、生活に幾らか事欠いているくらいが精神衛生上もいいように思われます。

私も3人の子供を育ててきました。成人もしましたし2人は結婚もしましたし、幼い孫も授けてくれました。

でも、どうも満足感ってないんですよね。

成人した彼らをまだ子供だと見ていて、未だに子育てが進行中なのか、
今でもああすればよかったとか、こんな事をしてあげたいとか、こうあって欲しいとか、こんな事も教えておきたいとか。

本当はもう子供ではなくて私の人生の伴侶なんですけどね。

どうも子育てって満足のいくものではないようです。

しかも後悔ばかりが出てきて。

どうも、それは私自身が進化しているというか、賢くなってきているとか、物事を多く知る機会や世の中を徐々に年齢と共に知る事によって、子供に対する新たな要求が湧き出てきているように思われます。

子育て時代は私自身が自分の仕事や家庭、社会に対する行動が張り詰めた、しかもゆとりのない状態で、オーバーに言えば私そのものがまだ大人になりきっていない、子育てにも先の見えない手探りの有様だったんでしょうね。

それだけに責任が重いということでしょうか。
大人になりきっていない私の様な親が子育てをするって可笑しくもあり、悲しくもあり。

今思うと、そうだからこそ一生懸命が必要なんでしょうね。
全力投球をする、手を抜かない。

出ないと私のように今になって後悔をする事になってしまいます。

お陰さまで子供たちに恵まれました。
素晴らしく成長してくれました。

それは私が反面教師だったから?。
或いは鳶が鷹を産んだんでしょうか。

それがよく言われる「子供に救われる」ってことでしょうか。  


Posted by mister_kei0918 at 07:22Comments(0)

2007年06月29日

疲れ果てた姿なんか

人生はままごと遊び?

小さい頃、夕暮れが迫るのも忘れて野山を駆けずり回ったのは昨日の様に思い起こされます。

野山は裸足で飛び回り、怪我は絶えず、川や海では真っ黒になって目だけ白い男の子だったものです。

自然を満喫するにはなに不自由のない世界に住んでいた時代が懐かしく、もう戻る事のできない悔しさにもどかしささえ感じます。

親から離れ社会に飛び出した途端に、束縛の多い、危険極まりない、誘惑の多い、しかもしがらみの多い、仏教で言うところの四苦「生病老死」をまさしく体感するような事態に陥ってしまいます。

唯でさえ、そんな世の中ですから「人生はままごと遊び」くらいに思いながら過ごした方がいいのかなって思わないでもありません。


無垢な心も時には表に現しながら、

屈託のない笑いに興じてみたり、

人に甘える事も忘れないで、

心底怒ってみたり、

はしゃいでみたり、

時には駄々をこねてみたり、

痛いときや苦しいときには周りの目を意識することなく
思いっきり大声を出して大粒の涙を流してみたり・・・。


そんな子供時代のままごと遊びにでも時には戻ってみたいものです。

どなたかが歌っていた昔の歌詞にもありましたが時には子供のように。

大人だから、
いつも毅然としていなくてはいけない、
疲れ果てた姿なんか人には見られたくないなんて思わないで、

時には「人生ままごと遊び」なんだと開き直って見るのもいいかも知れません。
  


Posted by mister_kei0918 at 12:33Comments(0)

2007年06月28日

怒り心頭を通り越して

惑わされないように

社会保険事務所の不祥事や公務員としてのあるまじき行動、いい加減で信じられないような労使の協約、年金の不記載や放置問題、対応の悪さ・・・。

毎日、腹に据えかねる報道が続いています。
考えても考えてもどうも理解が出来ません。

年金の問題だけではなくて過去も国民のお金の無駄使いや巨大な施設を作って破綻させたり、自分たちで健康器具を買って勤務時間中に利用したり、想像を絶する出来事の連続に怒り心頭を通り越して彼らの人間性さえも疑いたくもなります。

倹しい生活を強いられている方々が懸命に老後の為に積み上げていく年金。

彼らの真の心の内を聞かないと決して許せないし、国民を無視した、むしろ馬鹿にしたといっても過言ではない彼らの今までのやり方はどんなに譲って考えても理解が出来ません。

公務員って何なんだ、そこまで言わないと目を覚まさない社会保険事務所のあり方は許せるものではありません。

是非、今まで本当に国民の事を考えて仕事をしてきたのか、働いてきたのか検証をし、明らかにしてもらいたいし過去の実態を知りたいものです。

その上でしっかり責任を追及もしなくてはいけませんし断罪をしなくてはいけないでしょう。

そこで私はその事に余り惑わされないでいないともっと大変な事態が出てくると思います。

色んな報道や記事を見ていると、年金は破綻する、貰えなくなると良く言われます。この事が真実ならば決して否定はしませんが誰もその事を確証を持って責任を持って発言のできる人は誰一人としていないでしょう。

ですから決して惑わされないでしっかり年金は納めていく。
過去も色んなことを言われて結局は年金を払わなかった多くの人々がいます。
今になって悔しい思いや貧しい生活を強いられている方々が。

その方々は誰を信じて行けばいいのでしょうか、破綻するから払わない方が言いといった人々が決して責任なんか取りはしません。

こんなトラブルが出てきましたので時効をすべて破棄する法案が出来そうですが、お金を貯めていた方は全て入金が出来れば幾らか救われるでしょうが大半の方は難しいでしょう。もう既に使い切っているのが本音でしょう。

貰い始めると10年そこらで自分が納めた金額は貰いつくしてしまいます。
その後は自分の払ったお金ではないのです、それも生きている間中貰えるのです。

個人年金や退職金、財産を多く抱えている人は年金なんて気にしなくていいかもしれませんが多くの国民はそうではないでしょう。

或いは自分の老後を賄えるだけの資産や家族で面倒を見てくれる人が居るなるいいかもしれません。

それでも最低限でも自分の所帯は自分で死ぬまで支えて生きたいものです。
先日、ある方が「もっとたくさん貰えるに越した事はないけど、自分が納めた金額に応じてでもお金が手元に入ってくるのは嬉しい」と言われてました。

様々な諸問題はありますが、
決してそれに惑わされないでしっかり健康で年金を納める態度が必要だと思います。

また、穿った言い方をすれば年金が破綻した方がいいと思っている人、混乱をさせる事で得をする人々、人心を惑わす事に優越感や喜びを感じる人がいるのも事実。

そんな事を考えながらテレビやマスコミを見る目を持つ事も大事でしょう。

いずれにしても自分の信念を何処に持つかをしっかりと見極める必要な事を今度の社会保険事務所の問題は教えてくれています。

他人は私の老後には何も施してはくれません。
他人の意見は参考にはすれ、惑わされてはいけません。

私の娘には
「自分の老後を守るのはあなた一人、誰も手助けなんかしてくれないから親を当てにしないでしっかり納めておきなさい。出来れば勉強をして個人年金だとか豊な老後の為の備えをしなさい」といっています。

当然、そのときは私ども夫婦は生存はしていないでしょう。
私どもは今からでも彼女の将来に出来ることの支援をしなくてはと思っております。それが又、親の努めでしょうから。
  


Posted by mister_kei0918 at 08:05Comments(0)

2007年06月27日

「目が覚めましたか」

生まれて初めての?健康診断

生まれて初めての健康診断なんて嘘のような気がしないでもありません。
でも小学校でも中学校でも健康診断はありましたからね。

その時の健康診断は身長や体重測定、胸に聴診器を当ててコツコツする程度。確かオシッコはありましたね。それとマッチ箱に入れて紐をつけてぶら下げて通学のときにもった記憶があります。

それから?十年経ちましたが、一度たりとも健康診断をしたことはありませんでした。
意気地なしというか頓着がないというか、家族への配慮や従業員への心配りがないというのでしょうか。検診の度に逃げていたんでしょうね。

その間、大きな病気もありませんし、入院するような事態も発生することもなく?なかった訳ではありませんが行くのを拒んだというのが正直なところでしょうか。

痛みに襲われた事も七転八倒の痛みと脂汗に苦しんだときもありましたがとにかく病院へ行くのを拒み続け、一度はお医者さんから数日の入院を言われた事もありますが断りました。

今でも取り立てて何処がどうという事もありませんが、もう観念したというのが正直なところでしょうか。小さい孫も二人できましたし、いつまでも意味のないことに頑固さを続けても笑いの種ですものね。

内容は「生活習慣病予防検診」
問診/医師診察
胃内視鏡検査(胃カメラ)
身体計測/視力/聴力/血圧測定
尿検査/便検査/血液検査
胸部レントゲン検査(直接)
心電図検査(安静時)

以上の項目でしたが一番心配してたのが胃カメラでした。
聞くところによると苦しかった痛かったという話しか聞いてませんのでそれは大変なことだと想像していたんです。

ところが胃の泡を無くす薬を飲み、喉の麻酔薬を飲み、採決と同時にされた注射でいつの間にか記憶は彼方へ飛んでしまったわけですが、気づいたときには既に終わってました。

確か、左を下にして寝ていたつもりですが気がついたときには仰向けでしかもベットに腰掛けたような状況で目が覚めました。

途端に看護師さんから「目が覚めましたか」の言葉。

左隣のカーテンで仕切られたベットではイビキが大きく聞こえます。
私のようにしっかりぐっすりまだ目が覚めないで寝て居るんでしょう。
私もそうだったかと思うと恥ずかしい気持ちにもなってしまいました。

「案ずるよりも生むが安し」、もっと早く受ければよかったんですがね。

医師の診察で指摘されたのは十二支腸に潰瘍の後が残っている事、胃に糜爛があること。あと一年後くらいには是非検診をとのことでした。

理由を尋ねましたら暴飲暴食を言われましたが私は決してしないように心がけているつもりでいましたので問い返したら、多分食べすぎでしょうとの事、それは確かにあるように思います。

それと充分の自覚している事ですが太りすぎ、食べ物に充分注してください、運動を心がけてくださいとのことでした。

詳しい検診結果は後日送ってくるようですのでそれを待ちますが、幾らか安堵もしましたがこれからは幾らか摂生しつつ運動に心がけ、気持ちをもっと安らかに持つ事でしょうか。

「もうそろそろお年ですから、相当の生活習慣を」と諭されてしまいました。
簡単に言うと「もう若くはないのだから」という事でしょうか。
  


Posted by mister_kei0918 at 07:11Comments(0)

2007年06月26日

愛する事を少しづつ失ってきました

「不便だけど不幸ではない」

ある著名な方なんですが障害を持っておられます。
その方がテレビに出てらして「不便だけど不幸ではない」
とおっしゃってました。

ご自分が障害を持つ人間として日常的に不便を感じる事は多々あるけどそれは不幸ではないと言われたのです。

私ども健常者が痛切に受け止めねばならない言葉ではないでしょうか。

自分の思うように成らなければ我侭を言い、
使い勝手が悪ければ物や人の精にし、
ちょっと不都合が生じると投げやりになり、
努力を怠りながら幸せだけは欲張って、
思うに任せない事態からはすぐに逃げ出して
、気に入らないときはすぐ憮然となって。

私などはその典型的な人間なのかもしれません。

苦難を乗り越える事がどれだけ人間を強く変えていくのでしょうか。

言葉を反せば「便利だけど幸せではない」、
若しくは「不便だけど幸せ」って聞こえるのですが皆様はどう解釈されますか。

社会現象でもそうです。
余りにも便利であることが逆に荒んだ心を持つ事になり、
愛する事を少しづつ失ってきました。

物の豊かさの分、心の豊かさを失ってきました。

幸せとか不幸せとか、そんなに簡単に論じてはいけない、
それだけ重いものだし大切なものだよって言って頂いているようにも思えます。


『幸福人とは、過去の自分の生涯から、
満足だけを記憶している人びとであり、
不幸人とは、それの反対を記憶している人々である。萩原朔太郎』


『子どもを不幸にするいちばん確実な方法はなにか、
それをあなたがたは知っているだろうか。
それはいつでもなんでも手に入れられるようにしてやることだ。ルソー』


『幸福な家庭はどれも似たものだが、
不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである。トルストイ』
  


Posted by mister_kei0918 at 07:06Comments(0)

2007年06月25日

自分のために開いているドアが別にある

気づきの時々

私などはいつもそうですが
後悔の連続です。

自分が他人より劣っていると気づくとき、
もう少し努力すれば良かったと気づくとき、
あの時、このようにしておけばもっと素晴らしい結果になっていただろうと気づいたとき、
逆にこんな事をしなければ良かったと気づいたとき、



いろんな場面で気づく事が多いものです。それが良しきにつけ悪しきにつけ後になって気づくものです。

それはそうですよね、
確実な予知能力があるとか、予感があれば別ですが一般的な人間には物事の結果がもたらす事の事前予想なんて、我侭な自分勝手でしかも都合のいい予想にしか過ぎませんよね。

家庭のことも会社の事も社会活動も全てそうです。

こんな事を考えますとその気づきの時こそ最善のチャンスではないでしょうか。

そのときにどのような対応に終始するのか、今後の其の時に備えて自分のあり方をどう変えていくのか。

幾度となく訪れる気づきのときに少しづつ少しづつ自分の変化を作り出していく事が今度の気づきは前の気づきと異なって新しい段階の気づきを創造してくれるように思います。

新しい気づきの創造は以前のものとは異なり、確かにレベルの違うものになっているはずです。

漫然とただ気づくのではなく、気づきにどのように対応してきたかが人間としての高まりをより実感できるような気が致します。


『閉まったドアを見ていると、自分のために開いているドアが別にあることに気づかない場合が多い。ヘレンケラー』


『小才は、縁に出合って縁に気づかず、中才は、縁に気づいて縁を生かさず、大才は、袖すり合った縁をも生かす。柳生家家訓』


『時のすぎるのが早いか遅いか、それに気づくこともないような時期に、人はとりわけ幸福なのです。ツルゲーネフ』


『人間は自分がすでに自分のうちにいだいている世界にしか気づかぬものである。サンテクジュべり』


『本人は気づかないが、いつも拡大鏡を持ち歩いて、人の欠点ばかりのぞき回っている者がいる。ジョンワナメーカー(米実業家)』   


Posted by mister_kei0918 at 13:14Comments(0)

2007年06月24日

家族同様に愛し、大切に育て、その逞しさや勇気を称え

行ってきました「闘牛フェスティバル」

昨日と今日、開催されている「闘牛フェスティバル」に昨日の午後出かけてきました。

http://www.n-global.co.jp/togyufes/togyufes_f.pdf

私のふるさとである奄美大島の物産と闘牛が中心で行われますし、私自身が郷友会の会長も仰せつかってますので側面的に支援をさせていただいた経緯もあり顔を出してきたのです。

天気が気になってましたがそこそこの皆さんが見物に来られてましたので安堵をしたところです。

闘牛というと一般の方々はスペインの闘牛をすぐ想像される事でしょうが日本のあちこちで昔から行われている闘牛はそうではなく性格を異にします。

牛を家族同様に愛し、大切に育て、その逞しさや勇気を称え、楽しい娯楽の対象になっています。

牛同士の戦いに必ず側に人間が数人介添えをし、大きな怪我に至らないように配慮しますし、また、牛は自分がかなわないと思うと逃げる習性を持っていますので、それをもって勝負がついたと見なすからです。

スペインの闘牛のように牛の体に人間が刃物を突き刺すような残酷なものでは決してないのです。

奄美群島・徳之島 観光物産展が併設され、入場無料です。またそれだけではなく福岡や地元の多くのお店や屋台も出展されてました。

23日は日本各地で行われている闘牛が紹介されてました。
新潟山古志闘牛、岩手平庭高原闘牛、島根隠岐の島闘牛、愛媛宇和島闘牛、沖縄うるま闘牛、徳之島闘牛、韓国清道闘牛、こんなに多くの闘牛大会があるんですね。

24日は徳之島闘牛大会が行われますが私の想像ですが一番面白く、一番盛んな闘牛大会なのではないでしょうか。

今日は本当の闘牛が見れますのでお時間の取れる方は行かれてみては如何でしょうか。
福岡からはちょっと時間がかかりますし闘牛は有料ですが。

チケットはローソンでも購入できると思いますし、会場でも発売をしています。

私は今日も出かけてきます。滅多に見れるものではありませんしね。
  


Posted by mister_kei0918 at 08:01Comments(0)

2007年06月23日

小豆島?村上水軍?平家?

昨夜はこんな集まりが

昨夜は○○会という会を開催してきました。

集まった方々は○○という苗字を持つ方々の集まりです。
同じ親族でもありませんしその苗字の多い地区の方々が集まったわけでもありません。

実は10数年前に呼びかけて作った会なのですが当初は同じ苗字を持つという事だけで集まってくれるのか、あるいは集まった皆さんが共通の話題で盛り上がっていただけるのかと心配もしましたが結果は充分すぎるものだったんです。

昨日までは全く関係もゆかりもない方々が、急に集まって名刺交換や挨拶を交わした途端に昔からつながりがあるかのごとき状態になるから不思議なものです。

名前の由来は何処から来たのか、
家紋はどうなっているのか、
家族は、
出身は?
疑問や話は尽きる事はありません。

昨夜も長くて2時間と思っていましたのに結局は3時間を過ぎ、お店に迷惑をかけてしまいました。

どうも小豆島が発祥の地ではないかとか、村上水軍と謂れがあるとか、平家と関係があるとか、諸説紛々の状態で憶測の雑談は尽きる事はありませんでした。

語りつくした○○さんたちは次回の逢瀬を約束して夫々に散会を致しました。

ただ、苗字が一緒というだけで、胸襟を開いて和やかな雰囲気が醸し出せた事に満足感と輪を広げる事の大切さを痛感した昨日の夜でした。

お世話をして良かったと心地よい酔いを感じながらの帰宅です。
  


Posted by mister_kei0918 at 07:09Comments(0)

2007年06月22日

年金の話

知らない事って多いものです。

19日は午後から年金の話を聞いてきました。

今、大変な話題になっている年金問題ですが以前は年齢が該当すれば当然貰えるものであり、それも支払った期間や金額に該当する分は応分として必ず貰えるものと信じきってました。

ところが最近の社会保険庁の大変な問題が噴出して以来、信用の出来ないものであり、しっかり自己管理をしておかないととんでもない事態となり、苦しい老後を迎える事にもなりかねない。

有り難かったのは自分の年金はいくら貰えるのかをいつの時点でも事務所に行けば把握ができる事がわかった事と会社任せにしないで自分でも意識をして管理をしようとする姿勢が生まれたこと、大事な事は年金を期待以上に貰う術が若しかするとあるのではないかと研究を重ねる人々が出てきた事でしょうか。

私自身も年金世代に近づいてきましたので、自分のもらえる年金がどうなっているのか社会保険事務所へ行ってきましたし、銀行等の行うセミナーへも数度足を運びました。

それと、行く行くは企業経営をしながら年金を貰うことになりますのでもらえる年金の額と会社から貰う報酬のバランスをどのように取っていく事が一つの課題となってきます。

経営にもプラスししかも年金は満額戴きたいわけですから当然そこは知恵の出しどころでしょうか。

それは私のように年金に疎い人間がいくら知恵を絞っても出てくるわけはありません。
その事を教えて頂くためにセミナーへ参加しました。

やはり研究を重ねている人は偉いものです。素人の私にもわかるような解説で入り口には到達したように思います。

知らない事って多いものです。生齧りや知ったかぶりをしないで直に教えていただくのが一番のようです。
  


Posted by mister_kei0918 at 13:07Comments(0)

2007年06月21日

あなたの様な花でした

くちなしの花と淋しい笑顔

今時の花で私の印象に深いのは紫陽花とくちなしの花でしょうか。

雨の時期と重なってますのでつい紫陽花に深いイメージが強すぎますが濃い緑の中に白く際立つくちなしの花も捨てたものではありません。

風下にいると遠くからでもその匂いを感じる事ができます。
香りの強さでは春の沈丁花、秋の金木犀、今時のくちなしでしょう。

庭の片隅だとか生垣のはずれに捨てられたように咲いているくちなしの花は何処か淋しそうで可憐な女性を連想させます。

くちなしと珍しい名前がついてますが調べましたら実の口が開かないところから”口無し”の名になったとも、実にある突起部分をくちばしに見立てた「クチハシ」からの変化とも言われるようです。

くちなしの花といえばつい、口をついて出そうな渡 哲也さんの「くちなしの花」、下手な私でも歌えそうです、
照れ笑いの中に歌う渡さんの姿が浮かびます。


『水木かおる 作詞 : 遠藤 実 作曲
いまでは指輪も まわるほど やせてやつれた おまえのうわさ
くちなしの花の 花のかおりが 旅路のはてまで ついてくる
くちなしの白い花 おまえのような 花だった

わがままいっては 困らせた 子どもみたいな あの日のおまえ
くちなしの雨の 雨の別れが いまでも心を しめつける
くちなしの白い花 おまえのような 花だった

小さな幸せ それさえも 捨ててしまった 自分の手から
くちなしの花を 花を見るたび 淋しい笑顔が また浮かぶ
くちなしの白い花 おまえのような 花だった』


「薄月夜 花くちなしの 匂いけり」 正岡子規

くちなしの花には
大きな緑色の虫(名前が判りませんが)がつくのをご存知ですか。
こんな事からも、やはり可憐なうら若き女性を連想させます。
  


Posted by mister_kei0918 at 07:42Comments(0)

2007年06月20日

酔いしれて、やがて燃えつきるから

「謙虚でいたい、謙虚でいたい!!」

「素直な心からは謙虚さが生み出され、謙虚さから人の話に耳を傾けるという姿勢が現れてくる」。松下幸之助さんの言葉です。

年を重ねたから偉いわけでもなく、世界一だから人間として素晴らしいわけでもなく、社長だから社員より抜け出た才能を持っているわけでも、親だから子供より高邁であるわけでもありません。

私もそうですが人より幾らか何らかの能力が秀でている、知識が長けている、財産や地位に恵まれているとしたらつい誇らしげで人間的にも優位に立っているかの如き錯覚に陥るものです。

私のようについ肝っ玉の小さい者にしたらそれはもう天下を取ったような勢いになってしまいます。
今のところそんな能力を持ち合わせていないからいいのですが。

片や人間って人より優れていると実感すると如何にも自分の本来の姿がそうなんだと思い込み勝ちですよね。
実はそうではなくて家族や社員や知人友人の支えやチャンス、そんな土台の上に立っていることを忘れてしまうものです。

「謙虚でいたい、謙虚でいたい!!」と心の中で叫んでいて丁度いいくらいのようです。
社会の中には社会的な地位も色んな才能も持ち合わせていながら、訳隔てなく、謙虚に、つましく接していただける方がおられます。

そんな方々はどのようにしてそんな姿になってられるのでしょうか。

中には全く頓着のない方もおられますよね、簡単に言えばお構いなしとか人の目など気にならないという人。

でも一般的にはそうではありません。

こんな文章に出会いました。
*********
『ある地区で講演し、その二次会の居酒屋で。その中に、65才くらいの占い師の男性がいた。

私の講演を聞くのは二度目だという彼は、
「○○さん、最後に勝つのは駿馬ではなく駄馬だ、というあの話、私も基本的に賛成だ」
「○○さん、人は長所でつまずくんだ。短所でつまずく人は滅多にない。なぜなら短所の方はそれを自覚しているから用心する。だが、長所の方は、それで自分がつまずくなど思いもよらないからそれを伸ばそう、変えようとしない。それが失敗につながるんだ」という。

なるほど、一理ある。

たとえば話し上手。話術が巧みな人は話術の才能でのし上がっていくが、慢心すると、その話術で墓穴を掘る。

イケメン俳優はイケメンを鼻にかけて失敗し、営業力に自信をもっている社長は自分の営業力の強さ故に社員に強い営業部隊を作ることができないで失敗する。

ではどうすればよいのだろう。長所が失敗につながりやすいのなら、長所をなくせ!という議論なのだろうか?

そのあたりを占い師の彼に尋ねてみると、
「だから人は謙虚でないとダメなんだ」と。
表面的な謙虚さだけではダメで、本当に心の底から「いいえ、まだまだです」という気持ちがなければならず、それには高い理想が必要だと。

高い理想があれば今の自分の才能や実績に慢心しているヒマはない。

先日の日曜日、カンヌでグランプリをとり、白鵬が横綱取りをほぼ成功させ、牝馬が64年ぶりにダービーを獲った。

彼ら彼女らは目標を達成したわけだが、おそらくゆうべは勝利の美酒に酔いしれたことだろう。

立ち上がれなくなるまで飲んで騒いで構わないだろう。
それほどの快挙なのだから。

だが、酔いからさめるとき、次の目標を定めてチャレンジャーになることができれば、謙虚さは自ずと備わるはずだ。

四年に一度の五輪大会に随行する各国のメンタルコーチが一番難しい仕事は、敗れた選手のフォローではなく金メダルを取った選手のフォローだという。
酔いしれて、やがて燃えつきるからだと。

まとめ・・・謙虚さは力だ。

人は長所でつまずく。だから、今の長所なんてまだ長所とは言えないと思えるほどの高い理想をもって、謙虚でいられるようにしよう。』
**********
  


Posted by mister_kei0918 at 10:09Comments(0)

2007年06月19日

是非お聞きくださいませ

父と娘のあいだ

2世代家庭の関係でも父親と男の子、父親と女の子、母親と男の子、母親と女の子、父親と母親というか夫婦、男の子と男の子、男の子と女の子。夫々に面白い関係ですよね。

時には葛藤もあり、確執もあり度々ドラマのテーマに登場するのも頷けますし、貴重で大事な関係でしかも最大の関心事ですものね。

当然家庭があるから苦しみにも立ち向かう勇気も出ますし、幸せの源だったりもするものです。或いは家庭が頭痛の種だったり足かせだったり、難儀な存在だったりも致します。

いっそ家族なんてなければ良かった等と言われたりも致します。

夫々の家庭のあり方、夫々の親子の関わり方や成り立ちは千差万別、一つとして同じ形なんて存在しないでしょうしましてやひと括りにしてなんか言えるものでもありません。

17日が父の日のこともありますが私と娘の事を書きますね。

私は当然父親ですから妻との関係、長男次男との関係、長女との関係があるわけですがとりわけ娘との関係は長男次男とは違って不思議なものです。

面と向かって話すのは照れくさいし、気にはなるけど余り踏み込んではいけないような。

娘にしても時には親父にベトベトしてみたり、時には突き放してみたり、文句を並べてみたり。

時には箸の上げ下ろしを咎めて見たり、天にも昇るが如く褒めちぎってみたりも。

かと思うと、「おとうさん、ビール飲もう」とか、「中洲の店に連れて行って」とか「おとうさんの飲み会に連れて行って」とかも。

時には家内と3人でカラオケにも。当然選曲には時代の隔たりも凄いものがありますが。

当然、門限には厳しいんです。
自分の門限は案外無頓着なんですけどね。

時にはこんなことも言います「おとうさん、誰か結婚相手を探してきて」。誰が知るもんですか、自分の相手くらいは自分で探さないとね。

早く結婚して欲しいんです。
父としては難しい判断ですが親の側にいつまでも置いていてもいけませんし自分の幸せは自分で掴む、そんな努力もして欲しいんです。親から貰った幸せに胡坐をかく娘であって欲しくはないんです。気持ちの片方では友人や知人に相談して相手を探してやろうかと思う心もないではありませんが。

最近こんな歌が流れ始めました。
私は怖いおとうさんのタイプではありませんが世間の冷たさや怖さは教えたつもりです。


父と娘のうた  大津貴子
「あなたが怖いから 逃げ出してみたけど
世の中はもっと怖かったよ
あなたの酔っぱらって怒った顔も怖いけど
本当に世の中は もっともっと怖かった


あなたが生きた景色は あなたを決して忘れない」


おとうさんとしては癒される歌です、
是非お聞きくださいませ。

普段でも余りいい評価を頂けないおとうさんですが、少なくともわが娘だけにでも何時か「素晴らしいおとうさんだったね」なんていわれる時が訪れて欲しいものです。
  


Posted by mister_kei0918 at 07:01Comments(0)

2007年06月18日

濡れた体を囲炉裏(いろり)の側ににじり寄せて

雨の日って嫌いですか?

先日から北部九州が入梅をしたかと思った途端に関東地方もそうなってしまいました。

鬱陶しい日々ですよね。

昨日も福岡市内は午後7時ごろに集中的な雨になりました。
というかこの時期の雨は極めて狭い範囲に集中的に降りますから全域とは限りませんよね、若しかすると私のいる所だけだったかも知れません。

皆さんは雨は如何ですか。
嫌でたまらない方、そうでもない方、却って嬉しいか全く気にならない方がおられますよね。

集中的な豪雨は誰しも好きという方はおられないでしょうけど。

農家だから当然雨が降らないと作物が育たないとか、雨不足で水が足らなくなるような状況では困るから雨が降ってほしいとかではなくて、心情的に本当に雨が降っても気にならない方っておられます。

私もどちらかというと殆ど気にならない方。
私の子供達の中でも長男は特別に嫌でたまらないほうのようです。
次男と長女はそんなに気にするようには見えません。
家内は嫌なほうでしょうか。

最近の子供さんは殆ど嫌いに見受けますが如何でしょうか。

私共の小さい頃は雨は殆ど気にならずわざと雨に打たれるのを喜んでいたようにも思います。
服装もいい加減なものしか身につけてませんし濡れて帰っても気にするような立派な家でもありませんし。

濡れた体を囲炉裏(いろり)の側ににじり寄せて乾かしていたような、暖めていたような気が致します。

そんな風情がまた、似合う時代でもありました。

多分心のゆとりもそうなんでしょうね、
少しの事にも動じない、
自然の営みを当然のものとして受け入れていたのでしょう。


「濡れているものは雨を恐れない。  ロシアの諺」

「晴れた日は晴れを愛し、雨の日は雨を愛す。楽しみあるところに楽しみ、楽しみなきところに楽しむ。 吉川英治」  


Posted by mister_kei0918 at 20:04Comments(0)

2007年06月18日

「髪梳く女」と「水浴の前」

「ヌード」と棚田と集中豪雨

何だか奇矯な不釣合いな、可笑しなタイトルになりました。

昨日の午後から家内と二人で久留米地方へ出かけました。

一番のお目当ては4月14日から7月8日までの期間、久留米市の石橋美術館で開催されている「the ヌード」に出かけました。

先週の日曜日に出かける予定が私の予定でキャンセルとなり昨日になったものです。

外国の作者ではロダンの「考える人」やピカソの「三人の裸婦と笛を吹くサティロス」、ロノワールの「水浴の女」、マティスの「横たわる裸婦」。

日本人では、青木繁、北村西望、藤島武二、岡田三郎助、黒田清輝、古賀春江・・・・・。

日本ではヌードを描くことは明治以降のようですが始めて公開されたときは大変な騒ぎだったようです。

私と家内の目を一番に引いたのは岡田三郎助さんの「髪梳く女」と「水浴の前」。やはり写実的な絵が好きなんですね。何度も何度も振り返って見ておりました。

その後は星野村の棚田を見に一路、吉井町方面へ。

中千足の交差点から星の村へ山越えをしながら棚田を見る予定が吉井町に入ったとたんに曇り空から次第に雨模様に変ってきました。

でも此処まで着て折り返すのも惜しく、次第に山間に入るにつれて豪雨に近くなってきました。多分山の頂上まで来た頃にはワイパーを最速にしても拭いきれないほどの豪雨となり、やむを得ず引き返す事に。

多分、あと少しの棚田だったんでしょうが「落石注意」の掲示は目に付くし夕刻には子供たちが「父の日」で我が家へ来るとのことでもありましたので決断宜しく引き返しました。

残念でしたが家内とは「ドライブしたと思えばいいか」などと悔し紛れに慰めながら家路を急いだものです。

雨雲を尻目に福岡へ来ましたら全く雨の気配もありませんでしたが、午後の7時ごろでしょうか、凄い雨が降ってきましたがやはり気象は北上するんですね。一度は抜け出た雨でしたが結局は追いかけられてたんですね。

慌しい一日でした。でも時には素晴らしい世界的な絵に触れるのもいいもんです。

絵の詳しい事は未だに判りませんが絵に興味を持ち始めたのは10年くらい前でしょうか。
やはり石橋美術館で開催されていた「マリー・ローランサン」の展示会に偶然に立ち寄ったところから始まりました。
  


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2007年06月17日

時間を惜しまず出席

神仏混淆と日韓親善

昨日は午後から比較文明学会(明治大学に事務局はあるようです)の九州支部の例会に出かけてきました。

会員の中に存じ上げている方がおられて参加の招請があったわけですが私にとっては少し難しい話ではありました。でも宗教も隣国の韓国の事も極めて重要な事ですから大変な勉強になりました。

最初の内容は「北部九州の宗教文化・・神仏混淆と神仏分離」というタイトルで福岡大学人文学部、白川琢磨教授のお話。

太宰府天満宮や筥崎宮は神社なのかお寺なのかというお話だとか、
大変な影響を与えた明治政府の係わり、
古くから伝わる神楽の変遷や現状についての話。

普段なかなか聞けない話でしたので日頃役に立ちそうです。

二つ目は「私が歩む日韓親善の道・・その過去・現在・未来」と題して長崎シーボルト大学教授、元駐福岡韓国総領事、元韓国バチカン大使・徐賢燮教授でした。

日本滞在が長く、しかも極めて日本通の教授のお話は興味深く大変な勉強をさせていただきました。

韓国内における日本へのバッシングや非難の中でも日本や日本の人々の思い、歴史を真正面から見据えて訴えられ、日韓親善にいかに重要な役割を演じられたかが理解できました。

また韓国で30万部の大ヒットとなった「日本はある」の著作の話も日本を理解させるために大いに貢献したようです。

最期は竹島の問題、日本の若者、とりわけ大学生がいかに勉学に真剣でないのかをお話になられ大いに反省も致しました。

実は当日の午前中まで出席の意思が固まらずにいましたが時間を惜しまず出席をした分、いい勉強になりました。
  


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2007年06月17日

それは反面教師となるのかもしれない

父親の生き様を見てて欲しい

今日は父の日って事はわかっていても自分の気持ちの中に一緒の高揚感みたいなものは出ては来ません。むしろ家内の母の日の方が何かしらワクワクしたものです。

それは子供たちが来てくれる、幼い孫たちが騒いでくれる。そんな期待が渦巻くからに他ならないし妻の日頃の苦労や努力が一瞬にして癒されると思うからである。

父の日は子供たちも孫たちも来てはくれるが自分のお祝いなんて可笑しくて、恥ずかしくて照れてしまいます。

自分が主役なんてそんな場面は要らないし、私は妻を始め彼らの生活的基盤、社会的な基盤、磐石の会社を作るのが私の勤めであり、ブルトーザー的な存在だと認識している。

彼らの将来に必要な土ならしこそ私の父親として受け取った仕事だと思っている。

過去もそうであるが当分の間の私は傍目から見ても大変なスケジュールに追われ、大事な役割をキチンとこなしながら会社の運営も120%の全力投球で行くと思われる。

ボランティアにも精を出し、若い方々への接点も作りながらその傍ら中洲へもせっせと足を運び、友人知人との交流も手をぬく事はしない。

業界活動も決して中途半端は嫌い、20年の皆勤だってきっと果たすでしょう。

これはとりもなおさず、子供たちに中途半端な私の姿は見せたくない、見せるなら全てが手抜きをしない全力投球の私の姿でありたいと思うからである。

私の生き様を見てて欲しい・・・それは決して子供たちの生活に決して直接的に役に立ったり影響を及ぼすものではないけど知恵も知識も、地盤も看板も皆無といっていいほどといってもいいかもしれませんが、そんな父親がどんな生き方をしたのかをつぶさに見ていて欲しい思いがある。

それは反面教師となるのかもしれないし、部分的に捨て去りたい部分、全く参考にもならない事なのかも知れないけど、人間が一生懸命生きる事ってこんな事なんだとかけらでも掴んでくれると嬉しいと思っている。

最近になって子供たちに見せてきた人生の歩み方に少し反省する点、修正する点が出始めている。

決して過去を否定するものでもなく後悔も決してしてはいないが、時代に即した生き方があることを始めて知り私が数十年に渡って持っていた人生観を幾らか修正をする事にしている。

今までだって生き方に挑戦的に、しかも粉骨砕身、しかも人との関係に重点において生き抜いてきましたのでその基本的な姿勢は寸分も揺らぐ事はありません。

子供たちに「私の残る生き様を見てて欲しい」と敢然と言い切るためには当然そのような生き方を求まられるわけであり、今までの生き方だって決して中途半端なものではなかったと自信を持って胸が晴れる。

残る人生は決して長いものではないにしても子供たちに恥じることなく、「私の残る生き様を見てて欲しい」と告げてみたい。   


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2007年06月17日

何か、目頭が熱くなってしまいました

父の日のありがとうはまだ要らない?

そうですね、父になって?十年は経過しましたが、何か父親らしい事をしてきたのかと問われるとはたと返事に窮するというのが今の心境でしょうか。

私自身が父親と一緒に生活をした経験がないということにも起因しますが、比較するものを余り持ち合わせていないという事もあるでしょうし、これが父親なんだという確固たる物を私自身が見つけていないという事にもよるのでしょう。

今は家庭に父親と母親の役割分担がはっきりしない状態であるとよく言われます。むしろ二人とも母親だったりするのではないでしょうか。

良く「うちのおとうさんはテレビ」などと揶揄もされますが、本当にそんな時代になりました。

本当はそうだからこそ「おとうさん、しっかり」と声援をしなくてはいけないのでしょうが。

家庭における今は母親の存在や役割だけが表面化し、父親不在の家庭が増えているといってもいいと思います。

色んな事情が複合的に重なっているのでしょうが。

ご多聞に漏れず私はその代表選手みたいなもので子供たちが独りでに順調に逞しく育ってくれたというだけにも思えるのです。

従って父の日だからといって、改まって「おめでとう」等と言われると非を悟らされるような思いに駆られ極めて居心地の悪い状態に追い込まれてしまうのです。

数日前から家内には子供たちから話があるときは「父の日のお祝いはしないように」と言いなさいと釘はさしてはいますが。

これからが私の本領発揮、父親としての存在意義を問われる時期になってきたと考えてますのでその後で充分だと思っているのです。

私自身が父親として充分な役割を終えた頃であれば甘んじて「おめでとう」を貰いたいと思っていますから。

そんなときがいつ来るかは定かではありませんが、私がこの世に残す最大の財産は子供たちですから彼らにも充分納得した状態で、かつ私自身が満足のできる子供たちへの役割が達成できたとき、そのときこそが彼らから「おとうさん、有難う」の声を聞きたいものです。

出来れば、その時に子供たちのつれあいや幼い孫たちからもそのときこそ「ありがとう」って言って欲しいと思います。

それは私の終焉を迎えるときでもいいと思っています。
それまでには自分の満足できる父親を演じてみたいものです。

そのときこそ晴れ舞台に立って「有難うね、幸せになるんだよ、後は頼んだよ」などとあっけらかんに舞台の裾から去って見たいものです。

何か、目頭が熱くなってしまいましたが、

いつの日か彼らにこそ、しっかり「ありがとう」って言っても見たいものです。
  


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2007年06月16日

神様が素敵なプレゼントを!!

コンプレックスがエネルギーの源泉?

昨日、NHKラジオに登場された今注目の方が登場されてました。

2度ほどご本人の講演をお聞きした事がありますが剛毅朴訥、どちらか言うと愛想のない、ぶっきらぼうな方。初対面はそんな感想でしょうか。

でも、お話を聞いていくうちに仕事に対する情熱や取り組む姿勢、暖かさを感じる表情やしぐさ、これはまさしく世界一の仕事をされる方だと実感をしたものです。

年齢は72歳、とは言われますがまだお若い。
やはり中途半端ではない、並外れたものづくりへの情熱が年齢を感じさせないのでしょうね。

東京都墨田区、岡野工業株式会社代表社員の岡野雅行さん。
ご本人は名刺に代表社員と書かれておられるようです、実際は代表取締役ですよね。言われるには6人しかいない会社で社長なんか要らないよっておっしゃるんです。

世の中、一人でも或いは自分一人なのに社長社長と呼ばせている向きもないではありませんが。
肩書きなんて問題ではないんです。
人や社会に必要なものづくり、開発こそがご自分の使命と心に決めておられるのでしょうしそれが自ずと自信に結びついているんでしょうね。

数々の類例のない、しかも社会に欠かせない開発をされておられますが私どもに知られるところでは携帯電話のリチュームイオン電池ケースを世界で始めて作られ携帯を始め様々な商品や技術開発の進展に大きく貢献されてますが、このたびはまたまた驚く「蚊の針と同じ太さの注射針」の開発製造に成功されておられます。

2005年のグッドデザイン賞にもあのipodなどを尻目に受賞されたとのことです。

社会や世界にこれほど役に立つものはないという評価を受けたのでしょう。どんなにか病気で悩まれる方々のお役に立てたかは想像に難くはありません。

世界初で市場占有率100%。
こんな事想像も出来ませんが日本にもこんな方がおられる事に驚くと共に日本人の資質に改めて感激を致します。

そこまで駆り立てるものはなんですか?の問いに

「コンプレックスがエネルギーの源泉」と言われます。
ご自分は高校中退にもかかわらず、世の中の何処にもって行っても出来ない作れない、大学の先生方も不可能という技術の開発に高校中退というコンプレックスは欠かせないのだと発言をされました。

人の出来ないことに挑戦する喜びや達成感を味わうのには睡眠時間も惜しんで努力もするけど、コンプレックスがエネルギーの源泉だと公言をされます。

それと若い頃から遊ぶ事ですといわれます。
私ども凡人は遊ぶ事といわれると「そうそう遊ぶ事は大事、若いうちは酒ものんで女にうつつを抜かして、大いに遊びなさい」なんていいますがそんな遊びではないのです。
小さい頃から興味を持って物事を見る癖を養いなさい、創意工夫する工夫をしなさいといわれてるのです。

もう若くもない私が今頃地団駄を踏んでも仕方がありませんが、今だからできる事を探し求める事でしょうか。

劣等意識を持っているからと卑屈になるのではなく、だからこそ大きな原動力になるんだとの思いに転化をすべきでしょう。

神様が素敵なプレゼントをしていただいたとむしろ感謝の念に立ったとき、人生がそこから新たな動きを始めるかもしれません。

「負けるが勝ち」とも言います。勝手ばかりの人生なんてありませんが面白くもありません。負けがあるから、負けを知っているから人生って素晴らしいし楽しいし人生の機微も生じるものです。

人から教えていただく事って本当に多いものです。実践が伴った話は迫力が違います。
  


Posted by mister_kei0918 at 08:57Comments(0)

2007年06月15日

どんなに素晴らしい贈り物やプレゼントよりも

私にはその笑顔が必要だったんです

あなたにもそんな時がありませんでしたか。

例えば、子供の屈託のない笑顔で我に返ったり、元気を取り戻したり、癒されたり。

それは彼女でもいいでしょうし、
子供でも伴侶でも。
或いは夜な夜な中洲に出没する輩はママさんであったり、
スタッフのお嬢さんであったりするのかもしれませんが。
或いは社員や同僚の笑顔で心が和んだりもするものです。

お互いの表情はお互いの写し鏡と言います。

私の表情が曇っていれば当然相手の表情までもが曇ってしまいます。
逆だってそうでしょう。
明るい笑顔にはつい引き込まれたりもするものです。

「あばた(痘痕)もえくぼ」と昔から言いますが、それほど笑顔って必要だし、大切だし、有用だったんですよね。


「笑顔を忘れぬ人は常に歓迎される。フランクリンベトガ」

「剣でなぐりつけるよりも、笑顔でおびやかすがよい。シェイクスピア」


人は時としてあえてその事を演出する事もありますし、相手にも自分と同じ土俵に上げるために、笑顔を使ったり或いは含み笑いとか、人を蔑む笑いだって存在します。

笑顔に惚れるなんてこともありますよね。
そんなに美人でもないんだけれども素敵な笑顔を見せる女性。

「笑顔は百難隠す」といっても過言ではないのではと思ったり致します。

不釣合いなカップルって良くありますが世の中上手くできているんです。
人間夫々に持ち合わせがあって、押しが強かったりフィーリングの問題もありますがそんな行動だって素敵な笑顔が裏づけだとは思われませんか。

それだけでも人間の気持ちって絆されたり靡いたりもするものです。

そこに素晴らしい人間性を感じたりして。

人と人との係わりの始まりが笑顔では?。
つい素晴らしい贈り物やプレゼントよりもその人がどれだけ屈託のない目や笑顔で自分に接してくれているか、そこが見極めの一番のポイントのように思います。

私もそうですが気持ちに曇りがあるときにはつい笑顔がいつもの笑顔ではない事に気づいたら、引きつっているのが自覚できたりもするものです。

今日も一日、素敵な笑顔が振りまけるように努力もしてみたいものです。

でも、不必要な笑顔は疑惑を呼んだり、
気持ち悪かったりもしますし、
却って不信を招いたりもしますしね。

心引く優しい行動やしぐさ、言葉だって上手な笑顔が引き出してくれますし、笑顔を受け取った相手が優しく受け止めてくれるものです。

さあ、私も今日から!!
  


Posted by mister_kei0918 at 09:14Comments(0)

2007年06月14日

夜の繁華街では似たような光景が

蛍の乱舞

去る6月9日土曜日、会議の終わった夕刻でした。急に思い立って蛍見物へと家内を誘い出したものです。

地名を申し上げると、混雑に拍車をかける事になってはいけませんので差し控えさせて頂きます。

蛍で有名な所で地名は良く聞く場所ですが大よその事しかわからない為にカーナビを頼りに約一時間くらいでしたでしょうか。

小さなダムの近くですので当然夜道は真っ暗に近く、駐車場はあるものの草はボウボウで満車状態。

当然蛍を見に来てるわけですから、街路灯もあっては困りますし警備の方々もおられますが全てが真っ暗。

車から降りておぼつかない足元を確認しながら目が状況に慣れるのに暫し時間が必要なくらいでした。

多くの家族や若い二人連れが行きつ戻りつする中を蛍が飛び交う川面へと近づきました。
子供たちの大きな歓声の先を見るとほの走る光が尾を引きつつ流れる様はまさしく昔の幼い頃の光景と何変わるものはありませんでした。

ただ、川の法面がコンクリートの硬い厚い側壁に変っているくらいでしょうか。

遠くに見える都会のきらめきを傍目に暗闇の草むらに舞い飛ぶ幻想の蛍に目を凝らす時、都会の片隅での出来事にすぐには自分の感激を重ねられない思いが致しました。

自然を失った、或いは遠ざかった者達には、戻る事に躊躇があったり戸惑いがあったりするものです。

都会の喧騒が体に染み付いた我々にはもう隔離された別世界の事になってしまったのでしょうか。

そこかしこに体に纏付くように飛び交っていた蛍を眺めていた昔とはやはり大きく隔絶の時間が存在しているようです。

蛍籠や、手作りの紙袋の中に納まった蛍をそれは大事に家まで持ち帰ったものです。時には手のひらに載せたりして。

梅雨前線が北部九州にまで到達しました。
湿度90%以上のところを好むようですから絶好の蛍見物の時期といってもいいかも知れません。

人間と違って蛍の世界はメスが交尾相手のオスをおびき寄せるための幻想的な光のようです。

そういえば、夜の繁華街では似たような光景が繰り広げられるといえば言いすぎでしょうか。

煌びやかなファッションと光り物と厚化粧に彩られた女性たちが、千鳥足で徘徊する男どもをおびき寄せているようにも見えない事はありませんが。

暫しの蛍見物の後、何事もなかったように都会の喧騒に舞い戻る自分が如何にも自然体で不思議な気がしないでもありません。
  


Posted by mister_kei0918 at 07:23Comments(0)