スポンサーサイト

上記の広告は2週間以上更新のないブログに表示されています。 新しい記事を書くことで広告が消せます。  

Posted by スポンサー広告 at

2008年11月30日

泥にまみれ、時には一人涙を流す日々

「夫」って何者?

先日、社員の結婚式にご招待を受けました。

やはり、新しい門出を迎える二人は初々しいですし、これからの世界に大きな期待を膨らませている姿は見ていても嬉しいものです。

私ども以上に幸せであって欲しいものです。

家庭や家族を持つことがどんなに素晴しいことであるかを実感して欲しいものです。

子供も有り難い存在です。

いろんなことを教えてくれますし、大きな支えにもなってくれます。
また、社会的にも活動の場を広げてくれますし、大きくなれば同じ人生を歩む同僚にもなってくれます。

妻には頭が上がらないのは私だけではないでしょう。

新しい人生を作ってくれますし、
男として大きく成長もさせてくれます。
人間としての力を与えてくれもするものです。
第一、 子供だって作って?くれますし、
夫にだってしてくれるんです。

結婚式の時、主賓挨拶と乾杯をさせていただきました。
余り上手はいえませんでしたが、「夫」って何者なんだという話をさせていただきました。

夫妻、妻の字はかんざしをつけてかしずく女性の姿ですよね。
夫婦、婦の字は箒を持っている女性の姿。

では夫の字は、大の字に冠をつけた姿です。
字の形、象形はそうですが、私は意味づけをしたいのです。

夫の字は大に冠ではなくて、数字の二にしました。

二の上の短い一は
妻から「人としての信頼を得た人、もしくは得ようと努力する人」、

下の一は妻から「幸せをもたらす人、もたらそうと努力する人。お互いの人間性を高めようと努力する人」と定義つけました。

私の勝手な作り事です。

常に夫はそう在りたいを努力を重ねつつ、そうであるのかと自問を繰り返す必要があると思っているのです。

だって、妻や家族を幸せにする義務があり、大黒柱であります。生涯それを放棄するわけには行かないのです。

それが夫としての最大の喜びであり、最良の生きがいなのではないでしょうか。

「人生山有り、谷有り」「苦心惨憺」「葛藤の日々」です。

そんな中にあって、泥にまみれ、時には一人涙を流す日々があっても妻や家族の微笑む姿こそ夫の本望とすべきでしょう。

妻にとっては良き夫、子供たちにとっては良き親父、親のとっては良き息子・・・
演じるのはいよいよもって大変ですが、でも人間演じきれるものです。

私にとってはまだ道半ばですが、そんな夫でありたいと念じつつ。
  


Posted by mister_kei0918 at 16:14Comments(0)

2008年11月29日

「慢心に胡坐をかいた結果」こんなことに

自分の経営力と勘違いしてはこんなことに

事業を永続的に経営することは大変に難しいことです。

世界中で日本ほど長寿の会社や商店が残っている国はどこにもないといわれます。
ずば抜けて、ダントツのようです。

それは日本人の国民性に由来していることが理由の多くではないでしょうか。

穏やかで粘り強く、質素で派手を好まず、
人とのつながりを大切に思い、地域やコミュニティを大事に守り、
お互いをいたわりあい、譲り合い、
団体行動を好み、外れることを嫌い、
人の誹謗中傷を嫌い、人を憎まず罪をこそ憎み、
争いを好まず、単一民族で、
島国で、南北に長く、様々な気候環境で、
歴史が深く、全ての神仏を大事にし、


最近は様相が異なってきました。

一つには欧米から入ってきたマスコミの影響が色濃く出ているように思います。
私の勝手な思い込みです。

事業が順調に推移するとつい自分の力だと勘違いしたり、過信したりもするものです。
そんな時ほど、気持ちを引き締めて、褌を締めなおさねばなりません。

本当に自分の力なのかしっかり検証することが必要なようです。

実は他力本願であったり、棚ボタであったり、偶然であったり、自分以外の力のお陰だったりすることが多いものです。

今日、こんなメルマガに出会いました。
いつも拝読している、尊敬している方のメルマガです。

『時々、奥さんを伴ってこの宿に来るのが楽しみな社長。お湯よし、料理よし、サービスよし、何拍子もそろってお値段1万4千円と大満足でした。土日でも比較的空いていて、「今度の週末どう?」「うん、行こうか」と思い立ったらすぐ行けるのもウレシイ所でした。

所が、あるバラエティ番組の旅コーナーで人気女優がこの宿を紹介。人気に火が付いてしまいました。

電話を入れても2ヶ月以上先でないと予約が取れないと言われ、あれほど常連客だった社長はぶ然。

あれから一年が過ぎ、そろそろいいだろうと思い、社長は予約電話を。

一月先に予約が取れたが、最後になってビックリ。なんと一泊の値段が2万円超。
その分だけ何かがグレードアップしたのだろうと、期待しながら行くと、料理も接客も前より悪くなっていました。

その後聞いた友人のウワサでは、値上げした後も暫くの間は連日満員だったが、徐々に客足が鈍り、今ではテレビに紹介される前よりもヒマになったというのです。皮肉なものです』


浮かれて、あるべき姿を見失ってしまったり、実力以上の結果を目前にすると人間はつい慢心になってしまうものです。

やはり「慢心に胡坐をかいた結果」、明日から気をつけます、いいえ今日からです。
  


Posted by mister_kei0918 at 08:53Comments(0)

2008年11月28日

神は乗り越え切れない壁は与えない

こんな時こそ事業浮揚のチャンス?

昨年の夏に始まったアメリカのプライムローンの挫折を契機にした金融危機は世界中を巻き込んで飛んでもない事態へと突き進み始めました。

多分、数年は世界中が苦しみの辛酸を舐め続けることになると思われます。

とは言いましたが
私自身、何も経済や金融を知らないずぶの素人ですが、若しかすると来年の後半には幾らか戻り始めるような気がしないでもありません。

零細企業の経営者のつたない感というか希望的な予測というか。

上場企業の倒産も30件を超え、戦後最大を記録したようです。

中小零細を加えると途轍もない数の企業が憂き目を見、従業員の多くが路頭に迷う結果が出てきています。

経済産業省の緊急経済対策や銀行への指導によってどれだけの企業が救われるのでしょうか。

焼け石に水でも困りますが、救済すれば助かる企業であれば助かって欲しいものです。

今回の一律12,000円の給付金も、或いは効を奏して町の中小のお店や企業に是非お金を回していただきたいものです。

出来れば銀行に預けないで買い物や消費に回して欲しいものです。

客足の減ったお店等にとってはとても有難いことになると思います。
望むならば、クリスマスくらいに配られるともっと良かったのですが。

こんなに消費が落ち込んだり、売り上げが思うに任せない時は経営も絞めるところは絞めて節約に励んだり、経営のスピードを落としたりもするものです。

逆に今こそ、ビジネスチャンスと捉えて知恵を絞って頑張ってこそ、真の経営ではないでしょうか。

お互いの傷を舐めあっていても少しも問題の解決にはなりません。

今のチャンスを失うと、若しかすると取り返しのつかない結果を生んだり、景気が戻った時の原動力やバネにならないかもしれません。

例え、業績のアップに繋がらなくても努力の証しは残るものです。足がかりになったりもするものです。

どうにかして、むしろ不況に強い企業にしてみたいものです。

明日からの一日一日が勝負。
そんな気持ちで挑んで行きたいものです。

「神は乗り越え切れない壁は与えない」と言いますから。  


Posted by mister_kei0918 at 20:54Comments(0)

2008年11月27日

新しい発見や発展があるのかも

恋愛にも日曜日が必要?

物事は熱中の余り、外が見えないことは良くあることです。

研究者が自分の取り組んでいる事は誰よりも素晴しく詳しいけれど、以外の事になるとトンと疎くて人と話しが合わないことをしばし見かけます。

物事を深く掘り下げることを決して否定するつもりも、蔑むものでもありませんが、人並み程度、常識程度の事は感心を持って欲しいものです。

私も若い頃はコンピューターのシステムに取り組んでいましたので、ほかの事への関心が薄く、毎日没頭をしていたものです。

その頃はコンピューターの技術者は極めて少なく、ある意味エリートでしたからどこに行っても重宝がられていたものです。

それに釣られたわけではありませんが、遊ぶことも忘れてそれだけに集中していたものです。

当然、今のようにアプリケーションが豊富に存在するわけでもなく、システム開発のノウハウが蓄積されていたわけでもありません。

開発言語もいろいろと問題をはらんでいたものです。

今から振り返ると、もっと時間のゆとりを持って遊ぶことも覚えながら、頑張れなかったのかと後悔をすることもあります。

過ぎた過去ですから、「その頃はそれで良かったんだ」と思う反面、悔やむことも時としてあるものです。

また、違った人生が芽生えていたかもしれませんね。
今がどうという事ではありませんよ。

恋愛もただ熱中するばかりではなく、時には冷却期間をおいて側から眺めてみると自分の恋愛でありながら、新しい発見や発展があるのかもしれません。


『恋愛にも日曜日がなければならない。
それが辛うじて永続させる方法である。亀井勝一郎(評論家)』  


Posted by mister_kei0918 at 16:18Comments(0)

2008年11月27日

或いは自然の摂理か

出来れば心穏やかな日々を

年の瀬を迎えるとどうも気忙しくていけません。

また、年齢を重ねる焦りなのか、仕事が輻輳する精か、
或いは自然の摂理か、
体のリズムか。

せめて年末は一年の締めくくりとして、穏やかに落ち着いて暮らしたいものです。

多分、昔から師走というほどですから忙しく険しいのが相場と決まっているのかもしれませんね。

人間は押し迫ると落ち着きを失ったり、精神的にも不安定にもなるものです。

もう後一ヶ月、数日でこの一年も終わりかと思うとそんな精神状態にでもなるのかもしれません。

経営をする身であれば、殆どの企業が年度末は3月末ですが、その時はまた異なった気忙しさや緊迫感に支配されたりもするものですが、やはり年末は人として落ち着かない日々を迎えます。

そんなことから開放されるとまた、落ち着かないのが人間。

穏やかな日々をと思いながら片方では「これでいいんだ」と納得する自分が可笑しくもなります。  


Posted by mister_kei0918 at 14:50Comments(0)

2008年11月25日

夢や希望のない単純な人生になりそうです

未来は見えないから面白い

苦しい時の神頼みといいます。
苦しい時にはせめて一寸の先でも、見えて欲しいものです。

ところが、見えないから悩みがあり、悶え苦しみ、或いは希望に燃えて夢見る楽しみも存在するものです。

明日の命が見えていたら、働くことも中途半端、いい加減、出たとこ勝負で人との関係などどうでもいい事になってしまうかもしれません。

明日までの命と思っても、
明日の命はあると分かっていても。

明日がどうなるか皆目分からない、いつ命が果てるとも知れない、十年後なのか、二十年後なのか、或いは明日までなのか。

それでいいんですよね。

幸福はいつ来るのか、或いはこの幸福はいつまで続くのか。
いつどのようにして不幸が押し寄せてくるのか、この不幸はいつまで続くのか。

いつまで努力をすれば報われるのか。

だから人生は先が見えない、読めないからこそ面白く出来ているようです。

努力すれば未来の幸福が確保できるということであれば、全ての人が努力するものです。
中には幸福なんていらないという人もいるかもしれませんが。

努力をしても全てが成功するとは決まっていないところがまた、人生の機微というところでしょうか。

努力にもまた、無駄な努力もありますし、報われない努力も存在するものです。

努力も何もしないで幸福を手に入れる人も出てきます。

確立から言えば、やはり努力をした人こそ報われる度合いは大きいように作られているようにも思われます。

逆にそうだからこそ、人間は努力することを覚えたような気がします。

「未来は見えないから面白い」、先の見えている人生などそれこそつまらない、夢や希望のない単純な人生になりそうです。


『創造は過去と現在とを材料としながら
新しい未来を発明する能力です。与謝野晶子』  


Posted by mister_kei0918 at 22:57Comments(0)

2008年11月25日

何か気忙しくて、落ち着かない時代

CD、DVDもいつの間にか

CD、DVDもいつの間にかこの世から消え去る運命にあるようです。

昔のコンピューターの媒体はパンチカードや紙テープでした。

それから、磁気テープやディスク、ドラムに変わり、フロッピーの出現でした。

フロッピーも最初はレコード盤のような12インチ。
8インチが出て、5インチでした。
もうそれも殆ど見ることが少なくなってきました。

パソコンにFDドライブのついていない機種が殆どになってしまいました。

USBメモリー、メモリーカードの出現でますますもって、従来からの媒体は肩身が狭くなってきましたし、存在価値が薄くなってしまいました。

片やハードディスクは驚異的な容量になってきました。
テラバイトの出現です。
メインメモリーもIGB、2GBは当たり前。

このままでは、当然CD、DVDは時間を待たずして消え行く運命は明白です。

そのうち、コピーしておいた映像や写真、若しかするとプログラムやデータまで読めない事態も予想しておかねばなりません。

コンピュータの世界は日進月歩、いいえ時間や秒単位で技術が陳腐化したり、開発されたりの世界になってきました。秒進分歩とでも言えばいいのでしょうか。

何か気忙しくて、落ち着かない時代になったものです。  


Posted by mister_kei0918 at 22:11Comments(0)

2008年11月24日

感謝、感謝!!

対馬に来ています

2度目の対馬です。

一度は大事を成し遂げる責任が伴っても対馬でしたから、出かけるのが精一杯、緊張と安堵が交錯する訪問でした。

ですから、観光とか見物とは大よそ頭になくてただ用件を済ませてトンボ帰りだったものです。

壱岐は何度か出かけたものです。

社員と一緒のこともありましたし、家族のみのゆっくりした訪問もありました。
歴史的な遺産も多く存在する島でした。

いつかは対馬へゆっくり出かけたいと望んでおりましたので、楽しみな旅でもあります。
しかも家族総出の旅ですから、その意味でも期待も大きいし、嬉しさも倍加するというものです。

やはり、歴史と国境の島です。

縄文、弥生時代の古墳の多さも驚いた一つですが、韓国を目の前にしている最前線の島ですから交流と困難を併せ持つ島であったことが実感できました。

時期が時期ですから紅葉の素晴しさも実感できますし、ツシマヤマネコや対州馬をはじめ、貴重な動植物の存在にも接することが出来ました。

今回の旅は、人のつながりの有り難さを実感すると共に、ご厚情に随分と甘える事になってしまいました。

そのお返しも十分に出来ない自分に歯がゆさも感じますが、いつかまたその機会もおとづれるものと思っております。

感謝、感謝!!の日々であると共に、家族の大切さを思い知る旅でもありました。  


Posted by mister_kei0918 at 22:07Comments(0)

2008年11月22日

ワシら、朝から何も食っておらん

いい夫婦の日・恋が消えなければ

いい夫婦の日。
11月22日、語呂は確かにいい夫婦の日の筈です。

カレンダーには夫婦の日と記載されてますが、夫婦の日は2月2日という方もおられますので「いい夫婦の日」で良いのでは?

夫婦二人だけで今日が夫婦の日と決めておられるご夫婦がおられます。

初めて出会った日、
双方の両親から快諾を頂いた日、
結納の日、
結婚式の日、
初めての子供を授かった日、
新婚旅行の初日、
新居に初めて入居した日



むしろその方が微笑ましかったりもします。

世間全体の記念日に乗るのではなく、二人だけの密やかなささやかな記念日を作っておいたほうがもっと気分的にも高まりますよね。

私ども夫婦は結婚式の日をそのように決めていたのですが、いつの日か多忙を極める私の精で久しくそんな機会を作ることがなくなってしまいました。

というよりもむしろ子供たちや孫の誕生日などの方に重点が移っていったというのも確かです。

家族が増えますと、自分たち夫婦のことよりもむしろ子供や孫の事に関心が移り、それの方が照れがなくて楽しかったりもするものです。


『恋が消えなければ、夫婦の愛情は起こらない。田山花袋』

『夫婦関係でも、また、嫁姑の関係でも、労使関係でも、友人関係でも、相手は人間である。この相手を知り、自分を知ることが、人との関係を保つ基本ではないか。三浦綾子「孤独のとなり」』


夫婦のこんな話し。
『大規模な災害がおこりました。夜の12時過ぎ、避難所にわずかですがおにぎりが届きました。二人に一つ。ある夫婦は「こんな中、ありがとうございます。二人で半分ずついただきます」。でもある夫婦は「ワシら、朝から何も食っておらん。こんな夜更けに握り飯一個だけか」。試練の時こそ、どう生きてきたかが試されます。』


お父さんと子供の会話。
『「お父さんは、なぜ目を覚ますの?」かわいい坊やがお父さんに無邪気に尋ねました。お父さんは即座に「お母さんを幸せにするためだよ」と答えました。坊やは、安心してスヤスヤ眠りについたそうです。子どもは夫婦の愛のこぼれで育ちます。良き親子関係は、豊かな夫婦関係から生まれます。』  


Posted by mister_kei0918 at 11:21Comments(0)

2008年11月22日

悪たれをついているようでも二人の間には

今日はいい夫婦の日・・・俺が最後まで連れて行く

11月22日はいい夫婦の日です。
昨年も思い付きを書きましたが今年も。

NHKラジオを聴いてましたら、リスナーからの話でこんなものがありました。
どうもそのご夫婦のお嬢さんの話のようです。

或いは私の少し修飾や聞き違いが入っているかもしれません。

いつも喧嘩の耐えない夫婦のようで、しかも物凄い大きな声で喧嘩するとのことです。
それが奥様が認知症になられ、ご主人が面倒を見ておられるようです。

そのご主人が、妻のことを
「俺の女だ」
「俺に惚れた女だ」
「俺が最後まで連れて行く」

「逝ったら寂しい」



と言われたというのです。

夫婦の機微や関係の深さを垣間見せてくれています。

どんなに喧嘩をしていても心は常に繋がっていて、お互いが信頼しきっているからこそのことでしょう。

その夫婦のことは、本当にその夫婦しか分からないものです。
たとえ、悪たれをついているようでも二人の間にはそれを受け入れる素地があるものです。

また、夫婦によってはそれがお互いのストレス解消であったり、期待をしていたり、それが関係をより深めるプロセスであったりもするものです。

或いは、一種のここち良さまで高めてくれたりもします。

夫婦を始めて40年が近づいてきました。

そろそろ私自身も懺悔を重ねて、総括の時期を迎えたのかもしれません。
夫婦の事を語ると、思わず涙がこみ上げる年代になってきました。

それは一言でしょう。
「ありがとう」の。  


Posted by mister_kei0918 at 08:02Comments(0)

2008年11月20日

情の深さが講じて誤解を招くことも

情に溺れて

「智に働けば角が立つ。
情に竿させば流される。
意地を通せば窮屈だ。
兎角に人の世は住みにくい・・・・・」夏目漱石さんの「草枕」に出てくる一節です。

情に絆(ほだ)されるとか、情に惑わされる、情に溺れるとか、情がうつる。

とかく情というと男と女の間とか、どろどろした人間関係のイメージが湧いてきます。
また、複雑な家族関係だとかを想像してしまいます。

逆に人と人との関係を心地よく、澱みなくするのも情です。
不安定でも困りますが、物事に動じない凍ったような情も嫌なものです。

ある方のメルマガを拝見してましたら、
「情を忘れるな。しかし、情に流されるな」
「誰よりも情に厚く、誰よりもドライに」の言葉が目に飛び込んできました。

そうですね、
良く失敗するんです。
情が絡みすぎて、情に絆されて。

兼ね合いの難しいところです。

私などの性格から言うと幾らかドライさを心がけたほうがどうも頃合いが良さそうです。

情の深さが講じて誤解を招くこともありますし、或いは無理強いや強引とも取れることもあるものです。

望まれもしない情、不必要な情が却って関係を損なう大きな原因にもなったりして。

中庸は難しいものですが、
相手によって、中身によって良い頃合いを見計りながらの関係を構築したいものです。
夫婦であっても、恋愛中の相手であっても、経営者と社員の間でも。

それもこれもやはり修養や精進、経験に頼ることなんでしょうね。  


Posted by mister_kei0918 at 16:34Comments(0)

2008年11月19日

自分を鼓舞し、尻を叩いて自らの成長を

敵は常にいる

敵というと、戦いを連想するので適切ではありませんが、
競争相手とか、ライバルとか、越えねばいけない人とかに置き換えるといいのかもしれませんね。

それは時として自分であることもありますし、課題、物や出来事、行動であることもあります。

勉学や研究課題もそうでしょう。

私はさしずめ、自分自身が最大の敵であったように思います。
自分の改造に大変な葛藤やジレンマ、戦いがあったものです。

出来事もありますよね。

全国の青年経営者3000人を福岡へ集める行事にはおおよそ2年の歳月を要しましたし、大きな壁や問題を解決する事を余儀無くされました。

それ以外でも様々な克服課題を背負い挑戦的な人生を歩んできたものです。

でも、そんな当面の敵の存在はある意味有難いものですし、あればこそ成長もありますし飛躍も出来るものです。

そうでないと怠惰でつまらない、緊張感のない、成長の止まった人生を送ったかも知れません。

積極的な人や能動的な人は自ら敵を作り、自分を鼓舞し、尻を叩いて自らの成長を促進したりするものです。

「人は人にあいまみてこそ人になる」、
「人は仕事によって人になる」等といいます。

社員は社長を最大の目標とし、或いは時には敵としてみることも多いでしょうし、
男の子は父親を人生の師として崇めたり、目標であったり、成長期には最大のライバルとしてみることもあるものです。

人生、その時々、それぞれの場面にあって常に出現するのが冒頭に述べた敵の存在です。

それを苦難、苦労、苦節と表現してみたりもしますが、人によってはむしろ歓迎すべきものとして果敢に挑戦したり致します。

私の今までもそうでしたが、今までのような過酷な場面は必要とは思いませんが乗り越えられる程度の敵は大いに歓迎したいものです。

神様は「乗り越えられない困難は与えない」とも言いますし。


『敵は常にいるであろう。
敵をつくらずに生きていくことは無理だ。
それどころか、善良に生きようとするほど、敵は多くなる。
トルストイ』  


Posted by mister_kei0918 at 16:05Comments(0)

2008年11月18日

女性ホルモンの影響を強く受ける

今日は頭髪の日

こんな日があったんですね。

今日は著作権の日、頭髪の日(毎月)、コメの日(毎月)・・・、
ミッキーマウス&ミニーマウスの誕生日、
森進一、古賀政男さんの誕生日・・・

男にとって、とりわけ頭髪は気になることの代表でしょうか。
女性の事も仕事も家庭も気になる対照ではありますが。

頭髪は女性ホルモンの影響を強く受ける代物ですから、男性である男にとっては薄くなっていくのは仕方がないと観念してはいるものの、出来ることならいつまでもフサフサでかき分けて櫛を入れてみたいものです。

季節の変わり目は薄くなる御仁にとっては、ますます気になる季節です。

特に夏の終わりから秋にかけては、折角残りかけた少な目の髪の毛が退去してさよならを告げてしまいます。

名残惜しそうに、切なそうに、見送る姿がいかにも寂しげです。

歳を重ねたら、詮無いこととは承知していても出来れば風になびく位の髪の毛は残って欲しいと思います。

テレビで髪のことを取り上げたコマーシャルがどんなに多いことか。
つい振り向いてしまいます。
見入ってしまいます。

当然、それだけの需要に支えられていることの証左でもあるのですが、世の人々がどれだけ気を使っているかが伺い知れるというものです。

本当は薄くなっても余り気にすることはないと思うのです。

世の人々が若さを競い合う時代ですから仕方がないといえばそうなのでしょうが。

長寿時代になったこともそうですが、化粧品の発達や入れ歯の技術、カツラの一般化。

そしてそれらが変える生活レベルに我々が到達して、エンゲル係数が縮小し、お金の自由やゆとりが出てきたことも由来していると思われます。

若くある事、若くあろうとする事はいい事、素晴しいことでもあります。
活力も出ますし挑戦的にもなれるものです。

今日は頭髪の日。  


Posted by mister_kei0918 at 16:16Comments(0)

2008年11月18日

親子、夫婦、恋人同士、社員や同僚であっても

叱るのはいつか褒める為の準備

テレビを見てましたらこんな言葉が耳に残りました、「叱るのはいつか褒める為の準備」。

叱ると怒る(おこる、いかる)
どのように違うのでしょうか。

辞書を引いてみると
叱る:七は縦横の意味。口で切りつける。口で汚くののしるようなことでしょうか。

怒る:奴は力を尽くして働く奴隷の意味、それに心がついて感情をむき出しにすること?

一般的には、というか私の個人的な思い入れからすると
叱る:良い方向に導いてあげようとする思いが重なっている。
怒る:相手の事を考えることなく自分の感情の赴くままに、罵声を浴びせたり暴力に訴える。

怒るには奴がついてますが、これがどうして女に又なんでしょうか。
調べたら、奴の本来は捕らえられた女奴隷のことのようです。

自分の子供を怒るとは余り言わなくて、「叱る」といいます。
社員を怒るとも余り言わなくて「叱る」。

叱るのはやはり、相手を思んばかったり、どうにかしてあげたいとか、いい方向に導いてあげたいとかの心を感じます。

怒るは感情がむき出しで、相手の非を糾弾し、押し付け、屈服させ、謝らせ、突き落とし、完全に否定し、人の繋がりも断ち切ることも厭わず、出来れば奈落にでも引きずり降ろす。

そんな感じがするのですが皆さんはいかがですか。
私の極端な思い入れなんでしょうか。

そう考えると「叱るのはいつか褒める為の準備」と考えても間違いではなさそうです。
いい言葉を教えていただきました。

人の関係は出来れば最後まで、打ち溶け合って許しあって、信頼しあって全うしたいものです。

「一寸の虫にも5分の魂」とも言います。

叱るときには小さくてもいいから逃げ場を作ってあげて、気持ちを尊重してあげたり、気持ちのゆとりを確保してあげたいものです。

打ちのめされた人間は、立ち上がるのに長い時間も要しますし怨み辛みを重ねるのみで、決して生産的ではありません。

叱り方によっては「雨降って地固まる」。
より関係が深くなったり、絶大の信頼関係を構築できたりもするものです。

叱る方の思い、叱られる人の叱られ方。
そんなものも本来、流儀的なものがあるのかもしれませんね。

親子であっても、夫婦であっても、恋人同士、社員や同僚であっても、
また見ず知らずの人であっても関係の再構築や醸成、新しい関係が育つきっかけにもなるのでしょう。  


Posted by mister_kei0918 at 13:01Comments(0)

2008年11月17日

正直者が多いのも特徴

恥ずかしがり屋は実は目立ちたがり屋

恥ずかしがり屋の方にお尋ねすると多分、実は自己顕示欲があって結構目立ちたがり屋の方が多いものです。

そうですと答えてはもらえなくても、内心では実はそうなんですと呟く声が聞こえます。

目立つような場面に遭遇したり、
人と異なること事を感じたり指摘されたり、
人よりも前面に押し出されるような事態が生じたり、
思わず、そんなことを想像しても、

恥ずかしがり屋の方は、思わず顔が赤らんだり、耳たぶまでピンク色に染まってしまうものです。

それは端から見ていると、可愛かったり、見ていられなかったりもするものです。
本人は居ても立ってもいられない、身の置き場のない思いをするもの。

案外恥ずかしがり屋の方は負けず嫌いで、向上心が強くのですが、
でも、自分の胸の内は知って欲しくないんです。

引っ込み思案にも見えますが、実は世話好きで先頭に立って行動をしたい方ですが恥ずかしさが先にたちますので人目には出ないのです。

失敗を恐れますので石橋を叩いて渡ります。
当然自尊心を傷つけられることも、人並み以上に嫌がるものです。

実は誰でも恥ずかしいときには、はにかみますし赤面だってするのですが基本的に恥ずかしがり屋の人には人のことは余り見えていません。

他人の事よりも自分の事に関心が深くて、自分の姿はよく見てますが人の事には幾らか関心が薄いようにも感じます。

恥ずかしがり屋はそれだけでも実は極めて人間らしくて、
悪いことではありませんが本人にとっては苦痛であったり、
極力人前に出るのを避けたり、競い合うのを辞めたり、大勢での行動を避けたり致します。

また、正直者が多いのも特徴ではないでしょうか。
人から非難されたり、中傷されるのを極端に嫌がるのもそうです。

本当はそんな人が場数を踏んだり、経験を重ね、
真の人の姿を見極め、目覚めていただくと人への思いやりが行き届く、心優しい人の誕生となるものです。

それこそ、人としての鍛錬を重ねていると思えば、恥ずかしがり屋も楽しいものです。

今は厚顔無恥、人への配慮のない、自分本位の人が多い世の中です。

却ってこのような殺伐とした時代こそ、恥ずかしい思いや経験を沢山重ねる人ほど世の中には必要とされる時代の筈です。

見渡したら、実は堅実な経営者や人格者と言われる人々の中にはそんな恥ずかしがり屋を経験し乗り越えた方が多いことに気づきます。  


Posted by mister_kei0918 at 18:26Comments(0)

2008年11月16日

染み込んで心の中でより大きく育つものです

人の上に立つ者は孤独

「人は人の上に人を作らず」とは言い尽くされた言葉です。
人の尊厳や命の尊さに上や下があるわけではありません。

当然、家族や社会、あらゆる組織、企業においては当然上下関係がつき物ですし、その存在は却って人の尊厳や命の尊さを気づいたり、経験したり、大切さを教えてもくれます。

そういう中で培かって得られたものは、染み込んで心の中でより大きく育つものです。

特に企業の中での上下関係は、ただ企業戦士としての関係や上意下達だけの存在ではなくて人を育てるのに大いなる経験をさせてくれるものです。

上位になればなるほど、その難しさを感じるものです。
人の心を読み、先を読み、方向性を定めねばなりません。

とりわけ経営者は孤独なものです。

苦しくても歯を食いしばって堪える事を強いられますし、安易に口に出すことも許されないものです。

家庭の大黒柱もそうでしょう。

何でもかんでも口に出していては、家族は不安になりますし、頼りない存在としてあてにされなくもなりますし、信頼関係もひびが入ってしまいます。

耐え忍ぶということよりも、そうすることが家族や組織、企業の安泰を維持できるという判断からのことです。

むしろ孤独を保つことが周りを平和的に継続的に保持できるとの思いがそうさせるのです。

「人の上に立つ者は孤独」、

これは人や組織、企業を維持していく上で大切と思われるばかりでなく、当の本人も案外それで支えられたりもします。

経験したものでなければ分からない、変な快感もあったりもするものです。  


Posted by mister_kei0918 at 21:54Comments(0)

2008年11月14日

人生で必要なものは

立ち向かう気力と、立ちはだかる勇気を

人間、時には気持ちが萎えてしまいます。
いつも高揚した気持ちの持続は難しいものです。

会社にあっても家庭でもそうですよね。
また、社会活動やボランティア活動を続けていてもそんなものです。

出来れば最後まで全うしたいと目標や目的を掲げても、気持ちを萎えさせる出来事や誘因、原因は引きをきらないものです。

物事を成就させようとするとき、夢や希望に向かって前進をするとき、時として間違いなく足を引っ張られたり引き戻そうとする外的な力が働くものです。

考え様によっては、何事もなく順調に推移しても感激は少ないものです。

時には波あり風あり、七転び八起き、
山あり谷あり、苦節、苦心惨憺、
三歩進んで二歩下がり、

それでいいのではないでしょうか。

物事を成就させようとする思いを支えるものは当然健康、
それと、来る苦難に立ち向かい一歩でも前進しようとする気力と

妨げる全てに対して全身全霊を傾けて立ちはだかる勇気ではないでしょうか。
プラス、少しの叡智が備われば鬼に金棒のようです。

幾つもの苦難を乗り越えて、満願成就、成功を収めた人は心も穏やかですし泰然自若。

出来れば人生の終焉はそんな心境で迎えてみたいものです。

これでもかこれでもかと泉の如く湧きいずる気力。

鉄のような硬い意志に支えられ揺るぎない勇気、それを支える少しだけの叡智。


『金を失うのは小さく、名誉を失うのは大きい。
しかし勇気を失うのはすべてを失う事。チャーチル』


『人生で必要なものは、愛と勇気といくらかのお金。チャップリン』


『(海軍五省)
一、至誠にもとるなかりしか、
一、言行に恥ずるなかりしか、
一、気力に欠くるなかりしか、
一、努力に憾みなかりしか
一、不精にわたるなかりしか。
東郷平八郎』  


Posted by mister_kei0918 at 20:36Comments(0)

2008年11月13日

人間性の低さを露呈することになってしまう

いつも自分を見つめる癖

自分の内面の姿、汚さを見るのは人間誰しも嫌なものです。

日本人は自虐的な側面を多くもっているとも言われますが、とりわけ自分のこととなると誰しも人よりも劣っているとは思いたくありませんし、優位を保っていたいと思うものです。

どうも友人や知人を見ていても、
自分の不利なところや弱さ、不得手なところをしっかり把握している人や認めている人に限って、却って強い姿を垣間見たり、人への優しさを持ち合わせているようにも思えます。

「子供は親の鏡、親は子の鏡」等といわれます。

或いは「会社は社長の器以上にはならないとか」、「会社は社長の姿を映した鏡」などとも揶揄されます。

自分の姿は何処かに映っているのですが、出来るだけ見ないようにしているか目をそらせているようです。

特に私はそうなんです。

人の非難中傷はしっかりするのですが、こと自分に及ぶと優れているところなど無いくせに粋がってみたり偉ぶってみたり。

結局は非難中傷、誹謗していることの全ては自分の事なんですが、自分の事の裏写しであることを気づいていないか、知らん頭を通しているのです。

本当は自分のありのままの姿を見ることは、気持ちのいいことなんです。
それに気づいていないんですよね。

自分の傷を舐めることは、自虐的であるようで実は心地いいことのように思います。

いつも自分を見つめる癖。

他人にはいいとこ見っけ、自分にはいいとこ見っけと劣っているところ、悪いとこ見っけがバランスが取れて良さそうです。

案外、自分のいけないところ、劣っているところ、努力しないといけないところが見えてくると努力のし甲斐もありますし、何よりも自分自身が可愛くもなるものです。

自分の優位性をのみ強調するのは見苦しくて、褒めたものではありませんし、付き合いづらいものです。

却って人間性の低さを露呈することになってしまいますし、おだてに乗せられたり、有頂天になったりろくなことはなさそうです。

人は一旦緩急あるときには人並み以上に力を発揮することは大事なことですし、それが頼りがいということでしょう。秘めた力こそ賞賛されることでありその為の日常のような気がします。

いつも自分を見つめる癖。

それはまた、日ごろから精進する姿や真摯に努力する様子が見えて楽しくもあるものです。
今日よりも明日、明日よりも明後日。  


Posted by mister_kei0918 at 15:16Comments(0)

2008年11月12日

「煮え切らない男性は嫌い」、「しつっこい男も嫌い」。

「もう少し」「まだまだ」はもう遅い

経営は様々な場面を提供してくれます。
上手くいったと喜ぶ日もあれば、悔しがる日々、眠れない夜も時にはあるものです。

今時の経営者はタフでないと生き残れないようです。

戦後初めてではないかと推測される未曾有の混乱はいつになれば終息するのでしょうか。

アメリカのサブプライムローンに端を発したこの度の金融、経済の混乱は先進国のみならず、蚊帳の外と思われた後進国でもとんでもない事態を引き起こし始めました。

或いは、国自体が潰れてしまいそうな処もあるやに聞こえます。

現在は世界が協調的な動きをいち早く出来る環境にはなってきましたが、それでも危うい状況です。

個人的にはユーロ圏は今まで堅調な歩みをしていましたので、そんなに問題はなさそうに見えてましたが、むしろイギリスやヨーロッパの方が却って問題含みとなってきました。

巨大企業が大変になりそうとか、ひっくり返ったとか、吸収合併したとか、どこに火種が潜んでいるかも知れない事態です。

ましてや中小企業にとっては未曾有の歴史的な事態です。

国がいち早く中小企業救済のための緊急経済政策を打ち出しましたので、これで幾らか救われる企業も多いものと信じます。

経営は決断を促されることが日常的に発生します。

「もう少し待っておこう」とか
「まだまだ時間はある」などと結論の先延ばしや躊躇は事態を悪化させるどころか、時にはとんでもない結果を引き起こすものです。

経営者の決断、指示を仰ごうとする社員にとって、これほど歯がゆいことはありませんし経営者の足元を見てしまいますし能力を推し量ってしまいます。

決断は「する」も決断、
または「しない」も決断。

どうも訓練が必要なようです。

先天的なものもあるのでしょうがそうでなくても普段から幅広い情報の収集やあらゆる決断の場面に接することが重要なようです。

早い決断でも思慮の浅い、配慮の無い決断は困りものです。

決断を求めた人が大よそ想定の範囲での決断なら安心もしますが桁の違う、突拍子もない決断は不安を呼び起こし実行に躊躇したり、二の足を踏んだりも致します。

闇雲に結論は出さない、結論を急がないのも方法です。急いで出す結論が全て正しいわけでもありませんが、それはそれでそれなりの決断、指示が要るようです。

経営は難しい。
そこがまた面白いところかもしれませんね。

女性がよく言います。
「煮え切らない男性は嫌い」、「しつっこい男も嫌い」。

決断はあっさりと、しかも考えすぎても良くないようですし、はっきりすっきりが良さそうです。


『そのことはできる、それをやる、と決断せよ。
それからその方法を見つけるのだ。リンカーン』

『小心は人々を不決断にし、その結果、
行為の機会と最大の好機をうしなわせる。ホッブス』  


Posted by mister_kei0918 at 18:37Comments(0)

2008年11月12日

我侭放題に育っている人間

命令上手になる為には

人は命令されることに非常に抵抗を感じますし、出来れば避けて通りたいものです。

しかし、仕事上どうしても命令系統は存在しますし、遂行上指図や命令、指導がないとしっかりした仕事は出来ませんし、緊張感や達成感を感じるにも不可欠なものです。

人権を無視したような、或いは人間性を尊重しないような命令や指導はどうしても抵抗したくもなりますが一体感を持って、その付近のことも配慮してのことであれば十分に理解が出来るところです。

つまり信頼感や期待感、親近感が醸成できていない関係で命令が発せられると人間関係にひびが入り安かったり或いは緊張が走ったりもするものです。

命令も様々。

勤務上の直属上司が部下に命令をすることもありますし、
行政機関が下すものもあります、
親子や夫婦関係、
師弟関係、
スポーツ、趣味、・・・
また裁判所が下す命令もあるものです。

私どもが日常的に感じる命令は当然業務上、上司が部下に対する命令。

威圧的と思わさずに上手に出来ると素晴しいのですが、
最初から、人の指図を嫌う性格の人もいます。
案外こんな人は他人にはよく命令や指図がましいものです。

命令も言葉はいかついのですが、取り様によっては関係の構築には持って来いのチャンスでもあるわけですから大切なものです。

それにも、日ごろから訓練が行き届いていることが重要なように思われます。

我侭放題に育っている人間が他人の命令や指図などまともに聞くわけがありません。

やはり素直に人の立場や状況が素直に判断できる環境や場合によっては親兄弟から威圧的に物事を強制されたり指導されたりの経験が物を言うようです。

それには人を真剣に導いてやりたいという思いが重なっていなければいけませんよね。

年齢も重ねて、命令や指図をしなければいけない立場に人はいずれなるものです。

人の従わせるには、自分自身が命令をされる立場の経験を多く重ねること、人を信じ心から従ってみる経験が物を言いそうです。


『まず前もって服従することを学んでいなければ、
人にじょうずに命令することはできない。アリストテレス』  


Posted by mister_kei0918 at 08:57Comments(0)