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2008年12月30日

結婚したまえ、君は後悔するだろう

後悔、失敗は凡そ想像している

人生は失敗の連続であり、後悔の日々です。

でも振り返ってみると殆どの失敗は凡そ予想の範囲内であり、想像したような失敗の内容であるものです。

中には予想を超える外因によって、予想を超えたりはするものです。

今回の金融の破綻や経済危機がそうです。
アメリカのサブプライムローン問題の発覚までは、まさか日本への波及まで誰も予想、想像もしていませんでした。

中途半端な評論家、まぐれで当たったことを自分の実力と高邁に喋る評論家もその影響の恐ろしさを言及は致しませんでした。

現実問題として、眼前に迫ったのは僅か2、3ヶ月前。
恐ろしいほどの状況を呈してきました。

この様な自分の力では到底防ぎようのない遥かに大きな力は別にして、日常的な事柄においては殆ど想定の範囲内で物事は動いてますし、実行の過程で検討がついたりしてます。

先輩たちの所業を見ていると、これも経験地なのでしょうが、幾つかの手を打って置いたり、例え失敗に追い込まれても被害を最小限に止める方策を考えていたりもしています。

失敗にも準備が要るということでしょうか。

ですから、端で見ていても余り慌てる様子もありませんし、むしろその失敗から吸収したり、学び取ったりすることでリスク回避をしたり次の展開に生かしたりしているようです。

当初は小さな失敗にも慄いたり恐れたり、躊躇したりしているのでしょうが、
勇気と方策を兼ね持った結果での失敗は、次への経験地やステップとなって、より大きな失敗にも動じない心構えが作り出されるようです。

物事の実践には、傍らに失敗のリスクはつき物ですが、それに恐れるばかりでは一歩たりとも前進はありません。

前進どころかむしろ後退への始まりと言っても過言ではないでしょう。

失敗に恐れ慄くばかりでなく、失敗を逞しく想像し、果敢に挑戦し、結果がたとえ失敗に繋がってもいいのではないでしょうか。

それが大きな失敗やつまずきをしない人の態度のようにも思えます。
来年、どのような挑戦をしましょうか。

幾つの失敗を乗り越えましょうか、これも人生、人生の機微ではないでしょうか。


『やった後で後悔するほうが、
やらないことで後悔するよりもずっとましだ。
ボッカッチオ』


『結婚したまえ、
君は後悔するだろう。結婚しないでいたまえ、
君は後悔するだろう。キルケゴール』  


Posted by mister_kei0918 at 10:47Comments(0)

2008年12月29日

最近叫ばれている「見える化」

幸せを倍化し、苦しみを半減する「分与・分割法」

勝手に名づけたりしています。

私もそうです。
幸せやちょっとした喜びは出来れば自分だけの独り占めにしたいものです。
或いは他人の幸せは出来るだけ見ない振りをするか、足を引っ張るか、訝るか、嫉妬するか・・・・・

私もそうです。
他人の苦しみや辛さには出来るだけ近寄らないように、当たらず触らず、知らん振りを決め込みたいものです。

場合によっては相手の傷に塩を塗ったりすることも。
自分の苦しみや辛さは人に知られないように幸せな振りをしたり。
一人で自分の傷を舐めてみたり。

テレビのワイドショーなどを見ていると(最近殆ど見る時間はありませんが)、どんなに人の不幸ごとが多いことか。

世の中は不幸が蔓延しているかの如き錯覚をしてしまうほどです。

本当は喜びに溢れ、幸せに暮らしている人々が多いはずなんですが。

来年は角度を変えて、人の幸せな姿、喜びに溢れた姿に多く接してみようと思います。

その為には私自身が胸襟を開いて、愛嬌を振りまくわけではありませんが、自分の喜びを自分だけのものにせず、幸せがあるとすれば自分だけに納めず、周りをも取り込んで共有化したいものです。

また、悲しみや苦しみを出来るだけ包み隠さず、ありのままの自分の姿を家族や社員、友人たちにもオープンにしてみたいものです。

男の美学として、悩みや苦しむ姿は出来るだけ表面に出さず内に秘めることこそ「男らしい」なんて考えてもいたものです。

最近叫ばれている「見える化」ではありませんが、その方が解決策を早く見つけることが出来たり、他の人が同じ境遇に接した時の事前の経験や勉強にもなるものです。


『喜びを人に分かつと喜びは二倍になり、
苦しみを人に分かつと苦しみは半分になる。
ティートゲ(ドイツの詩人)』


『天国では万事が喜び、地獄では万事が苦しみ。
この世はそのどちらにも境を接する。
スペイン、バルタサールグラシアン。「神秘必携」1647年』


『人間の生活の苦しみは、愛の表現の困難に尽きるといってよいと思う。
この表現のつたなさが、人間の不幸の源泉なのではあるまいか。
太宰 治』  


Posted by mister_kei0918 at 13:09Comments(0)

2008年12月28日

これは決して他山の石ではなくて

何故か音無しの構え

波乱の前ぶれなのか。

年の瀬の慌ただしさが何故か感じないのは私だけでしょうか。
クリスマスのジングルベルも例年になく静かだったような気がします。

或いは意識的にそんな配慮が働いたのかもしれませんね。

大変な年末を迎える方々が約8万5千人とも言います。
非正規雇用の人々の契約打ち切りや延長契約の中止です。

また、表面には出ませんが資金繰りや売り上げ不振で倒産や廃業に追い込まれる企業も多数出てますから、それで路頭に迷う方々も数知れないのではないでしょうか。

大変な年末年始になりそうです。

これは決して他山の石ではなくて、自分の企業でも有り得ることだと認識しておかなくてはいけません。

時代は読めなくなりました。
先行きの判断の難しい局面を迎えています。

何故か世間は音無しの構えです。

超優良企業であるはずの数々の大手企業が僅か数ヶ月で、飛んでもない状況を迎えております。

この音無しの構えが大変の前触れでなければいいのですが。  


Posted by mister_kei0918 at 17:34Comments(0)

2008年12月27日

行動が伴わないと前進はなさそうです

子供さんから教えていただきました

ラジオに流れている小学6年生の子供さんの作文からです。
「協力や努力することの大切さを行動して初めて学びました」。

このお子さんは生徒会の役員選考に自分で立候補し、書記として当選されたようです。
その活動の中から学んだとの事でした。

昔から「負う子に道を教えられる」とか言います。
子供が言う言葉だからとて、おざなりには出来ません。

本当にそうですから。

人を愛することの大切さは、人と相見えて心を交わす内に少しづつ少しづつ芽生え始めるものです。
愛することの楽しさや苦しみ、切なさを学ぶものです。

恋愛をしてみて始めて、自由にならない、ままにならない関係や複雑に絡み合う心や思惑やしくみを感じ、学ぶものです。

人を助けて初めて、人が感謝し感激する姿を目の当たりにし、人を幸せにすることの喜びを学びます。

何事もそうですが、行動が伴わないと前進はなさそうです。
特に人との良き関わりを求めればこそ、行動ありきではないでしょうか。


『行動は必ずしも幸福をもたらさないかもしれないが、
行動のないところに幸福は生れない。
ベンジャミンディスレーリ(英政治家)』


『「鳥は幸せだからさえずるのではない。さえずるから幸せなのだ」と言いました。
そして続けて「行動すれば、感情がついてくる。このことが過去百年間で人類の発達に寄与した最も重要な発明だと私は信じている」。
あなたが踏み出す今日の一歩が、幸せをもたらします。
偉大なる哲学者心理学者ウィリアムジェームス』


『愛、それは思考であり、行動であります。
愛、それは能力であり心構えであるのです。
それはまず他の人々に対する関心、あるいは感受性に始まり、そこから成長するものです。
ロバートコンクリン「説得力」(PHP文庫)より』


『およそ人を扱う場合には、相手を論理の動物だと思ってはならない。
相手は感情の動物であり、しかも偏見に満ち、自尊心と虚栄心によって行動するということを、よく心得ておかねばならない。
Dカーネギー』  


Posted by mister_kei0918 at 13:13Comments(0)

2008年12月26日

多くの女性たちの涙を誘うには十分すぎる

「言葉に出来ない」

昨夜、福岡のRKB、キー局で言えばTBSでしょうか。
小田和正さんのライブの模様が放送されていました。

私自身はそう興味はありませんでしたが
(曲は聴いたことは何度もありますし、好きな曲もいくつかありますが、取り立てて時間を割いて聞くほどではないと言う意味です)
家内が見るというので一緒に見ることにしました。

この時間は好きな経済ニュース番組がありますのでいつもはそっちを見るのですが。

いつもでしたら、家内が一人で見て、私が別の部屋で経済ニュースを聞くというのがパターンなんですが。

皆さんもこんなことはありませんか?
自分が表現しようとしている思いを如実に語れる言葉が見つからない。

とっさに辞書を引いても見つけることは出来ませんし、自分が知っている身近な言葉で代用してしまいます。
それでもすっきりしません。

やはり、普段から書物を読んだり、辞書を引いたりしておく癖をつけておいたほうが良さそうですね。
その時にはそう思うのですが。

おしゃべりは余りにも寡黙でも困ります。
何を考えているのか、腹の底が見えませんし。

また、必要以上の活舌も困りものです。
本当に心根が分かりませんし、本当の事かも掴めませんし真意が何処にあるのかも探れないものです。

粗野な言葉使いも余り好きではありません。

「巧言令色鮮なし仁」という位ですから。

テレビなどを見ていても高射砲のような舌禍は困りものです。一種の公害でしょうか。

程よく、人の表情を見定めながら心地よい会話を求めたいものです。

心の内を程よく、的確に表現できる言葉を持っている方は尊敬いたします。

しかし、昨夜の小田和正さんの番組は素晴しいものでした。

歌声もそうですが、共感を誘う歌詞の素晴しさはピカイチでしょう。
ライブに参加している多くの女性たちの涙を誘うには十分すぎる内容でした。

歌詞が言っている「言葉に出来ない」とブログの内容がフィットしていないような気もします。  


Posted by mister_kei0918 at 14:50Comments(0)

2008年12月25日

懺悔や反省、後悔の機会を得ることにも繋がります

『お陰さまで生かされ、ありがとうと生き抜こう』

先日、福岡市内のお寺の前を通りましたら、こんな言葉が目に飛び込んできました。
車で走りながらの記憶ですので、或いは字句に間違いがあるかもしれません。

でも、凡そはこんなことだったと思っています、多分間違いはないでしょう。

私は自分の態度のあり方として感謝の心が不足しているといつも感じています。
人間としての態度として極めて大事な事。

人は一人では生きていけないとは百も承知の筈なのに。

感謝とは『お蔭様を感じ、それに答えようとする姿勢』。
これは私が勝手に作った解釈です。

人によって色んな解釈や理解の仕方があるのでしょうが、私にとって最も心地よい解釈のような気がしますので時々文章にしています。

感謝とは『お蔭様を感じ、それに答えようとする姿勢』。

答えようとする姿勢を一番身近な言葉にすれば「感謝申し上げております」、「有難うございます」でしょうか。

今年の初め、ある方を通じて名古屋の竹田和平先生から頂いた「ありがとう百万遍」シールを携帯電話の表面に添付をしています。

あらゆる機会を捉えて「ありがとう」の言葉を発していきたいものです。

生かされているのは親をはじめ、周りのお陰、これから生き抜こうとする人間には廻りに対してありがとうの感謝の思いが先行すれば、物事は比較的スムースに進むものです。

この様な言葉に出来るだけ多く接することも大事なことのようです。

心が洗われる様な気もしますし、懺悔や反省、後悔の機会を得ることにも繋がります。

『お陰さまで生かされ、ありがとうと生き抜こう』  


Posted by mister_kei0918 at 12:52Comments(0)

2008年12月24日

ひとつは心配、もうひとつは期待

来年はどういう年になるのでしょうか

経済ニュースに翻弄される毎日です。

と言うか、経済のニュースを聞くことが日常になりましたし、聞いておかないと人と会話が出来ない事態になってきました。

普段でしたら、スポーツなどの凡そ企業とは関係のない情報に目が行きましたしそれでも十分に付き合いは出来たものです。

最近では株がどうとか、原油価格がどうとか、金利が、大企業の動向が・・・のニュースに疎くては世の中に疎いと思われてしまうこの頃です。

その分、随分と勉強にもなりますし情報通にもなって来ました。

経済が分かったような気にもなるから不思議です。

来年はどういう年になるのでしょうか。

急激な世界経済の変動は、今までの私どもの常識を超えて瞬く間に押し寄せてきた感じです。
この現状が2、3ヶ月の間に世界中を駆け巡った感じです。

私の個人的な思い、疑いと言っても良いでしょう。
どうも夢物語を見ているような気がしてなりません。

この100年に一度と言われる経済危機は、治まってみると若しかすると、震源地であるアメリカが一人勝ちをしていたなんてこともあるような気がするのです。

それほど、アメリカはしたたかで強靭な国の様に思えます。

いずれにしても、過去を振り返っても詮無いことです。

迎えようとしている来年に向けて、どのような態度で立ち向かうか。
それが一番大事な気が致します。

今年よりも来年。
逞しく夢を持って、かつ足元を見つめつつ。


『未来に向き合うにはふたつの方法がある。
ひとつは心配、もうひとつは期待だ。ジムローン』  


Posted by mister_kei0918 at 19:40Comments(0)

2008年12月23日

議論や喧嘩の相手にすることも必要ない

全ての人を好きにはなれない

国と国の関わりも複雑怪奇。

領土・国境問題や民族、宗教、イデオロギー、対立の火種は何処にでも存在するものです。

約200の国々の全てが仲良く、いざかい無く幸せを共有することは歴史がどう進んでも実現することはない様に思えます。

全方位外交とよく言われますが、自国の利益を守る為に行われることで全ての国々と仲良くと言うことでもなさそうです。

個人でもそうでしょう。

周りに存在する全ての人を好きにはなれないものです。

ただでさえ、

馬が合わない
そりが合わない
相性が合わない
価値観が異なる
虫が好かない
考え方が同調できない
政治宗教がどうのこうの
顔かたちが好かない
表情がいや
声が嫌い



そうでなくても、到底付き合えない人が存在したりもします。

私などはどちらかと言うとずるいほうですから、内心は余り好意を持っていなくても表面上は付き合っていることが良くあります。

それは、色んな考え方や行動、思いが存在することを知るには絶好の相手だからです。

決して同調することはなくても人間として参考に出来たり勉強になるところはあるものです。

また、そういう人はそれで特徴的な側面も持ってますから、大いに役にも立つものです。

人は八方美人にはなかなかなれません、全ての人を好きにはなれませんがそれが理由で疎遠にする必要もありませんし、議論や喧嘩の相手にすることも必要ありませんでしょう。

世渡りを上手にする上でも、様々な人と関係を保つことは決してマイナスではなさそうです。

そんな人間もいるんだということを知るだけでも素晴しい成果です。
或いは私自身がそのように思われている人間かもしれませんが。  


Posted by mister_kei0918 at 16:27Comments(0)

2008年12月23日

我も時には犠牲にしながら

人は繋がる

人は何処かで繋がるものです。
人はどんな繋がりがあるのでしょうか。

血縁、
地縁、
職場の縁、
学校の縁、
ボランティア活動等の縁、
地域活動の縁、
業界団体の縁、
異業種交流の縁、
町内、お隣の縁、
趣味の縁、
事業活動を通じての縁、
家族を通じての縁、
宗教上の縁、
政治に関わる縁、
健康繋がりの縁、
病気、患い関わりの縁、



挙げたらキリがありませんが、至る所に人の縁の繋がりを感じます。

縁はゆかりやてづる、取っ掛かりにしか過ぎませんが、大事なのはその縁を本当の繋がりに出来るかどうかではないでしょうか。

人によっては煩わしいものとする人もいますし、之を貴重なものとして大事にする人もいるものです。

縁はえにし。
縁はゆかり。
縁はよるべ。

そんな大切な縁を自分の人生に生かせるかどうか、大切なものとして感じることが出来るかどうかがこれから生きるうえでの「えにし」であって、「ゆかり」であって「よるべ」でありそうです。

縁に頼るだけではなく、自分の果たすべき役割を十分に認識し、我も時には犠牲にしながら係わり合い、頼りあいが大切なようです。

また、新しい繋がりや縁を探す旅、造り出す旅も大切です。

胸襟を開き、常に新鮮な繋がりを構築する努力。それがまた新しい繋がりを生む原動力となります。

そんな繋がりは永遠に繋がったりもするものです。  


Posted by mister_kei0918 at 11:30Comments(0)

2008年12月23日

「幸せに取り囲まれた」私であるために

悲喜こもごも

一年も終盤を迎えると人はどういうわけか、振り向くことに意識が走ってしまいます。

「自分にとってこの一年は意義深かったのか」
「楽しい一年であったのか、苦労の連続だったのか」
「幸せな一年だったのか、そうでもなかったのか」
「家族に幸せをあげれたのか、そうでなかったのか」
「努力の成果は上がったのか、努力が足りなかったのか」
「社会に役に立ったのか、足を引っ張ったのか」



「今の自分は過去の努力の結果である」とも言います。
と言うことは、
「今年の努力が来年の自分の姿を作っているのか」。

自分の力の及ばないところで自分の幸せが左右されたりもしますが、考えてみると平均的にはどうもやはり「今の自分は過去の努力の結果である」事は否定できないことのようです。

毎年、総決算はしながらどうしても途中で挫折をしてしまいます。

継続は貴重なことですが、物事を長い期間持続している方の特徴として、どうも密かに努力している人よりも、

「こんなことに努力している」
「ここまで頑張っている」
「ここまで努力しようと思っている」
等と公言する人に限って長続きしているようにも思えます。

ただ、吹聴する人、出来もしないことをやたら強調する人もいないではありませんが。

そんな人はすぐ見透かされてしまいますし、信用を失って、あざけ笑われるのがせいぜいのところです。

悲喜こもごもの年末です。

経済が深刻状態になってきました。
来年の年末にまた同じ後悔が繰り返されないように、1月1日のスタート地点に立つ前の今から心を引き締めて参りたいものです。

「夢は実現する」とは言います。

努力の伴わない夢は実現するものではありません。
あったとしてもそれは砂上の楼閣、不安定極まりないものです。

今日は来年元旦からの努力目標を立ててみたいものです。
悲喜こもごもではなくて「幸せに取り囲まれた」私であるために。  


Posted by mister_kei0918 at 08:57Comments(0)

2008年12月21日

「本当にそうなの、それだけなの?」

光と影だけ?

世の中が混沌としてきました。
人々の心も荒み、想像を超える事件事故が頻発しています。

企業の倒産、リストラ、非正規社員の解雇、採用内定の取り消し、
工場の閉鎖や設備投資の中断や延期、
残業の廃止や一時休業、


全般的にはそうではあっても
片や業績を伸ばしたり、採用を増やしたり、設備投資に精を出す企業もあるものです。
社会は片方だけ見たり聞いたりしてもいけないようで、本当にそうなのかと訝る目を持つことも大事なようです。

「本当にそうなの、それだけなの?」

でも、見聞きする全ての物事に疑いの目を持つことは余りいい事ではありません。
それは人の関係をギクシャクさせる原因にもなります。

時々には疑いを持ちながら、
時には他の観点があるのではないかと視点を変えてみたり、
事の真実は他にあるのではないかと検討や研究を重ねてみることが必要なようです。

物事には必ず光と影、或いはどちらにもつかないグレーゾーンも存在します。

物事は善悪、黒白、高低だけでもありません。

時には中庸を求められますし、むしろその方が重宝されることが多いもの。
人との関係では特に中庸の思いが大切で、関係を深めたり、親密度を増すものです。

世渡りの難しさはそんなことの連続ですが、或いはそうだからこその喜びや楽しみ、安らぎも存在するものです。

どこに結論を求めるのか、どこに中庸が存在するのか。
そこが人生の難しさ、ワビやサビだったりも致します。

世の中が混沌としてきた今、絶好の勉強のチャンスが来たと思っても間違いはなさそうです。  


Posted by mister_kei0918 at 12:41Comments(0)

2008年12月19日

意地悪な人ならば、猛スピードで

小躍りしたいほどに嬉しいものです。

誕生日が近づいてきますと、体のリズムと言うか、胸騒ぎと言うか、不思議と嬉しいものです。

数日前から何名かの方々からメールを頂いたり、FAXを頂いたり。

今日はまた、フラワーアレンジメントの豪華なお花を贈って頂きました。
本当に有り難いことです。

早速、会社の受付に置かせていただきました。

会社へお見えになられる方々もきっと清清しいお気持ちで入ってこられるのではないかと思います。

頂くのは大変に嬉しいのですが、ご負担をお掛けすることに心苦しさが伴います。
或いは私自身が頂くに相応しい人間なのか、疑心暗鬼だったりもするものです。

子供たちにもみんなの誕生祝はしてもいいけど、私だけは75歳を越えてからにして欲しいといいますが聞いてはくれません。

出来れば、自分たちの生活の為や将来への建設的な投資に使ってほしいと思っています。

年齢を重ねるごとにしなくてはいけないことが増えてきて、今は焦りにも似た心境です。

精神的な負担になってはいけませんが、人生がますます意義深くなる方向であればいいかと思いつつ、日々走り回っています。

周りから見ると気忙しく動いているように見えるようですが、私自身はたんたんと心の赴くままに行動をしているつもりではあります。

いずれにしても、祝福の心を頂くことは極めて有り難いことで、元気の源にもなりますし、心豊かな日々が送れそうでこんなに嬉しいことはありません。

余命幾許などと考えたくはありませんが、どうせ生きなければいけない一生なら私らしく、人らしく、年を取るに相応しい人間でありたいものです。

感謝!!感謝!!。
有難うございます。


『もしあなたがおこりっぽく、気まぐれで、気むずかしく、意地悪な人ならば、猛スピードで年をとっていくでしょう。マーフィー』  


Posted by mister_kei0918 at 12:15Comments(0)

2008年12月18日

知識が邪魔になることもあるものです

どうでもよいこと?

世の中が進展すればするほど、自分とは直接関係のない情報が飛び込んできます。
でも、人生で全く必要のない、関わりのない情報はないものです。

かかわりの多い少ないはありますが、多かれ少なかれ、
そんなに知らなくても良いもの、
少しはかじっておいたほうが良いもの
、幾らか真剣に捉えたほうが良いもの、
事の良し悪しに関わらず絶対的に知っておいたほうが有意義なものもあるものです。

その判断基準が難しいものです。

今は必要でなくても将来役に立ちそうなもの、
過去には必要だったけど、今となっては不要なもの、
様々です。

私の資質から言うと、記憶力がありませんのでどちらかと言うと何でも受け入れる能力がありませんから選択をするほうでしょうか。

自分にとって意義深いもの、有益に働くもの、知っておくと便利・・・そんなところでしょうか。

間口は広くもっておきたいのですが。

私の友人の中にも情報通の方がおられます。

大体何を訪ねても答える人がいるものです。
それはただ経験だけではなく、何でも興味が深く、好奇心旺盛でしかも頭の仲に残っているんでしょうね。

また、知識が邪魔になることもあるものです。

何でも知っていることが逆に決断を鈍らしたら、取った行動があらぬ方向に走ったりもするものです。

中庸が難しいところですが、自分なりの価値観や判断基準はやはり経験値が働いて自然と決まっていくようにも思います。


『どうでもよいことは流行に従い、
重大なことは道徳に従い、
芸術のことは自分に従う。小津安二郎』  


Posted by mister_kei0918 at 23:00Comments(1)

2008年12月18日

ハンディや劣等感の余り、せずにはいられない状況が働くとき

「やりたいようにしなさい 」は結局何もしない人になる?

他人の子供さんの親には
「そんなに言わなくてもやりたいようにさせてはどうですか」
「伸び伸び自由にさせたほうが、却って人生には良さそうですよ」
「小さい頃から勉強勉強といわなくてもそのうちやるようになりますよ」
等というものです。

本音はそうではありません。
「小さい頃からしつけはしっかりしておいた方がいいですよ」
「三つ子の魂、百までと言うでしょう」
「親の放任、無関心がどれだけ子供を駄目にしているかご存知でしょう」
と言いたいのです。

自分の子供には「やりたいようにしなさい」とは言いたくないものです。

なぜなら、私に「やりたいようにしなさい」と言われて、しっかり努力をした記憶もありませんしやりたい目標の設定や目的を定めた記憶も無いからです。

せいぜい、遊びに興じるのが関の山だからです。私だけがそうかもしれませんが。

自分の心の中にしっかりと定めたものや確実にやりたいことがあるとき、目標や目的をはっきり定めて実践や取り組みが出来る人はいいのですが、

小さい頃の子供や私のような不埒で意志の弱い人間はたとえ走り始めても途中で挫折をするか、最初の意気込みを忘れていたり、諦めたりするものです。

子供時代からそんなしっかり者は殆どいませんし見たこともありません。

若しあるとすれば、余程親がしっかり普段からしつけているか、指導をしているか、環境を整えているか、子ども自身に強制力や脅迫観念が働いているかでしかないと思われます。

其の事自体が既にしつけがなされていると言うことでしょう。
(言いすぎかな?)

或いは途中である程度の刺激や
やらねば自分の立場が無くなったり、見放されたり、
関係や地位を失ったり、不利になったり、
結果が優位に働いたり、
ハンディや劣等感の余り、せずにはいられない状況が働くとき、



自由な発想で、自分に責任を課して、人並み以上に実力をつけるのは並大抵の事ではありません。

自分がある程度確立できていて、社会的な責任などが備わっている大人なら別ですが。

子供の頃からやりたいようにさせて、大成した人がいないではありません。
それは稀だったり、既に家庭的に先ほどのような環境が整っていることが大方です。

「やりたいようにしなさい 」の傍らでは親の思うようになって欲しいとの願いやしつけからの逃避や放棄が存在したり、子育てをする能力のなさが露呈した結果であることもあるものです。

むしろ、そんな親であれば子供がしっかりすることもないではありませんが。
  


Posted by mister_kei0918 at 22:51Comments(0)

2008年12月16日

これを困難とか至難、苦労とか捉えないで!!

千歳(載)一隅のチャンス?

天下の大企業が社員のリストラを進めたり、非正規雇用の方々の契約打ち切りが社会問題となってきました。

特に年末を控えてのこの事態は本人にとっては死活問題です。
家族を抱えている方々の事を思うと悲しくもなります。

とりわけ子供たちの様子を創造するだけで万感胸に迫ってくる思いが交錯します。

日本人がこんなにも世界中と近い関係にあって、しかもお互いが影響しあうことを始めて実感をしたのではないでしょうか。

昔の変動相場制への移行やニクソンショックもありましたが、国民全員が認識し実感したのは恐らく初めてでしょう。

国内では100年に一度の事態だと言われます。
或いは日本の歴史始まっての事態に発展するかも知れない様相を呈してきました。

こんな時でも、しっかり雇用を確保したり、事業をプラス方向に誘導している経営者もいるものです。

周りの雰囲気に飲み込まれることなく、
自社の立ち位置をしっかり見極め、
足元を固め、
守りに走ることなく、
気持ちをしっかり持って、
社員の気持ちを鼓舞しつつ、
夢を与えて、
一歩先に焦点を当てて脇目を振らず、
こんな時こそ、荒んだ気持ちを捨てて、
人や関係業者を大切にして、
後悔しないように全てをやりつくし、
社会に必要とされる様に企業努力を忘れないで・・・・・。

こんな時ほど、やりがいもあるものです。
凄い経験が出来る最大のチャンス到来と捉えて、全ての神経を集中したいものです。

世界中に嵐が吹きまくっています。

自分や企業を守る完璧な防護策はありませんが、もう二度と遭遇することがないであろうこの未曾有の危機を「千歳(載)一隅のチャンス」と捉えて粉骨細心頑張ってみたいものです。

これを困難とか至難、苦労とか捉えないで!!  


Posted by mister_kei0918 at 11:32Comments(0)

2008年12月15日

金銭的に或いは仕事上で救って貰う以上に大切なもの

苦しい時ほど人に会いなさい!!

人は人によって支えられていることを実感する日々です。

実は若い頃は日頃の仕事やプライベートをこなすのが精一杯で、そんなことの大切さを実感をもって感じることはありませんでした。

オーバーな言い方をすれば、人に会うことが苦しみを倍化させ、新しい悩み苦しみを生み続けるものと信じていたものです。

誰か、比較的近い方が何度も教えてくれると良かったのですが。
あるいは教えてくれる方が近くに欲しかったものです。

様々な会や組織に所属をしてますが、
仕事目当ての参加は長続きはしないものです。

また、仕事を貰えなくなる事が縁の切れ目。何かトラブルがあると会の存在さえも否定し始めます。

そうでなくても続けて参加することは時間も費用もかかるものです。
ましてやお世話となると余計に大変なものです。

大切にしている会が幾つかありますが、それは全て仕事とは関係のない会です。

人間関係を構築することを優先させたり、人から学ぶことの多さや大切さを先に実感することが例え仕事に結びつけるにしても肝要です。

求めることが多いと人との関係はスムースには運ばないものです。
「与えよ、さらば与えられん」でしょうか。

ここ30年位は、努めて多くの方々に接することを最優先的に考えて動いてきました。

振り返ってみると、苦しい時や悩む時に限って能動的にしかも寸暇を惜しんで人に会ったものです。

でも、人は私の悩みや苦しみなんて眼中にはないものです。私自身もそんな素振りは見せませんから。

しかし、取り留めのない会話の中にも勇気を貰ったり、笑いを頂いたり、明日への活力を頂いたりするものです。

何度となく救われたものです。

金銭的に或いは仕事上で救って貰う以上に大切なものを頂きます。

迷った時、苦しい時、悲しい時、辛い時・・・こんな時ほど人に会ったほうがいいようです。

そうです、
嬉しい時、喜びに小躍りする時、ワクワクするとき・・・こんな時にも人に会って、自分の喜びを人にもお裾分けすることが大切なようです。
  


Posted by mister_kei0918 at 22:20Comments(0)

2008年12月14日

不安や恐怖に慄く日々を感じている

今年の漢字は「変」

昨年の漢字は「偽」。
食品偽装問題や様々な偽者や偽物、誤魔化しが横行した年でした。
清水寺で2008年の世相を象徴する感じが12日に発表がされました。

日本漢字能力検定協会(京都市)が毎年発表して今年で14回目のようです。

本当に変な一年でした。
変のつく字を羅列してみると、
政変、大変、変化、変革、変人、変質、変身、変心、変死、変異、変換、変形、変幻、変更、変災、変種、変性、変成、変節、変遷、変装、変相、変造、変則、変体、変態、変通、変哲、変転、変動、変貌、変約、変容、変乱、激変、変乱・・・・・

アメリカの次期大統領は「チェンジ(変革)」を訴え、日本の民主党は政権党の変更の為の総選挙を与党に迫り、世界中の金融や経済は激変してきました。
企業にとっても急転直下の変動の冬を迎えましたし、大変な来年になりそうです。

世の中には変人、変質者が起こす事件事故が頻発し、大変な世の中の到来を予感させます。

同じ変わるなら、人々の心休まる安堵の世界が訪れて欲しいものです。多分、世界中の人々は不安や恐怖に慄く日々を感じているに違いはありません。

石原東京都知事は「変じゃない、むしろ乱じゃないか。乱れてきたんじゃないの」と評されたようです。

2位以下には「金」「落」「乱」「高」、10位には「薬」だったようです。

来年の漢字は「幸」とか「希」、「楽」とか「福」・・・そんな漢字の登場であって欲しいものです。  


Posted by mister_kei0918 at 22:57Comments(0)

2008年12月13日

そして希望は捨てたものではありません

恥ずかしがり屋は目立ちたがり屋、負けず嫌い?

自分はこんな人間だと決め付けるのは時期尚早です。
色んな多面性を持って人は作られています。

私などはその典型かもしれませんね。

むしろ人に会うことを避ける人間だったといっても過言ではないでしょう。
でも、不思議なことです。
数十年もたって振り返ってみると、
実は人が大好きで、
話しを聞かせて頂く事も大好き、
お世話もすることも大好きであることが判明。

逆説的になるのかもしれませんが、常々人を避けようとする人、恥ずかしがり屋で、人前にも出たくないと思っている人。

本来的には、
人に会うことが好き、
恥ずかしがり屋で在りながら、実は内面は目立ちたがり屋、
人よりも前に出たい性格・・・・・。

そんなものです。

そんな方の良いところは、内面は目立ちたがり屋ではありますが恥ずかしがり屋の側面をまだ残してますから、でしゃばらない、人を押し分けてまで前に出ようとはしないものです。

あと一つ、人の話を上手に聞ける人もこんな人に多いようです。
自分の主張に終始しないで、上手に人の話しが聞けます。

おまけに大事な事を一つ、

こんな方は基本的には負けず嫌いの方が多いと言うことは先ほど言いましたが
だから、恥をかくのを嫌いますので嘘をつくのが嫌ですし、ヘタ。

恥をかかないために勉強や研究熱心な側面もあります。

人は本来の内面を隠す為に、神様が色んな手練手管を使ってハンディを与えてくれています。
それははじめから、人の姿の全てをさらけ出すことなく、経験を重ねていくうちに徐々に顕在化するものをそっと与えてくれているかのようです。

ですから、時には殻を破ってみると面白い自分発見が出来るものです。

それには勇気を振り絞って、表面に見えていない自分の姿をそびき出す努力をしてみたら面白いかも。

豹変したり、急激に人間性が変わるのは恐ろしいことで歓迎されることではありませんが、いい意味で何処かで違った自分の姿が発見できることはそこからまた新しい人生が始まったりも致します。

殆どの方がそうではありませんが、お試しあれ。
そして希望は捨てたものではありません。  


Posted by mister_kei0918 at 11:41Comments(0)

2008年12月12日

パナソニック、つまり松下幸之助さんのお話

失敗の準備?

「何事にも準備を怠ることは、失敗の準備をしていること」
何方かの言葉を教えていただきました。

パナソニック、つまり松下幸之助さんのお話や旧松下電器産業の話しをお聞きした中で急いでメモにしましたので何処か言い回しが間違っているかもしれません。

誰も普段から失敗の準備などする人はいませんが、心の準備「そんなこともあるかもしれない」程度のことは想定しておくことが大事なようです。

不思議なもので失敗を余りにも拘りすぎたり、想像が過ぎたり、予見をしすぎると妙にその方向へ進んで行ったりするものです。

「それ見ろ、言わんこっちゃない」とか、「なんとなくそんな気がしたんだよ」などはそういうことではないでしょうか。

でも失敗しない為の準備や心構えは幾らか必要なものです。
また「過ぎたるは及ばざるが如し」です。

用意周到すぎるのもどうかと思います。
私などは性格的にはそちらのほうですが、万全を期したつもりでも落ち度はあったりもするもの。

ですから、ここまでやったらいいという線を自分で決めておいて、後は時に任せる方が上手くいくことが多いようです。

諦めも肝心、ある程度準備が出来れば後は運を天に任せるところもあっていいものです。

経験を重ねると、コツが分かってくると言うのか、失敗するところや問題点を把握できますので失敗の度合いはいよいよ少なくなってくるものです。

そのように考えますと、やはり失敗も重ねることが大事なようです。
「失敗は成功の元」とも言います。

学習能力がないといけませんよね。  


Posted by mister_kei0918 at 17:07Comments(0)

2008年12月11日

不測の事態にならないように。

晴天の霹靂とはこのこと?

世の中、不意の出来事は多いものです。
今、世界中を震撼させている大変な問題。

大変な出来事は様々にありました。
今まででしたら

従来からの地域紛争もそうです、
隣同士の民族的な紛争、
宗教を発端とした地域的な紛争、
新型インフルエンザのような新しい病原菌の出現による問題、
貧困と戦う地域、
感染症によって子供たちが命を失う事態、
自然災害によって生活基盤を失ってしまうこと、
政治的な貧困状態にある国々、
経済的な理由による貧困、
イデオロギーの違いによる戦いや分断
国境の確定が出来ずの戦い


この付近が私どもの想定の範囲でした。

昨年の7月のアメリカのサブプライム問題がまさかこんな風に世界中を巻き込む事態に発展するとは殆どの方が想定外だったのではないでしょうか。

また、日本でも心配の種ではありましたがこんな酷い事態になることは評論家を含めても想像を遥かに超えているように思えます。

世界で蠢いている金融面での影響は及んでくるものとは思っていましたが、この様に実体経済に深刻な事態を引き起こすとは本当に仰天の霹靂です。

しかもこの深刻さはつい2~3ヶ月前からのことです。
いきなり断崖絶壁がやってきたという感じでしょう。

日本では100年に一度の事態とも騒がれています。

今まで、中小企業に好景気の恩恵が届かないということで大騒ぎをしていたのが昨日のように思われます。

誰しも、グローバルの恐ろしさをまざまざと見せ付けられるという感じです。
予測の出来ないこと、世界中の誰しもが考えもしなかった事態。
事前準備をする間も無く、荒波の如く押し寄せてきました。

倒産や社員の解雇、不正規雇用の契約解除、工場の閉鎖、減産、計画の延期、・・・

何処まで続くのか見当もつきませんが、影響が及ぶのを最小限に止める知恵や行動を起こさねばなりません。不測の事態にならないように。  


Posted by mister_kei0918 at 14:50Comments(0)