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2009年01月31日

時には戒めを

先輩からは知恵を、後輩からは感覚を

昨年は小学校の6年生の子供たちに租税教室の先生を何度かしてきました。
楽しいものです。

子供たちのきらきら輝いている目を見るのはいつでも楽しいものです。
心が洗われる様な思いです。

にこやかな表情に会うと尚更のこと、有り難いことです。
屈託のない笑顔は私の心まで爽やかにしてくれます。

子供たちの感覚や感性の凄さにはには脱帽です。
会えることが待ち遠しいくらいです。

有り難いことです。

先輩たちとは良く杯を傾けます。

その経験の太さや知恵の量は半端ではありません。
私の思いもつかなかったこと、想像を越えて様々なことを教えていただけます。

時にはついていけない自分が悲しくもなりますが、そのうち追いつくでしょう。

時には人生の叡智を
また、時には勇気を、
そして、時には戒めを、それとなく教えていただきます。

西洋のことわざからこんな言葉を見つけました。


『先輩からは知恵を、
後輩からは感覚を汲むがよい。西洋のことわざ』
  


Posted by mister_kei0918 at 17:50Comments(0)

2009年01月31日

微に入り、細にわたり想像する

人生を成功に導く手立て

多くの財産やお金をそんなに欲するわけではありませんが、人並み以上の生活は誰でも望むものです。
或いは人によっては、財産もお金も地位も全く要らないという人も存在することは否定はしませんが。


そんな方は、

全てが満足に揃っていて必要とするものが最初から存在しない、
最初から、物事を諦めている人、
或いは、全く欲のない人(悟りの境地?)、
知的にそんなことを考える能力に乏しい人、
もしくはそんなことに罪悪感を持ち、考えまいとする人(実は考えているのですが)

成功するというと、つい大金持ちになるとか、山のような財産を手に入れることを思いがちですが、そうではなくて善良な社会生活が営めて、人並み以上に幾らかゆとりがあれば実は立派な成功者ではないでしょうか。

世の中、高望みをすればきりがないものです。

そういう意味で人生を歩むとどうも法則みたいなものが存在するようです。
見つけましたのでご披露いたします。

それを難しいと思わないで、短期間でも辛抱して繰り返しているうちに、癖になってしまいます。
そうなるとしめたものです。もう成功は目前といっても過言ではなさそうです。

ご参考までに。


「成功六ヶ條」

 一.如何なることがあっても物事を肯定的に考える。
 二.常に一歩でも二歩でも前進することを考える。
    そのために努力することを惜しまない。
 三.如何なるときでも人生に対する明確な目的意識を持ち続ける。
 四.自分を信じ他人の否定的な言動に惑わされない。
 五.大事に直面して失敗を恐れない。必ず成功すると確信する。
 六.将来の望ましい自分の姿を常にありありと、微に入り、細にわたり想像する。
    そうすると想像どおりの人となると確信する。

                      道幸武久-『加速成功』より一部抜粋!!  


Posted by mister_kei0918 at 16:51Comments(0)

2009年01月29日

鬼の撹乱でしょうか

こんな大事な時に

毎年のことですが、今頃になると恒例行事のように風邪に悩まされます。

私だけならいいのですが、ついうつして仲間に引き入れてしまうから困ったものです。

インフルエンザは頼みの綱であるタミフルが効かなくなっていると言うのです。
どうもウィルスに耐性が出来て効果がないというのです。
困ったものです。

私はインフルエンザではなく普通の風邪ですが、ひき始めは今月の20日前後でしょうか。
もう今日でかれこれ10日近くになりました。

その間、毎日のように行事が続きましたから余り弱音は吐きたくはないのですが、休まずに予定を確実にこなしてきました。

異業種交流が数回、小学校での租税教室の先生、業界団体のセミナーの講師、勉強会が数回・・・
その間、来社される方々との挨拶や打ち合わせ、東京ミッドタウンでの会議・・・

こんなときに限って、来訪者の方や電話が引きを切らずにあるものです。
弱音はイヤですしね。

また、タイミングの悪いことにこの冬一番の寒さにも遭遇し、東京からの行き帰りは雪の福岡でした。

とうとう、妻にうつしてしまいました。
多分社員の中にもうつされた者がいるかもしれません。

昨日から、幾らか気分が落ち着いてきましたので今からは時間が一番の薬でしょう。
「風邪は万病の元」と昔から言います。

風邪で体力が弱ったところへ色んな病原菌が襲ってくるものです。
それだけに馬鹿に出来ないのが風邪です。

風邪をひいても会社や出ごとを休むわけにもいきません。
それがまた、早く風邪を引退させる一番の処方箋のようにも思えます、私にとっては。

本当は休養が一番。

来週後半はまた、東京での大きな行事のセミナーのパネラーを努めます。
そのセミナーで発表するパワーポイントのデータ作成がこれからです。
あさっての週末までには作成のつもりではありますが。

でも大事に到らなくて良かったです。

毎年の通過儀礼のような風邪ですので、当分の間他人から移ることは無いかと安堵をしたりしてます。

油断大敵!!
  


Posted by mister_kei0918 at 22:21Comments(0)

2009年01月29日

足元くらいにでも到達できれば大成功かも

座右の言葉です。

高校時代に孔子の書物に出会い、もう今ではボロボロになってしまっています。

そんなに読みこなしたのではなく、もう数十年も持ち歩いているからです。

引越しも何度かしましたし、家の中でも、会社でもあっちに移動したり、こっちに動かしたりしてますから。

実は時間があればいつも読み返したい本です。
中身が多すぎてなかなか熟読は出来ませんが。

中でも一番好きな言葉です。
よく、一人で繰り返しています。

「子曰く、われ十有五にして学に志す。
三十にして立つ。
四十にして惑わず。
五十にして天命を知る。
六十にして耳順う(したがう)。
七十にして心の欲する所に従えども矩(のり)を踰(こ)えず。」

四十にして惑わず、五十にして天命を知る・・・までは良く語られるところです。

私が好きなのはその後の「六十にして耳順う(したがう)。
七十にして心の欲する所に従えども矩(のり)を踰(こ)えず。」の部分。

2600年前といわれますから、途轍もない昔のことですが、その頃60、70歳まで人は生きていたのでしょうか。

だからこそ、その言葉が生きてくるのでしょうね。

それだけ、人は「耳順う」、或いは「心の欲する所に従えども矩(のり)を踰(こ)えず」の状態になることの難しさを語っておられるのでしょうね。

望みなんです。

私が若し、今で言えば90、100歳になった頃にでもそんな人間になっていれば最高だなと。

でも無理な話でしょう。

そこまで寿命がもつかどうかさえ不透明ですし、私ごときの精進ではとてもとても不可能な話しです。

ま、足元くらいにでも到達できれば大成功かも。  


Posted by mister_kei0918 at 18:03Comments(0)

2009年01月28日

租税教室の先生をしてきました

子供たちの笑顔に魅せられて

今日は、寒さも幾らか和らぎコートなしでもそんなに寒さは応えません。
昨年も数回に亘って、小学校の6年生の租税教室の先生をしてきました。

子供たちよりも見学する大人たちの方が人数が多いくらいです。

そのようなことで一般の教室で開くには、人数が多すぎるとの事で急遽図書館での開催となりました。

いきなり図書館に訪れた子供たちは大人の多さに幾らかびっくりしたようではあります。

見学者は経営者団体の会員の方、その事務局、税務署、隣の県の方々・・・総勢で25人は越えていたような気がします。

毎回そうですが、子供たちの素直な様子や顔を見ながらの先生はそれはそれは楽しいものです。
緊張しないといえば嘘になりますが、それは最初のうちだけ。

どのような言い回しをすれば子供たちに税のことを理解してもらえるか、
言葉一つでも、特に小学校の子供たちには選ばないといけません。

言葉使いで、傷つけたり悲しい思いをさせてもいけませんからね。
折角先生からいい事を教わろうとしているのに、逆にがっかりさせてもいけませんし。

後から、感想文も書いてくれるようですから楽しみです。
子供たちがどんな評価を下してくれるのでしょうか。

子供たちは大きな救いでもあります。
とりわけ大人に取っては。

子供の姿で励まされたり、
子供の笑顔で心が和んだり、
子供の様子で勇気が出たり、
子供がいるから頑張りも出るものです。

今日も彼らの姿に接することで元気に頑張れそうです。  


Posted by mister_kei0918 at 12:53Comments(0)

2009年01月27日

何もしないで経験する挫折とは中身が違います

やるリスクとやらないリスク

人は変わらないといけない場面があります。
或いは実践をしないといけない場面、
行動を起こさないといけない時、
努力をしないといけない時、
我慢をしないといけない時、
様々な局面に遭遇します。

その時に自分を
方向転換できるのか、出来ないのか、
するのか、しなのか。

ここが天下の分かれ目、人生の分岐点になってしまいます。

また、人生は失敗の連続。

だから面白いのです。
平坦で何事もない人生なんて怠惰で、全く無味乾燥で充実感のない人生になってしまいます。

時には歯を食いしばったり、悔しい思いに駆られたり、場合によっては涙を流したり、様々な葛藤の中を目的に向かってひた走る人生こそ意義深く、達成感が伴って素晴しいものです。

アメリカのオバマ大統領は「変化」を求めています。

国が変化するには大変なことです。

でも、個人が変化することは気持ちの持ちようで実現可能なものです。

変化するリスクと変化しないリスク。
折角同じリスクを背負うなら「変化するリスク」を選びたいもの。

例え、それが失敗に及んでも爽快感が伴いますし、何もしないで経験する挫折とは中身が違います。

当然、努力の結果で得た知識や経験、人間関係・・・は次の行動に十分有用に働くものです。

当然、それを踏み台にして一段上のハードルを越えることも可能になってくるものです。
恐れるものも少しづつ少しづつ減少していくものです。

どうせ選ぶなら「変化するリスク、行動するリスク」を選択したいものです。  


Posted by mister_kei0918 at 13:59Comments(0)

2009年01月25日

「人の心は金で買える」?

「知るよりも見る」

昔から「頭デッカチではダメだよ」と言われたものです。

つまり知識だけが選考すると、周りに対する配慮だとか、思いやりだとか、本来人間としてあるべき資質が伴っていないといけませんということです。

「勉強だけが選考して、友人知人との付き合いや交流をおろそかにしているといけません。」
ということを教えて下さっているようです。

先日のテレビを見てましたら。イス職人の方が父親から教わった言葉としてそんなことをおっしゃってました、「知るよりも見る」と。

見るということは、確かなものを極めるに通じますし、悟るに通じると思うのです。

何事にも目を背けずに、正面から対峙することに通じます。

物事を多く知っていても、それは表面上のことであって決して人間的に優位に働くものではないと思うのです。

物事を真剣に見て、知識を智恵化すること。それが大事なことのようです。

何処かの経営者、当時は時代の寵児として大いにもてはやされて、マスコミにも日常的に出演してましたが書いた本の中や言葉で「人の心は金で買える」等と公言してはばからなかったものです。

いま、思うとやはり頭デッカチのなせる技だったのでしょう。

ところがその後の人生は飛んでもないことになってしまいました。

私どもは情報社会の中にあって、それこそ洪水のように押し寄せる情報の中に埋没をしそうなことになりそうです。

少なくとも以前は知識を深めることにさえ、時間と労力、お金が必要だったのですが、今はたやすく、極論をすれば向こうから知識がやってくるという感じにもなっております。

しかも、不必要な知識、有罪、罪悪な情報も有無を言わさず押し寄せて参ります。
それが為に身の破滅を招いた人、いつの間にか泥沼に足を突っ込んだ人がどれだけいるのでしょうか。

そんな世の中になればなるほど、見る、つまり自分で確認をするという意識や行動こそ大事になって参ります。

「知るよりも見る」
今の時代こそ、こんな言葉が大切にされねばいけないような気がします。  


Posted by mister_kei0918 at 18:33Comments(0)

2009年01月25日

至福の時間が過ごせることは間違いがなさそうですよ

最高のおもてなしを垣間見てきました

朝からの雪の福岡でした。

お陰で十分ゆとりを持って出かけた福岡空港への道路は渋滞。

どうも都市高速も閉鎖されているようで、上を走るはずの車が全て一般道路へ乗り込んできているようです。

間に合うかどうかのハラハラ状態でした。

おまけに空港へ近づくにつれて雪は激しく降ってきます。
いつも預ける駐車場から空港ビルまでの間で随分と雪にまみれてしまいました。

浜松町に到着したのが12時ごろ。

ザ・リッツ・カールトン東京での会議は1時が受け付けですので十分に時間があります。
そこまで歩くことにしました。

いつもの土曜日であれば大濠公園でウォーキングをする日ですから、事のついでにいつものスケジュウールをこなす意味もこめて。

世界貿易センターを抜けて、芝の増上寺、東京タワー、ロシア大使館?、六本木ヒルズを横目に東京ミッドタウンまで所用40分くらいだったでしょうか。

外気温は幾らか冷たくは感じましたが、丁度いい頃合いの運動になりました。

東京ミッドタウンの中のあるザ・リッツ。カールトン東京、宿泊が目的ではありませんでしたが約6時間に及ぶ会議、その後の懇親会9時までです。

周りの景色も含めてやはり素晴しいものでした。

従業員の方々の我々に対する応対しかり、食事にしてもうわさに違わぬものでした。
コンパニオンの方々も多分選り抜かれた彼女達だったのかも。
至る所に配慮を感じることが出来ました。

宿泊料金も10%のサービス料金を入れると最低でも8万円弱、最も高いザ・リッツ・カールトンスイートは約100坪の部屋で2百20万円。

多分、夕食は別途でしょう。

でも、その位、或いはそれ以上の価値は十分あるでしょう。
47階から53階までがお部屋ですので見晴らしも素晴しいものです。

至福の時間が過ごせることは間違いがなさそうですよ。

一度、機会を作って宿泊を試みないといけませんね。  


Posted by mister_kei0918 at 17:29Comments(1)

2009年01月23日

宿泊料金が最低でも7万円を越すとか

明日が楽しみです「究極のおもてなし」

明日は東京地方の天気はどうでしょうか。
今日の夕刻からの福岡地方は雪は降るし、風は強いし、久々の寒さに震えています。

どうも風邪を引いている人も多く、あちこちでゴホンゴホンが聞こえています。
風邪ならまだしも、インフルエンザが流行しそうとの事です。

十分、健康に気をつけて万病の元とも昔から言われる風邪、インフルエンザには十分対策を講じておきましょう。

聞くところによると、インフルエンザに効くといわれるタミフルがどうも効きが悪くなっている、効かないというニュースを耳にします。

そういう私も明日の東京行きを前にして幾分風邪ぎみになってしまいました。

そうです、明日には大変な楽しみが待っているんです。

あの、世界でも有数、或いは世界一かもしれませんが、「おもてなし、ホスピタリティ」に出会えます。

世にも聞こえたあの高級ホテル「ザ・リッツ・カールトン東京」に出かけます。

東京ミッドタウンの中にありますが、午後から約8時間程度の会議に臨みますがその会場が「ザ・リッツ・カールトン東京」。

当然、会議の中身も大事なことですが最大の興味は「ザ・リッツ・カールトン東京」のおもてなしの様子です。

大阪についで、確か昨年オープンしたばかりの筈です。

私ども製造業の経営者にとっても最大の課題である顧客とのコミュニケーション。

しかも、それを越えた「おもてなし、ホスピタリティ」に正面向かって接する機会に恵まれましたのでつぶさに拝見しながらその究極のおもてなしを勉強して参ります。

宿泊料金が最低でも7万円を越すとか。

そして、またご報告を致します。  


Posted by mister_kei0918 at 23:06Comments(0)

2009年01月22日

生きたお金の使い方を目指す経営者こそ

「借りて兜の緒を締める」

「勝って兜の緒を締める」・・・勝負に勝っても驕り高ぶらずに、慎重に低姿勢で、気分を引き締めなさい・・・の意です。

人間はつい、有頂天になったり、気持ちが緩んだり、本来の自分を見失うことが時々あるものです。

特に私のような軽い人間は有頂天になってしまうと天上までも登ってしまうものです。

足元を見つめることを忘れ、自分の力を過信し、如何にも自分の力であるが如く錯覚をし、本来の自分を見失ってしまうものです。

特に景気の良いときなどは、ついそういう事態に陥ったりも致します。
景気がいいときはどの会社にとっても良いわけですが。

本当は自分の力よりも周りの人、営業や製造現場、ひいてはお得意先が景気に押されて注文を出してくれるから業績に反映をしているものです。

今の経済状況で言えば、殆どの企業が停滞を余儀無くされているわけですが、政府が出した緊急経済対策などもそうかもしれませんね。

担保ナシ、保証人ナシ、低金利で比較的簡単に貸してくれるわけですから、つい気も緩んで緊張感も失ってしまいます。

こんな話しがあります。

年末まで、資金繰りに苦しんでいたある経営者。
飲みに行くのも控え、経費を切り詰め、倹しい生活に終始していたのです。

年始に待望の緊急保証制度を利用することが出来ました。
当然、数ヶ月を凌ぐには必要なお金です。
当然、返すことを約束したお金です。

バブルの終末期を思い起こせばいいのですが、喉元を過ぎれば忘れ去ってしまいます。

あの時も借りて一時は凌いだものの、倒産の憂き目や夜逃げをした経営者が如何に多かったことか。

その方は自分の懐具合が良くなったものと勘違いをしてしまっています。

声が掛かってきました「国の融資が下りたから、一杯やろう」。
早速、再び夜の行動が始まってしまいました。

こんな時ほど、「借りて兜の緒を締める」。

自分が稼いだお金で無ければ尚更のこと、慎重に大事に有意義に使うことだ大事でしょう。

例え、使う当てがなくても無駄使いは所詮、元の木阿弥、自分の首を絞めてしまいます。

景気の悪い時、経済が動かない時こそ、実は最大のチャンス。
生きたお金の使い方を目指す経営者こそ、真の経営者でしょう。  


Posted by mister_kei0918 at 14:42Comments(0)

2009年01月21日

五美四悪は私ども社会人に言い換えても、そのまま役に立ちそう

世界のトップリーダーが変わりました。孔子の言う政治家とは。

昨夜のテレビは多くの方々が見られたと思います。

私も1時半からの中継を見るつもりでスタンバイしてはいたのですが、深酒が祟って寝入ってしまいました。(下戸なものですから少々の酒で)

気がついたのは今朝の6時。

オバマ大統領ご夫婦は車から降りて、議会からホワイトハウスへのパレードをされている最中でした。

アメリカで初めての黒人大統領の登場。
しかも40代。強調したのはチェンジ。

経済も金融も、世界の政治状況、地域的な紛争、自然災害、環境の危機的状況、宗教の対立、世界に広がるテロ活動・・・・・

もうそれこそ世紀末ではないかと思われるほどです。

当然、期待も高まるのは仕方がないでしょう。

そこで、大いに歴史を遡って孔子が政治家について述べている言葉を捜してみました。


孔子が政治家の資格について尋ねられて、

「五美を実行し、四悪を排除できれば資格が充分だ」と答えています。

その五美とは?と問われて

「上に立つ者は、人民に恩恵を与えてしかも国庫を乏しくしないこと。
人民を使役してしかも不満を抱かせぬこと。
気宇宏大であってしかも寡欲であること。
泰然としていてしかも傲慢でないこと。
最後に、
威厳があってしかも圧迫を感じさせぬこと。
この五つがそれだ。」

では、四悪とは何ですか?と問われて

「社会教育をおろそかにしておきながら、いきなり法律にそむいたといって人民を処罰するやり方、これを残忍といわずに何といおう。
指導もせずにいて実績をあげろと強制する、無茶としかいいようがない。
はっきり命令を下さずにいながら、突如として実行を迫る、それは非道というものだ。
出すべきものもケチケチ出し惜しむもったいぶったやり方、
これが小役人根性である」


五美四悪は私ども社会人に言い換えても、そのまま役に立ちそうです。

日本も政権交代の話しがチラチラ。
埃の出そうな、如何わしい、うかがわしい政治家の多いこと。

日本に孔子の言う五美を備えた政治家はいるのかと訝る向きもありそうです。

オバマ大統領の船出は決して楽なものでもありませんがアメリカ大統領の言動は世界の全てに只ならぬ影響を与えます。

大きな期待を背負って、命を懸けて世界の為に頑張って頂きたいものです。

どんな世界が新しく生まれ展開されるのか、どんな変化が見れるのか楽しみです。  


Posted by mister_kei0918 at 16:44Comments(0)

2009年01月21日

私も子供たちに言いたかったものです

悲しみや苦しみは隠し味

人生は悲しみや苦しみの連続と言っても過言ではないものです。

無駄にしないためには、自分の人生にいずれや役に立つ、有用に働くとの思いが先行することが大事なようです。

とかく若い頃は、そのことを理解していないが為に悲しみや苦しみの坩堝にはまる、もしくは奈落の底に落とされたような思いに駆られるものです。

やはり経験を踏むことに尽きるのですが、いずれ好転する為の産みの悲しみ、苦しみと思えば幾らか気持ちも安らいでいくものです。

「自分だけがどうしてこの様な不幸な目に遭うのだろう」とか、
「自分の一生をこのまま苦しみながら生きるのだろうか」、
「神はどうして自分だけにこんな苦しみを与えるのだろう」とか思い悩んだりします。

でも、その本人自身が他人の悲しみや苦しみの度合いや存在など知りはしないくせにです。

人は多難な人生を歩んだ経験は決して無駄にはならないものです。

或いは無駄にならないように努力をした人はと言い換えたほうが良いかもしれません。

無駄にならないように努力をするには、自分自身がそれを悟るには余りにも時間を要しますので、親であるとか周りの人々から教わるか、その姿をつぶさに見る機会に恵まれ、そして学ぶことでしょうか。

例えば、自分の子供には、

「苦しみや悲しみから逃げてはいけないよ。
自分の力で乗り越える努力を惜しんでは尚いけません。

それは、あなたなら乗り越えられる大きさの苦しみや悲しみを神様が与えてくれたものなのです。

より以上の強い人間にする為に与えてくれたのです。
乗り越えた暁の喜びを君に与えようとされています」

私も子供たちに言いたかったものです。

しかし、私自身が教えていただいていませんでしたので、ゼロからのスタートでした。

もう学んだ頃は、子供は成人し、私自身も多くの悩みから解放された頃でした。  


Posted by mister_kei0918 at 14:01Comments(0)

2009年01月19日

そしてあくびをすること

退屈も時には必要

いつも仕事に追われ、走り回ってますが時には退屈を満喫するのも良さそうです。

四六時中、予定に追われる生活に浸かってしまうとそれがリズムになってなかなか抜け出せないものです。

時にすることが無いと置いてきぼりを食ったような、取り残されたような、却って焦りを覚えたりもします。

私の口癖です。

「忙しいと言わない。忙しいという字は心を無くすと書いてあるでしょう」
何処かで聞いたような言葉ですが、それは逆に忙しさを求めているような、忙しさが善であるような言い訳でもあります。

本来は硬軟使い分けるとでも言いますか、忙しいときがあって、時には心の選択が出来るような落ち着いた時間も必要なものです。

悪い癖です。

時間が空いたら、何かできることを探してみたり、無理に予定を詰め込んでみたり、急遽スケジュールを変更して空白を埋めようとします。

休みでもそうです。

何も無いと、すぐ家内を誘って行動を起こしてしまいます。ドライブやショッピングや旅行、映画・・・・・

落ち着くことを知らないとでもいうか、一種の症候群(シンドローム)とでも言うのでしょうか。
いい言葉で言えば「体力が続くね」、
とか「良く体が動くね」等といわれますが。

でも、人は時には一呼吸置いて、どっしりと構えて物事の判断をすることも大切でしょう。

特に経営者は、予定に追いかけられることなく悠久の時間の中で見据えた判断を要求されたりします。
その為にも、時には退屈と思われる時間も大切なようです。


『退屈は雑草であるが、
いろんなものを消化させる薬味でもある。ゲーテ』


『よき人生には三つの要素がある。
学ぶこと、
稼ぐこと、
そしてあくびをすること。クリストファーモーリー』  


Posted by mister_kei0918 at 19:03Comments(0)

2009年01月18日

家族や会社の為にも健康でいないとね

体重ダイエット、8キロ減量成功は良かったの?。顛末その2

経営者は少しは太っていたほうが見栄えもするし、社員やお客さんに安心感も与えられるなどと勝手な理由付けや思い込みもあったものです。

自分自身は健康診断をすれば、何か指摘されるようなことはあるだろうとの危惧や予測はあったものです。でも、年齢の割には程ほど健康であろうと自負していたことも事実。

最後まで健康診断へ行くのを躊躇っていたのですが、半強制的に行く事になってしまいました。

最近、久しぶりに会う人から、「ダイエットした?」、
「幾らかスマートになったね」はいいのですが、

「どうした、病気でもしたのか?」、
「前の方がふっくらしていて良かったよ」等と言われるのはショックです。

薬やサプリメントを使ってのダイエットは嫌ですし。

実行したことは?:
まず、過食を避け、満腹状態にしないこと。
一日3食を守ること。(前日に食べ過ぎた時には朝食を抜くとか減らすとか)

間食を避けること。(午後の3時ごろになると社員の女性から戴くとつい手が出ますが、そこは毅然として)

出来るだけ脂っこいものを避けること。(でも手が出ます)
適度な無理のない運動を。(週に3回、早朝に大濠公園を2周回。普段でも近いところは出来るだけ歩く。それも早足で。エスカレーターやエレベーターをなるべく使わない)

食べ物のテレビ番組をなるべく見ない。(脳が食べている時と同じような反応をしている気がする)

機会がある度にお腹に力を入れる癖を。(例えば階段を登る時など)

水分を良く取る。(清涼飲料水は避ける)

アルコールを飲む機会は減らせませんので量を減らす。(続く時は、乾杯位に止めて水かウーロン茶を)


ここ半年位で8キロの減の自覚:
確かに減ってきました。

ウェストが確実に小さくなりました。(ベルトの穴3個ほど)

体の軽いのが分かります。(お尻もどうも小さくなったようです。余分な肉が取れて)

背広やカッターシャツがゆったりとなり着やすくなってます。

宴会で座敷になっても立ち座りが気にならなくなりました。

階段を登っても息切れや疲れがありません。

山登りをしますが、体の軽さを確実に実感出来ます。

太っていると長時間に亘って机に座っているのが窮屈ですが完全になくなりました。



顔はもともと小さいほうですが、それでも以前からすると細くなったと言われます。

身長からいくと、後3キロ程度は痩せたいと自身では計画しているのですが、最近、こんなことを言われる機会が増えて困っています。

「もうこれ以上、やせなくて良いですよ」、
或いは悲壮に「痩せないで下さい!!」の懇願もされたりして。

「今はそんなことはありませんが、痩せ過ぎは貧相に見えてきますよ」、
「痩せすぎは皺を増やすことになってしまいますよ」、
「痩せ過ぎると、年取って見えますよ」

こんな忠告を戴いたりして。
今はそこまではいっていないのですよ。

昔からそうですが、顔は小さい精でそんなに体重はない様に思われがちな所が昔からあります。

案外、裸になると骨太だったり、筋肉質だったりします。

ですから、本人としては後3キロぐらいという目標を立てているのですが。

でも少なくとも、ベスト体重に近づいてきましたのでこれからはそれを維持する方向で努力が必要だと認識しています。

振り返ると、嫌がっていた健康診断でしたが結果的には素晴しい効果を見て大成功だったと思っています。

家族や会社の為にも健康でいないとね。  


Posted by mister_kei0918 at 19:28Comments(0)

2009年01月17日

20キロの米袋を体に下げて歩いている

体重ダイエット作戦、8キロ成功は良かったの?。顛末その1

ここ数年、多分6,7年ほど前からでしょうか。

体重の増え方が大きかった為に、やたらと体型が丸くなっておりました。
顔は丸くなるし、お尻はプルプルだし、洋服ははち切れそうです。

増えすぎかなとの思いは常にありましたし、その弊害も十分認識はしていたのです。
確かに反省すべきところも多々ありました。

食べすぎ:
食事はお腹が満杯状態にならないと満足しない。多分体の仕組みや感じ方がそのように自然となっていたのでしょうね。
脳と胃の信号系統が狂ってしまったのでしょう。

パーティや宴会があっても、会場でよく食べてましたし酷い時は2次会、3次会の後、家に帰ってきてからまた口に食べ物を運んでいたものです。

会社の中でおやつとして頂くものも、何の抵抗もなく食べていました。

特にパーティや宴会の時には油っぽいものが提供されますが、これがアルコールと一緒だと余計に食欲を誘ってしまいます。

運動不足:
自分では意識して体は動かしていたつもりですが、十分な運動ではなかったんでしょう。
出来るだけ歩くようにはしていましたが、効果の得ない自己満足的なものだったようです。

ストレス?:
それは多分なかったと思っています。
むしろ昔の方が充満していました。
様々な葛藤を繰り返していましたから。でも表面に出すことはありませんでした。

減らす理由やきっかけは?:
歩いていても体が重く感じるようになりました。
そうですよね、
20キロ増えれば米に例えれば20キロの袋を体に下げて歩いていると同じな訳ですから。

宴会などで胡坐をかくのが億劫になり始めました。
立ち上がるときの股関節の痛みは年齢の精かと思っていたのです。周りのそうですから。でも違うことに後で気づくことになります。

年齢の影響もないではありませんがやはり重くなった体重が主原因でした。

病院で成人病の検査など生まれて今までした事はなかったのですが、強制的に?予約された検診の数字が決して良くはありませんでした。

最も気にしていた糖尿の心配はありませんでしたが「緊急に病院の指示を仰いでください」との医師の指示でしたが素直に聞く耳を持たない私は近所のクリニックで軽い処置をしていただくことにしました。

長くなりそうですので、事の顛末は明日に譲ります。
どうも良い事ばかりではなさそうですよ。  


Posted by mister_kei0918 at 14:08Comments(0)

2009年01月17日

「オヤジ狩りに会わないように帰らないとね」

少年犯罪が福岡県はワースト1

悲しいことですが統計が物語ってますから間違いはないのでしょう。

全体の重大事件や刑法犯罪は減少傾向にあって、しかも検挙率が上がってきているようです。

将来を背負う子供たちの犯罪が減らない、しかも日本で一番数字が大きいわけですから恥ずかしいと思わないといけませんよね。

これはいつも誰もが口にすることですが、教育、つまり家庭教育、学校教育、地域の教育力の低下があることはそうだと思います。

私自身も3人の子供を育てましたし、決して上手に育てたとは思いませんが様々な問題や障壁を抱えながらの子育てでした。

それと福岡県そのものが、どうもそうなる雰囲気があるのではないでしょうか。

雰囲気などといったら叱られますが、どうも土壌的に子供にとって地域的な影響が色濃く出ているような気がします。

それは大人自身にとっても良くはありませんが、何らかの自制が働いているのでしょう。

福岡市は日本で一番コミュニティ組織がしっかりしている都市だといわれます。

福岡県は福岡市だけではありませんから、一律に論じることは出来ませんし、人口移動も激しいところですので難しい問題もはらんでいる土地柄でしょう。

歴史的にも文化、文明の観点からも素晴しい環境だし役割も十分果たしている土地柄ですし他から入ってくる人々に対しても寛大なようにも思えます。

が、人の性格が荒っぽいような印象を受けるのは私だけではないでしょう。

もう福岡に40年近く生活をしましたし、経営者団体の活動や様々な社会活動、ボランティア活動のも参加していますし今でも関わっていますが、そんな印象を拭いきれません。

いわば、大人の問題でしょう。

大人が其の事を知り、教育の重要さや我々の態度がどんなに子供たちに深刻な影響を及ぼしているかをつぶさに見つめることと反省をしなくては福岡県の少年犯罪の多さと深刻さはいつまでも続くのではないでしょうか。

私も法務省の○○司を経験してますが、重大な犯罪を起こした子供たちが如何に社会復帰が難しいかは、他の統計を見れば明らかです。

解決する道はただ一つ「大人が自分のあり方を見つめ、反省し、子育ての大切さを考える」。
子供は大人の姿やあり方を写した鏡です。

先ほども飲み仲間と別れ際に「オヤジ狩りに会わないように帰らないとね」、等とお互いに声をかけねばならない現実はつとに悲しいことです。

私の友人もオヤジ狩りに遭遇し、飛んでもないことになってしまいましたが。

そんな現実は見たくもありませんし、夜道にすれ違う他人や青少年意に常に恐怖を感じ、警戒心を持たねばならない社会は悲しいものです。  


Posted by mister_kei0918 at 09:27Comments(0)

2009年01月15日

私はそういう自分を愛してる

人は不足があるから愛おしい

世の中、100パーセント恵まれている人なんかいないと、思いたいのですが決してそうではありません。

女性で言えば、美人でスタイルが良くて、お金持ちで、性格が良くて・・・あと何があるのでしょうか。

あと何があるのでしょうかと言いたくなるほど、恵まれている人は存在するものです。

私どものように不足だらけの人にしてみると、そんなことは有り得ないとか、神様はそんなに不平等なことはしないと思いたくもなるものです。

でも、人間は不足があると思っているほうが向上心だって湧いてきますし、競争だって自ら求めたりもするものです。

人としての親しみやすさや愛おしさも不足のなせる技のようにも思えます。

不足の多い自分を卑下したり、気後れすることなく、むしろ補おうと一生懸命になっている姿こそ人間らしさを感じたりするものです。

そうであればこそ、努力のしがいもありますし、人を愛すること、人に愛される為の努力だって怠ることはないものです。


『私って本当に不十分な人。そして、私はそういう自分を愛してる。メグライアン』  


Posted by mister_kei0918 at 15:00Comments(0)

2009年01月14日

私自身の買いかぶりがもたらした結果

私も普通に絵の描ける子だったんだ

変なタイトルになってしまいました。

人はトラウマ(恐怖・ショック・異常経験などによる精神の傷。神経症やヒステリーなどの精神障害の発生因となる)状態になるとなかなかその就縛から抜け出るのは至難の技です。

私が幼稚園の頃ですから、五歳前後でしょうか。

当時、母親や先生の絵を描いたのが、ずいぶん後まで残っていたのです。
私自身はそんな絵を描いた記憶など全くありません。

大きくなって、そうですね、明らかに20歳は越えていたと思われます。

久しぶりに訪れた実家で、母親がいつか私に見せる為でしょう、幼い頃の私が描いた絵を大事に仕舞っておいたであろう箱から取り出してくれました。

まさか、そんな頃の絵が残っているとも思っていないところへいきなり飛び出してきた事に併せて、その絵の下手さ加減に唖然としたものです。

頭でっかちで、髪の毛は4,5本、足と手、指は細い一本の線・・・・・

幼稚園の子供が描いたにしてもどう見ても2,3歳の子供の絵にしか見えません。

それ以来、私は一つのコンプレックスをプラスして抱え込むことになってしまいました。

ですから絵を描くこともありませんでしたし、人の絵を見ることさえ避けるようになってしまいました。
ましてや、絵の話しなど避けるのが常でした。

10年くらい前でしょうか。

偶然にマリーロランサンの絵を見る機会に恵まれて以来は出来るだけ時間を作っては美術館へ出向いて著名な画家の絵を見るようには心がけてはいます。

でも、自分の絵を描く姿など想像もしたくないというのが今でもの感想です。

ところが、最近になって5歳になる孫が時々、絵を描いては届けてくれます。
見ると、私のその頃の絵の描き方と寸分も違わないのです。

5歳ならもっと上手にかけて当たり前という私の思い込みが今まで私をトラウマ状態に引きずり込んでいたのです。

所謂、私自身の買いかぶりがもたらした結果でしょう。

あの時、素直にそんなものだと認識していれば、或いは今までの長い時間の中で感性豊かな?絵を描く機会だってあったのかもしれません。

それが新たな展開を産んでいたりして。

数十年も経過して、気づくなど可笑しい話ですが人間の思い込みや事実誤認などはそんな事で引き起こすのでしょうね。

いずれにしても、遅ればせながら気づかせてくれた孫に感謝しないといけませんね。  


Posted by mister_kei0918 at 18:31Comments(0)

2009年01月13日

ただの「ほら吹き」になってしまいます

“夢なんて見るモンじゃない”

昨年の後半には、ファンの皆さんでなくてもショッキングな事件でした。

音楽には著作権が存在することは十分に分かっていますし、無いと権利が侵されやすいものだし、業界に関係する人々にとっては死活問題です。

人間の感性や創造に関わることですので、守ってあげるのが当然です。

それに関わる事件でした。

著作に関することの知識があるわけでもありませんし、また今論じることでもありませんのでそのことをブログにしようとも思いません。

その方の作った歌詞の中にこんな言葉を見つけました。

作った方、歌われる方も十分な能力を要し、私どもに感動を与えていただいた方ですので、その意味においては大きな尊敬も申し上げているつもりであります。

『夢なんて見るモンじゃない語るモンじゃない叶えるものだから。』
小室哲哉さんがつくり、安室奈美恵さんが歌った「Chase The Chance」の中から。

確かに夢は叶えるもの、叶えたい願望です。

見ているだけでは空ごとになってしまいます。ただ、夢見る少女、夢見る男の子で終わってしまうものです。

夢を叶いたければ「語るもの、喋るもの」だと私は思うのです。

自分の胸の中に潜めておいただけ、秘めておいただけではなかなか実現へは向かわないものです。

決して叶わないとは言いませんが、語り、喋る事によってより以上の努力に力が加わり、実現が加速し、周りから期待をされ、知恵を授けても頂けたりもするものです。

語るだけ、喋るだけはただの「ほら吹き」になってしまいます。
人間性まで疑われ、そのうち相手にされなくなるのがオチです。

努力や、夢を実現したいという行動が伴わないと却ってバカにされるだけで、そのうち相手にもされなくなってしまいます。

それも姿が見えないといけませんよね。

口にした以上はこんなに「努力しているよ、頑張っているよ」の信号を発することも必要なようです。

それが周りから力を授かったり、意義深い情報を頂いたり、或いは極めて有力なコネを頂いたりもするものです。

所で今年の初夢は見たのでしょうか。
見た夢まで忘れてしまう、そんな年頃になってしまいました。
  


Posted by mister_kei0918 at 16:38Comments(0)

2009年01月12日

皆さんは気づかれましたか?

あの大相撲初場所の土俵のひびはどうして?

昨日の初場所の会場の雰囲気が終盤はガラッと変わりました。
やはり朝青龍の登場は良きにつけ悪しきにつけ、関心を引き付けるようです。

昨年は大相撲にとって大変な一年でした。
品位がないとされる横綱、
八百長問題、
薬物問題、
暴力的な指導問題、
最上位に存在しない日本人力士



これでは国技としての大相撲は崩れ去るのではないかと危惧されるほどでした。
大相撲ファンでなくても、悲しい、悔しい、やり場のない思いに終始しました。

昨日の初日は満員御礼の入りだったようです。
あの朝青龍の久々の登場です。
場合によっては引退があり得るのかもという今場所。
初日に注目が集まるのは当然といえば当然。

物凄い気迫でした。

凡そ私ども日本人の態度からすると異様で、ある意味「相撲で勝ったのではなく、恐ろしいほどの気迫で勝った」というのが感想でした。

横綱であれば、いくら休みあけといってもドンと構えて、自信を持って、戦う前から威嚇攻撃をすることなく勝って欲しいものです。

どう見ても横綱相撲とは思えませんでした。
しかも土俵に出た相手に二発もダメ押しまでしてしまう態度には、困ったものです。
相撲を学ぶ子供でもこんなことはしないでしょう。

皆さんは気づかれましたか?

国技館の土俵に縦横に走るヒビ割れ。
テレビの画面にはっきり、くっきり映っているのですから側で見ている人には邪魔なほど鮮明なはずです。

若しヒビだとしたら直しておいて欲しかったものです。
大相撲界が様々に揺れている今、そのヒビが象徴的に見えて仕方がないのです。

或いは土俵の修復は時期が決められているやも知れませんね。

小さい頃から、感心を持ってみていた大相撲。

もう、そろそろ本来の国技として国民みんなの最も関心の深いスポーツとしての位置をまた再び取り返して欲しいものです。  


Posted by mister_kei0918 at 17:07Comments(0)