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2009年04月30日

所謂、親ばかの極みという奴でしょう

子供を誉められると我が事以上に

自分を誉めて欲しいなどとは、普段余り思いませんが頑張ったとしたら労はねぎらって欲しいものです。

誉めていただくと、お尻がこそばくなったり、照れたり、いけないことですが誉める下さる相手の真意を考えたり、詮索したりも知るものです。

詮索はしなくても、何となく気恥ずかしいものです。

随分と昔の話ですが、次男の卒業式に出席をしたことがありました。

普段でしたら、子供から父親の出席は滅多にいないし恥ずかしいから出席しないでくれと言われるものですから大きくなった子供たちの卒業式への出席はほとんど家内の仕事になっていました。

卒業式が終了し、「○さん、ちょっとお話が」と担任の先生から。
しまった、我が子が何か迷惑なことを仕出かしたかと一瞬思ったものです。

でも、先生の口からついて出た言葉は親としてそれはそれは嬉しいものでした。
まさか自分の子供が担任の先生からそのように思われていたとは。

「○さんの◎◎君は、本当に良く頑張ってくれました。
担任の私をも大いに助けてくれました」

家内に数年後にその話をしたら、高校受験の3者面談のときにもそのように聞いていたようです。

知らなかったのは父親の私だけ。

嬉しいものです。
私の生活態度や行いを誉めていただく以上に有難く嬉しいものでした。

別に誉めていただこうなどと思って育てているわけではありませんが、人の本能みたいなものかもしれません。

優生的に子孫が繁栄していくことを自然と喜ぶ仕組みになっているのかもしれません。

所謂、親ばかの極みという奴でしょう。  


Posted by mister_kei0918 at 18:23Comments(0)

2009年04月28日

ですから、恋愛だって結婚だって

人はしなかったことを悔やむように出来ている

『年老いた人々や不治の病に倒れた人々に
インタビューした結果、今までにしたことを

後悔する人より、むしろそれまでにしなかった事を
悔やむ人のほうが多かった。』

こんな言葉を発見しました。

若い頃や元気な年寄りは別ですよね。

まだまだ、これからでもやり直しも利きますし、新しい挑戦や経験だって出来るものです。

私も出来れば後10年は色んなことを試してみようとも思っております。
それが一段落つけば、出来れば自分の為だけの何かをやってみたいものです。

笑われるかもしれませんが未だに仕事やお世話事が趣味みたいな生き方しかしてませんので、時が訪れたら周りに余り左右されること無く、ゆっくりとした時間の流れに身を任せてみたいものです。

とは言いながら、そんなに簡単に生き方が変えられるものではありませんよね。
実は私自身もそうであろうと、大よそ踏んではいるんです。

今からいろいろ考えあぐねてもどうなるものでもありませんので、其の時に考えるようにしましょう。

多分、今の繰り返しになるような気がしますが。

人は気力体力とも極めて低下するほどに年老いたり、命の期限を切られるような病になったときに自分の人生を振り返りどんな心境に至るのでしょうかね。

もう先が見えている状態とでも言うのでしょうか。

そんな人に「今までにした事の後悔としなかったことの後悔はどちらが大きいですか」。

結果は「今までしなかったことの後悔」と答える人が多いと聞きます。

ですから、やはり何事も経験、実践、実行しておかなくてはいけません。
した事、経験したことはその場になれば懺悔もしますし、喜びや反省もするものです。

したいと思いながらしなかったことは、多分心残りですししなかった後悔が付きまとうものです。

ですから、恋愛だって結婚だって、
起業だって、転職だって、

子供を持ったり、家を作ったり、
社会活動やボランティア活動に明け暮れたり、

趣味やスポーツに没頭したり、
夜の繁華街を時には徘徊してみたり、



社会や家族、周囲に迷惑を与えたり、危害が及ぶようでは困りますし、とんでもないことですがそうでなければひとまずやってみたいと思うことは経験してみてもよさそうです。


『可能性に対して心を閉じていると、人生の本当の恵みを見極めることはできないのです。稲盛和夫』


『人生における最大の失敗は、失敗を恐れ続けることである。エルバートハバード(教育家)』


『人生は晩年の方が充実する。過去の失敗から知恵が、それまでの蓄積から先見力が生れるからだ。三鬼洋之助(評論家)』
  


Posted by mister_kei0918 at 19:05Comments(0)

2009年04月27日

幸福の女神の前髪を掴むチャンス

どうせ夢は食わせてはくれない

私も若い頃は多くの夢を見ていました。
夢を見ていれば、それで実現するような錯覚を起こしていたものです。

出来れば大企業に就職したい。
素晴らしい伴侶に恵まれたい。

会社の社長になってみたい。
大きな一軒家を作りたい。

別荘を持てるようになりたい。
クルーザーを所有してみたい。

出来れば世界一周旅行を。
宇宙飛行をしてみたい。

日本一の富豪に。
総理大臣に。



挙げればきりがありませんが、頑張れば若しかすると実現できそうな夢、どう転んでも実現不可能な夢、最初から夢にすること事態が可笑しい夢もあります。

夢ではなく単なる空想に過ぎない。

途方も無い、実現不可能な夢や空想が決していけないわけではありませんが、その為に日常が夢うつつでは困ったものです。

実現したい夢、実現に近い夢を本当に実現するには、やはり人並み以上の努力と勤勉さ、実行力が要求されるものです。

それと普段の生活の基盤をしっかりと作っておくことでしょう。

明日の生活もままならない状態や落ち着かない精神状態では夢の実現など、余程の運に恵まれないと実現できるものではありません。

気持ちが荒んだ状態で夢など実現できるわけがありません。

幸せは準備した人の所へ訪れるとは昔から言われるところです。
幸福の女神の前髪を掴むチャンスは平等には訪れては来ないようです。

また、実現した夢の継続にはそれなりの心構えも必要なものです。

夢が儚いものとならないように。
次なる夢の実現に向かうためにも。


『人間にとって成功とはいったい何だろう。
結局のところ、自分の夢に向かって自分がどれだけ挑んだか、
努力したかどうか、ではないだろうか。岡本太郎』  


Posted by mister_kei0918 at 17:41Comments(0)

2009年04月26日

井戸端会議ではありませんが

失敗は人に話すと癒される

私の性格からすると大よそ、失敗など他人に話すことは殆ど無かったのです。
少なくとも10年前くらいまでは。

強い社長でいたいとか
完璧な人間でいたい、

間違いの無い
後ろ指を刺されない、

立派な父親でいたい、
などなど。

自分の失敗を他人に話すと

能力の無い人間だと思われそう、
人間性を低く見られそう、

つい、笑われてしまいそう、
そのことを広く多くの人に広まりそう、

話すことで余計に自分が落ち込みそう、
ますます自信を失いそう、



人は日常的といっても過言ではないほど、失敗を繰り返すものです。
或いはそれで悶々とした日々を過ごすことも良くあります。

オーバーな言い方をすれば、失敗を覆い隠すために悩んでいる部分も多いものです。

涙が心の悩みや悲しみを洗い流してくれる効果が科学的にも証明されているように、きっと失敗や恥ずかしいことでも親しい人に公言することで癒されたり、気持ちが晴れたりもするものです。

失恋の痛手をいつもでも引きずって、這い上がれないのは男性だとよく言われますがこれもそのようなことではないでしょうか。

女性は悲しいことでよく涙しますし、友達同士で失恋談義をしています。

結局は解き放たれるすべを女性は本来身につけて利用にも思えるのです。

失敗をただの失敗にしないためにも心許せる友人にでも気軽に話せることが大事なようです。
それが奥さんであってもいいのではないでしょうか。

余りにも深刻な話になると嫌なものです。

人生相談ではありませんから、自分の失敗や苦しみ、悲しみの中に友人や奥様を引きずり込んでしまってはいけません。

さらっと何気なく、出来れば明るく。

色んな解決策を貰ったり、励まされたり、あるいは自分ひとりの悩みではなかったりもするものです。

考えようによっては相手のこれからの人生にも大いに役に立つかもしれませんし、相手がそのうち失敗の話を聞かせてくれるかもしれません。

そうなるとしめたものです。

相手との共有化が始まり、人生の本当の友達関係が醸成されることにも繋がります。

最近、女性の逞しさが目立ちます。

井戸端会議ではありませんが、日常的に、頻繁に、開けっ広げに話している女性たちの姿はまさしく逞しく現代を生き抜く知恵を身につけていると言っても過言ではないでしょう。  


Posted by mister_kei0918 at 15:15Comments(0)

2009年04月25日

社会へのお返しをしなくてはいけませんね

時には酒に飲まれてみたい時もある。でも、

特に20代前半の多感な頃はそうでした。

学生の頃はそうでもなかったのですが、社会人になるとしがらみや制約、上司、同僚、顧客との関係・・・・・

特にままならない恋愛には神経を使ったような気がします。

大体がお酒をそんなに飲むほうでもありませんでしたので、呑み方も知りませんし、ましてや何を飲んだらいいのかさえ分かっていませんでした。

今でも付き合いはとことんしますが自発的に飲むほうでも深酒をするほうでもありませんから、何が自分に合っている飲み物なのか分かっていないのが現実です。

話は戻りますが、時には酒に飲まれてみたい時もあるものです。
自棄酒(やけざけ)もした事もありますし、つい二日酔いに頭を抱えたこともあったものです。

それを一つ一つ乗り越えて、いっぱしの大人になるようです。
甘いも酸いも分かる為には、時には七転び八起きの苦しみも必要です。

でも、社会人たる者、世間に迷惑を掛けてはいけませんよね。

普段の迷惑なら容赦も出来ますが、男の世界は酒の上での失敗はその人の人間性をさらけ出すことに繋がりますし、人としての信頼関係にまで発展、波及してしまいます。
今回のように大変な損害までもたらします。

特に社会的地位の高い人、注目度の高い人、憧れられる人、模範的立場を維持しようとする人々。

先日から芸能界の著名な男性が酔った挙句に東京赤坂の公園で大声を挙げながら全裸でいたところ、通報によって逮捕をされた報道が駆け巡っています。

特に若い方々や子供たち、そうでなくても私自身も注目する芸能人でした。
及ぼす影響の大きさを考えたら、途轍もない大変な事態です。

コマーシャルは中止、
既に撮影済みの映画も上映中止らしい、

ひっきりなしに宣伝されていた地デジのキャンペーンコマーシャルも、
多分、今までのマスコミの収録分は?

今後の出演予定の差し替えなど、
仕事仲間へのイメージダウンや影響、

どうも韓国でも影響が大きいらしい、
家族や親戚は?
金銭的な損害?

とりわけ、子供たちへの影響はどうなんでしょうか。
がっくりがっかり、過去の印象まで拭い捨ててしまいます。

事務所側の記者会見は録画にして、9時半以降に放送して欲しい等のマスコミへの申し入れは何なのでしょうか。そうなると当然放送は子供が寝付いた後にして欲しいといっているのと同じ。

けじめが大事。
大人は間違ったことはそれなりに恥を忍んでも素直に謝る姿勢を子供たちにも見せるべきでしょう。

一緒にいたとされる女性。
大人であれば大変な事態になることは大いに簡単に想像されます。

酔っていたから自宅と思って裸になった?
可笑しい言い訳をする大人がいるものです。
その程度の言い訳が通用するとすれば、夜半時の繁華街は裸だらけになってしまいます。

酒に溺れてはいけません。
当然健康にも良くありませんし、精神的にもそのときには忘れているようでも、酔いが収まるとフラッシュバックのようにまた襲い掛かってくるものです。

過去の政治家のこともあります。
芸能人でも、いったん社会の脚光を浴びると言うことはどういうことなのかをデビューのときにしっかり叩き込んで欲しいものです。

酒だけではなく、暴力や、麻薬覚せい剤しかり。
登場するマスコミでの口による暴力や差別的発言もそうでしょう。
衆目に晒されるということはどういうことなのか。

起きたことはもう取り返しはつきませんが十分に反省をして、まだまだ将来のある有望な若い方ですので復帰した暁にはその分をわきまえて、今まで以上にご自分の能力の限りを尽くして社会へのお返しをしなくてはいけませんね。
  


Posted by mister_kei0918 at 14:54Comments(0)

2009年04月24日

特に男は

口数は少なくていいんです

昨日は私どもの交流会(敢えて異業種交流会とは呼びません)に中国の方が3人お見えになられました。

お一人は以前から存じ上げている女性で、聡明で明るい実業家。

その方が上海からのお客様としてご一緒に参加をされました。
二人とも男性。
見るからに上海の実業家タイプ。多分間違いは無いと思います。

お二人は日本語が全く駄目のようで、女性の方の通訳でお話しをされています。
私自身は全く挨拶をする機会は作れませんでした。

言葉の違いからご自分の口を開けないお二人を拝見していて、私がそうであるように口数の少ないことを考えてみることにしました。

交流会などを開く、また参加をすると話の輪に入れない人、機会を失う人、馴染めない人。
様々おられるものです。

寂しい思いをされないように気づけば出来るだけ声をかけるようにはしているのですが。

日本では、良くお喋りをすることを饒舌、冗舌、活舌、舌禍の如く・・・

中国の2600年前の孔子の言葉に
『子曰く、巧言令色、鮮(すくなし)し仁』

また、中国のことわざに

『心が広くなると、口数が少なくなる。』
『賢者は自分自身に、愚か者は他人に問いかける。』

どうも饒舌なのは歓迎されないようです。

余り澱みないおしゃべりはどうも胡散臭かったり、本当かなと疑問を投げかけたくなったり、でまかせのような印象を持つのはどうも私だけでもないでしょう。

上手なおしゃべりは出来なくても、真摯な態度や屈託の無い笑顔で十分にコミュニケーションは図れるものです。

余り過ぎる無口も困りますが。

先ほどの中国のことわざではありませんが、どちらかと言うと少ない口数のほうが重宝されそうです。

特に男は。  


Posted by mister_kei0918 at 15:37Comments(0)

2009年04月24日

空中に楼閣を建てても無駄骨には終わらない

努力の人

努力しても努力しても身にならない人、
身につかない人がいるものです。

努力することはとても賞賛に値するのですが、可愛そうに身になかなかつかない。
本人は一生懸命で、無駄な努力を重ねているのではないのだけど、結果が伴わない。

他人から見るときっと徒労に見えるのかも知れないが、本人は必死。
傍で見ていると時には悲壮感さえ漂ったりもします。

本人は人以上に努力を重ねることが、人並み以上に向上することだと頭から信じている。
時には人生にはずるさや賢さを顕示する事も大事なことを知らない。

実は私自身のことです。
他人から「よく頑張るね」、「よく努力しているね」と言われます。

当初は褒め言葉として受け取っていましたが、最近になって身の程を知るようになったと言うか自分の非力さ、無能力さを感じるようになって来ました。

有難いことにそのようにおっしゃってくれている方は本当に褒めていただいているのです。
お世辞ではないことを私自身が良く理解してます。

多分、傍目にはそのように写るはずですし、私の努力の成果は私しか本当に理解できていないはずですから。

本当は努力は結果判断ではないのかなとも思ったりします。

結果の出ない努力、積み重ねの無い努力、成果が期待できない努力は実は努力とは言わないで徒労と言うのではないかと個人的には反省をしたりしてます。

確かにこれでもかこれでもかの継続や我慢強さ、結果や際立った成果を求めない地道さは評価できますが。

社会情勢や経済情勢がこのようになってくると尚更のことのようにも思えます。

努力の前に道が広がることが保証されるわけでもありませんし、報われることも少ない時代になりました。

努力が報われる時代の到来を望みますが、私のように報われるほどのものにならない努力はどうしたものでしょうか。


『快楽を得ようと努力するのではなく、
努力そのもののうちに快楽を見出すこと、
それがわたしの幸福への秘密である。アンドレジード(フランスの作家)』


『自分の心に描く夢の実現に向かって努力する時、
普段なら思いもよらぬ、成功が得られる。
空中に楼閣を建てても無駄骨には終わらない。
楼閣は空中に建てるものだ。
さあ、その下に土台を建てよう。ソロー思想家』


『人類の歴史の中で本当に強い人間などいない。
いるのは弱さに甘んじている人間と、
強くなろうと努力している人間だけだ。本田宗一郎』  


Posted by mister_kei0918 at 09:34Comments(0)

2009年04月23日

とりわけ男性のほうが未練がましくて

時には幕を引く決断も必要

苦しい決断も時には迫られるものです。

決断をすることが明るい兆しをもたらすと思ってはいても過去のしがらみや経緯に取り付かれたり、拘ったり、体面や見栄、地位の保全や時には打算が働いたりもするものです。

会社を清算するときもそうでしょう。

私にはいまだ経験はありませんが苦しい決断を迫られるはずです。
お客様との関係、お金の清算、社員の行く末、自分の身の振り方、財産や在庫、備品の処分、経営者の業界での地位の清算、それに付随する社会的地位からの開放・・・・・

離婚もそうかもしれませんね。

財産分与の件もありますが、夫婦関係の清算は非常に悲惨さが伴ったり、大事な親権の問題や子供をどうするか・・・・・私が子供の頃に置かれた状況での体験談はいつの日にか書いてみたいと思っています。

恋愛の幕引きも苦しい複雑な心境が交錯するものです。
とりわけ男性のほうが、一般的にいつまでも未練がましく引きずる様子が伺えます。

親子関係も「勘当」などといって親子関係を無かったものにする風習?があったものです。

今でも勘当の言葉こそ余り耳にはしませんが、より複雑化、より陰湿化しているようにも思えますが如何でしょうか。

最近の存続的な事件や殺人を見ると、まさか血縁関係の犯罪とは思えないようなものが多く見受けられます。

昨日は業界団体の幕引きが決議されました。

50年も続いた由緒ある団体ですが、時代の波には逆らえませんでした。

構造的に変化する社会情勢や経済は否応なしに企業や団体を襲い始めています。

護送船団方式として昔は崇められた企業団体も最早、その機能を失いかける時代となってきました。

長い歴史の中で必死になって企業団体を創設し守り続けてきた諸先輩たちの思いを考えるときに、どうにかならないものかと思ったりもしますが、時代の流れは情けを掛けてはくれませんし、容赦はありません。

これからは一つ一つの企業が独立独歩。
自分の足でしっかりと歩んでいくことが要求されます。

歴史の幕を引くことは大変に勇気のいることで決断を要しますが、時には心を殺してでも思い切ることも要求されるようです。
  


Posted by mister_kei0918 at 17:03Comments(0)

2009年04月22日

「痘痕もえくぼ」にもなるものです

「過ぎる事がいけない」

昨日は東京からの講師の方のセミナーへ参加をしていました。
物事を詰めて考える人にはいつも頭が下がります。

また、そのことが理論的な体系付けが出来て、人を説得できる言葉になればなお更最高です。
色んなことを気づかせていただきました。

やはり、人の話には耳を傾ける必要があるものです。

それも出来ればお金を出して聞くともっと真剣さが滲み出る事、請け合いです。
かといって昨日の話は真剣さが出てこなかったわけではありません。

物事の観点が私とは違って、しっかり勉強をさせて頂きました。

それと講師のお人柄が滲み出る話は嬉しいですね。
また、それに加えて経験と実践が重なっていますから余計です。

人間性が掴めず、ただ口八丁手八丁では信憑性さえ疑ってしまうものです。
時々いますよね、そんな講演者。

その先生曰く
『経営者の短所は会社の短所、
経営者の長所は会社の長所。
中小企業は社長の鏡のようなもの。

長所や短所があるのは当たり前。長所や短所が悪いのではなくそれが過ぎることが良くないことに気づいた。』


人はそれぞれに癖や習慣、長所や短所が間違いなく存在するものです。

実は私の短所が実は時と場所、相手によっては長所ともなり貴重なものであったりするものです。
また、私の長所が同じように短所になったりするもの。

短所が思わずヒットして、とんでもない素晴らしい結果を引き出したりもします。

おっしゃるように過ぎることが良くないのです。
「過ぎたるは及ばざるが如し」。

「痘痕もえくぼ」にもなるものです。

しつっこいのが嫌でたまらないと言う人もおれば、しつっこいから大好きな事だってあるものです。

恋愛でも追われるとそれが嫌で逃げる人、興ざめする人。
だからこそ恋愛はやめられないと言う人も。

時と場所、相手によって短所が長所、長所が短所ともなります。
過ぎて良いとき、悪いとき。
あるいは程ほど、中庸が求まられるとき。

その時々を見透かす力が要求されるようです。
  


Posted by mister_kei0918 at 17:00Comments(0)

2009年04月21日

愛はしばしば結婚の果実

「今まで有難う、これからも宜しく!!」

ここ数日間、自分の結婚絡みのブログに終始してしまいました。
多分、お読みになる方は退屈な文章になったのではないでしょうか。

ついでに今日までお付き合いを。

妻に向かってお礼だとか、感謝の言葉はなかなか出ないものです。
照れくさいし、恥ずかしい、
時には今更などと思わないでもありません。

妻にとっても普段それらしきことを一言も言わない人がいきなり切り出しても躊躇してしまいますし、身の置き場も無くしてしまいます。

また、時によっては都合の良い時にと思われないでもありませんよね。

旧婚旅行の締めくくりは、鳥羽市の「ホテル鳥羽小涌園」
39年前の新婚旅行の宿泊ホテルに再び舞い戻ってきました。

ホテルの十分なおもてなしも頂き、部屋も最高の見晴らしのスイートルームに変更していただき、食卓にはわざわざアレンジメントされた花を備え付け、案内の女性にはそんな私どもの思いに感動の涙まで流していただきました。

夕食の食卓は、素晴らしい夕日の拝める場所に案内をされ、心のこもった花をあしらってもらい、
いよいよビールグラスで乾杯。

つい「今まで有難う、これからも宜しく!!」の言葉が口をついて出てしまいました。

普段ならもっとカッコいい、詩的で言葉や味わい深い言葉でも考えていればよかったのですが、思いがけず急にこんな言葉になってしまいました。

今までと同じ時間の長さを彼女と共に過ごせるわけではないでしょうが、どちらが先にしろ意義深い人生であって欲しいものです。

それは特に彼女にとって。

このチャンスが無かったなら多分、生涯口にすることは無かったでしょうが、急に思い立った旧婚旅行が大変なおまけまで作り出してくれました。

それは4月18日の夜の事でした。
「今まで有難う、これからも宜しく!!」


『男と女というこうも違った、また複雑な人間の間で、
互いに良く理解しあい、
ふさわしく愛するために一生を費やして長すぎるということはない。コント』


『愛はしばしば結婚の果実である。モリエール』  


Posted by mister_kei0918 at 12:53Comments(0)

2009年04月20日

涙まで浮かべてウルウルする始末

おもてなしの限りを戴いて

私どもの旧婚旅行の宿泊は、三重県鳥羽市の「ホテル鳥羽小涌園」です。

2時過ぎに近鉄特急で鳥羽駅に到着。
ホテルに入るにはまだ早すぎますので観光で時間を消化することに。

新婚旅行当時に何処を観光したかは全く記憶にありませんでしたが宿泊先だけはしっかり覚えていました。

仕方がありませんので、鳥羽湾の遊覧観光をすることに。
クルージングの途中、イルカ島に寄って曲芸を見たり美しい島々の風景に見とれたり。

記憶でのホテルの所在は比較的近いように思っていましたが、実は結構離れていることにびっくり。

幼い頃に過ごしたふるさとが数十年経過して訪れて見ると、比較的小さい事にびっくりしたりするものです。
家並みや道路、川幅、港、学校の教室や校庭・・・・・

ホテルへの到着が5時半。丁度いい時間です。
新婚旅行のときは確か到着が遅かったような気がします。

到着のフロントには、私どもの為に色んな心遣いがされていました。

当初予定していた部屋をわざわざ最上階の最も広いスィートルームにしてくれていたり、
食事の場所を他の方々とは離れた場所であったり、
食卓には二人の為に、コーディネートされた花が置かれていたり。

部屋へ案内してくれた女性、二十歳過ぎの女性でした。
結婚38年目を過ぎ、39年目のスタートにわざわざこのホテルに舞い戻ってくれたことに涙まで浮かべてウルウルする始末。

私どもの旧婚旅行にこんなにも感動してくれる人がいたのかとつい嬉しくもなったものです。

おもてなしの限りを尽くしていただいた「ホテル鳥羽小涌園」に感謝申し上げます。

あくる日は世界的にも有名な「鳥羽水族館」、
当然、伊勢志摩ですから「お伊勢さん、伊勢神宮」をお参りして名古屋からの新幹線を乗り継いでの旧婚旅行の締めくくりでした。  


Posted by mister_kei0918 at 17:36Comments(0)

2009年04月20日

ご結婚されている方へご提案

大阪・通り抜けとロマンスシートの再び

18日朝からの旧婚旅行は、博多からの新幹線「のぞみ」の乗り違いから始まりました。
これからの人生にまたしてもの弾みをつけるはずの折角の旧婚旅行に最初から、ミスが発生。

自分たちの乗るはずの直前の新幹線に乗ってしまいました。

席も確認し座ってサンドイッチを広げ朝食を始めたのですがどうしても「何かが可笑しい」のです。
これを虫の知らせとでも言うのでしょうか。

一度は外へ出て確認したのですが、間違いはなさそう。
でも、気になります。あと一度外へ出て確認することに。

やっとそこで間違いであることに気づきました。

サンドイッチも全てビニール袋に投げ込んで、慌てまくって飛び出しました。
間一髪、危ないところでした。

冷静に考えてみたら、小倉までそのまま行って、後から到着する本来の新幹線に乗り換えても良かったのですが。

38年前の新婚旅行のコースには、大阪造幣局の通りぬけ「八重桜」を見物しましたので急遽予定を変更し新大阪で降りることにしました。

既に15日から開催されていることを確認し会場へ向かうことに。

新幹線は名古屋まで購入しているのですが、突如の予定変更。

新大阪から地下鉄御堂筋線で淀屋橋、そこから京阪電車に乗り換えて天満橋まで。

天満橋から徒歩約30分。
混雑が無ければ10分くらいのところですが。

花の美しさはやはりソメイヨシノには叶いませんが、新婚旅行コースで見た景色ですから美しかったことにしておきます。

元の天満橋に戻って、また再び京阪電車で淀屋橋へ、御堂筋線に乗り換えて近鉄「なんば」まで。

近鉄で新婚旅行の思い出の列車、ロマンスカーに載ることに。

でも今時、ロマンスカー、ロマンスシートなど存在もしません。特急の切符を入手して列車へ。

当時は列車での新婚旅行はロマンスシートに腰掛けて出掛けるのが今で言うナウイ姿だったんです。

本当に新婚旅行なんだと実感したものです。

途中、奈良や本居宣長で有名な松阪や伊勢神宮の伊勢市を通過し目指す鳥羽へ。
鳥羽湾のクルージングを楽しんでホテルへ。

ご結婚されている方へご提案。
新婚旅行で辿ったコースを今再び巡っては見ませんか。  


Posted by mister_kei0918 at 16:02Comments(0)

2009年04月20日

あやかるのもおこがましいのですが

旧婚旅行の奨め

随分、昔の言葉使いのようにも思えます。

今では余り新婚旅行という言葉も余り聞かないような気がしますが如何でしょうか。

今の方々は結婚前に既に一緒に旅行も出かけますし、最早新婚と言う昔ながらの表現もそぐわないようにも思えます。

1971年の4月の結婚ですから随分と昔です。

金沢地方への旅行を思いついたのが半月ほど前です。

JRへチケットを求めにいったのですが、雪見物シーズンを迎えている金沢はホテル、旅館全て満室状態。

思いつくのが余りにも急すぎたものですから、最高の時期と重なってしまったようです。

一度旅行を思いついたのですから、やはり何処かへ出掛けようという思いは治まりません。

そこで思いついたのが旧婚旅行。

4月18日が結婚式の日でしたし、今年のその日は丁度土曜日にもなっています。
当時のホテルは伊勢志摩のホテル鳥羽小湧園。

再びJRへ掛け合ってみましたら空室があるとの事。
思い立ったが吉日、早速予約。

4月18日で満38年を経過したことになります。
19日から39年がスタートです。

思いつきの発端は、先日の天皇、皇后様のご結婚50周年でした。
あやかるのもおこがましいのですが、俄仕立ての旧婚旅行。

18,19日の二日間だけです。

当時、最後の宿泊先だった京都だけは行きませんが、二人が辿った新婚旅行の道筋を改めてなぞって見るようにいたしました。

改めて、二人の辿った道のりを思い起こしつつ、振り返りつつ、これからの人生を思い描いてみたいものです。
  


Posted by mister_kei0918 at 08:11Comments(0)

2009年04月16日

恐れず、怯えず、恥ずかしさに負けず、勇気を振り絞ること

失敗しても恥を恐れず、一過性の経験と思えば!!

大きな物事を始めようとするときには必ず失敗したときの自分の姿を思い浮かべてしまいます。

落ち込んだ自分の姿、
辱めを受けている自分の姿、

周りに迷惑をかけている自分、
金銭的の損をした自分、

興味深く、蔑まれて見られる自分の姿、
挫折感で満ち溢れた自分、

他人から見放された自分、
家族から突き放された自分、

路頭に迷う家族の姿、



本当はそんな状況の全てが現実化するわけでもないのに、自分勝手に想像を逞しくして様々な姿を作ってしまいます。

私も色んなことで失敗を重ねては来ましたが、根底から覆るような失敗は実はほとんど無いのが現実でしょう。

それが色んな葛藤や挫折、投げ出したくなることもあるものです。
でも人間は経験を重ねるごとに強く逞しくなっていくものです。

決してそこに踏み止まっている訳でもないのです。

失敗をすると人生の全てを失ってしまうような錯覚をしてしまいますが、日常的にはそんな失敗はほとんどありませんし、小さな失敗を繰り返しながら人間的に大成し積み重なった経験が強い人間に仕上げていくものです。

私の様な小さい人間は、恥をかくことさえも恐れてしまうのです。

恥ずかしいと言うことは人間として成長しようとする人の心の動きですから、極めて大切なものであり、それをうまく昇華した方々がほとんど事業を成功させたり、社会的な地位を確保したり、人間として大きな信頼を勝ち得たりしているのです。

他人に多大の損害を与えたり、人権や尊厳を損なうようなことをしたり、コンプライアンスへの配慮が足らないことはいけませんが、人生幾らでも失敗が想像される場面が出現します。

恐れず、怯えず、恥ずかしさに負けず、勇気を振り絞ることが大事なようです。


『ただの1日は間違いと失敗にすぎぬが、
それが積み重なって、ある期間になれば結果や成功がもたらされる。ゲーテ』


『大多数の人間が失敗するのは、
失敗した計画に勝る新しい計画をたてるだけの粘り強さに欠けるからである。ナポレオンヒル』


『チャレンジして失敗することを恐れるよりも、
何もしないことを恐れろ。本田宗一郎』


『何度失敗しても、
“もう一度”の勇気を失わなければ、必ずモノになる。松下幸之助』  


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2009年04月15日

与えられた時代を逞しく生きる努力こそ、賞賛されるべきもの

こんな時代だからこそ良かったのかも

世は世界金融の破綻や経済の後退で大変なことになってしまいました。

失業する人が溢れ、就職できない学生や希望者、
経営破たんする会社・・・・・

失業率が7%を超えると社会が破綻するかもしれない等と囁かれます。

就職できた人々も、安堵感に浸ってはいられないでしょう。

厳しい教育も待っているでしょうし、即戦力を求められ、実力を問われる日が眼前に迫っている筈です。

多分、ご本人たちも落ち着かない、座り心地の悪い日々を送っているはずです。
新入社員としての喜びもつかの間、精神的にも肉体的にも走り回る日常になると思われます。

でも考えようによってはこんな厳しい時代に就職できたことに自信と喜びを露にしても良いような気がするのです。

自分の将来のためには、この時代の厳しさがきっと役に立つ筈だからです。

逆に自分の人生にとっていい時期に就職できたと思って感謝するくらいの気構えが欲しいものです。

いつもメルマガを頂く会社の社長が新入社員に話した訓辞です。

『そんな「世界のはじまり」に、「世界のスタート」に
こうして立つことができるというのは、
ものすごい強運だと思います。

これから世の中が変わっていく、その様がみられる。
すごい勢いで世界が変化していくのを見られるのは、
本当にうらやましいほどの強運なんです。』


与えられた時代を却って逆手にとって、より挑戦的に勇気を奮って努力する人ほど逞しく成長するものです。

他の方が就職できなかったことに優位性を感じたり、侮蔑の眼差しを向けたり思ったりする油断こそ、堕落への坂道を下ることにもなってしまいます。

希望の果たせなかった方々は悔しさをバネに却って実力を積み重ねて挑戦してくることに思いを馳せねばならない所です。

強運も所詮、運です。

運命を自分が作ったもの、或いは作るものです。
或いはたまたま偶然に運が良かったのかもしれません。

時代を侮った生き方は、そのまま時代に置き去りにされる運命を授けられるものです。

与えられた時代を逞しく生きる努力こそ、賞賛されるべきものです。  


Posted by mister_kei0918 at 12:41Comments(0)

2009年04月14日

自発的な努力によらなければ

人生で最も大事なことPART2

昨日、「人生で最も大事なこと」を書いていました。

『人生で最も大切な仕事は、
はるか彼方にあるものを見ようとすることではなく、
目の前にはっきり見えるものをきちんと実行することだ。
トマスカーライル 十九世紀スコットランドの思想家』


昨日は
「人生の基本は自分を見つめること。
自分を知ること。
出来れば、自分ひとりの非力さを知ること。
努力すれば、叶う夢があることを知ること。」
と言うことで終わってしまいました。

本当に』書きたかった思いは、自分を高める努力こそ大事なんだ、重要なんだと言うことを書くつもりがつい忘れてしまいました。

そこが私の一番不足する所なんです。

すぐ現状と妥協してしまう。
負けず嫌いの癖に競争はそれ以上に嫌い。

夢が叶うことを願う前に、それに相応しい自分を創る、
夢を十分に受け止められる自分をこしらえると言うことが大事なようです。

高まった自分の人間性に応じた相応の幸せや喜びが巡ってくるように思われます。

分不相応な幸せや喜びは、所詮糠喜びに終わったり、その中に埋没する自分があったりもします。

長持ちしませんし、足元を掬われたり、
不安が過ぎったり、妬みや嫉妬の対象になったり、
砂上の楼閣のようにおぼつかないものです。

私には私に相応しい程度の幸せ、
あなたには丁度あなたに相応しい幸せしか巡ってこないような気がします。

折角なら、出来るだけ感激の深い幸せであって欲しいものです。
それにはそれなりの努力や精進が要求されますし、その度合いに見合った人生が準備されているようです。

出来れば、周りから大いに祝福されて賞賛される幸せこそ本物に近いようです。
それは人や物を極めて大事なものとして大切に思っていた証ですから。


『その時は不幸だと思っていたことが、後で考えてみると、
より大きな幸福のために必要だということがよくあるもの。』


『自発的な努力によらなければ、
善良にも偉大にも幸福にもなることはできない。ウィリアムロバートソン』


『手の届かないものにまだ達しないからといって
人生の幸福を失ったように思いこむのは不実なことです。
われわれの心が幸福に対して持つ能力は測り知れないものだからです。シュトルム』  


Posted by mister_kei0918 at 09:27Comments(0)

2009年04月13日

幸せは実は自分の身の回りや足元に潜んでいる

人生で最も大事なこと

『人生で最も大切な仕事は、
はるか彼方にあるものを見ようとすることではなく、
目の前にはっきり見えるものをきちんと実行することだ。
トマスカーライル 十九世紀スコットランドの思想家』

こんな言葉があります。

夢を追い求めすぎるが為に、現実を見るのを忘れていたり、自分の能力を高めることをつい見失ってしまったりもいたします。

叶う筈の夢も結局は現実の延長線上であって、余程の運に恵まれない限り自分が望む以上の夢など適うわけがありません。

自分の足元をしっかり見つめ直し、自分の力の程を見極めることから物事は始まっていくようです。

身の程知らずの夢、
途方も無い夢、

天井知らずの夢、
人を犠牲にする夢、

人頼みの夢、



叶う訳がありません。
叶っても所詮は砂上の楼閣。

いつと言わず、跡形も無く崩れ去ることは時間の問題でしょう。

人生の基本は自分を見つめること。
自分を知ること。

出来れば、自分ひとりの非力さを知ること。
努力すれば、叶う夢があることを知ること。

幸せは実は自分の身の回りや足元に潜んでいることを知ることではないでしょうか。

幸福の女神は受け入れる準備の出来ている人の所へ訪れると言います。

そして巡ってくる幸運の女神の前髪を優しく掴む事が出来る人に限られているようです。


『人生で最も大切な仕事は、
はるか彼方にあるものを見ようとすることではなく、
目の前にはっきり見えるものをきちんと実行することだ。
トマスカーライル 十九世紀スコットランドの思想家』  


Posted by mister_kei0918 at 21:31Comments(0)

2009年04月12日

余りのでしゃばりでもいけませんが

「私はここにいます」

昨年でしたか、こんな言葉がよく耳に入ってきました。
あ、若しかすると「私は死んでなんかいません・・・・・」の歌の歌詞の一部ですかね。

そうだとするとあの歌は
私はお墓の中になんか、いませんよ。
あなたのそばにいますよ。
そういう歌詞でしたね。

私は自分が一番尊敬する人というか、私の守護霊(私を常に気にかけ、見守ってくれていると言う意味)は母方の祖父です。

その祖父はいつも私と共におられると信じています。

心の平安を下さるのもそうですし、
悲しみや苦しみが伴うときには私と共に悲しみ苦しんで頂いている、

日頃の努力を促していただける、
勇気が出ない、奮い立たないときには後押しをして頂ける



そのようにいつも思ってますし、感じております。

生身の人間でもその存在は確かなものでなければいけませんよね。

余りのでしゃばりでもいけませんが、
少しは「私はここにいます」と自己表現も必要です。

存在がいつも埋もれた状態では、全ての喜びも幸せも常に人の後を追っかける状態になってしまいます。

社会では下支えだとか、縁の下の力持ちも大事な存在ですが、中にはいつまでも報われない下支えだとか、縁の下の力持ちもあるものです。

時には「私はここにいます」と認識をしてもらったり、存在を知らしめることも重要なことです。

世の中にはそれでも構わない、そうでないと困ると言う人もいますが。

過ぎると人間性を見透かされてしまいますし、嫌なものです。

自己顕示欲が諸に見えてしまいますと、汚いものに見えてしまいますし、時には妬みや恨み、やっかみに覆われたりします。

難しい所ですが、日本人の美徳とも言われる慎ましい態度や控えめな行動は見ていても美しいものです。

その匙(さじ)かげんが難しいところではありますよね。

でも時には「私はここにいます」の行動も必要な気がします。  


Posted by mister_kei0918 at 19:32Comments(0)

2009年04月11日

収支トントンと言うところでしょうか

眠れない夜はいらない

小田和正さんの歌を聞いてましたら、こんな歌詞が出てきました。

歌の題名まで覚えてると良かったのですが。
どうも「眠れぬ夜」の歌詞ではなさそうです。

最近は眠れない夜を経験することはほとんど無くなりました。

理由は二つ。
私の思い付きによる、私なりの理由です。

馬齢を重ね、少しのことでも気を病むことが無くなった。
  神経が鈍くなったか、図太くなったのか。

経験を積み、少々のことは想定内で差ほど心配をしなくなった。
  開き直りを覚え、図々しくなったか。
  知恵や知識が増え、精神的に落ち着いたか。

眠れる工夫を覚えた。
  苦労や心配事が無くなった訳ではありません。
  しっかり考えた後は眠れる精神療法?を自分なりに作り出した。

若い頃は眠れない理由は幾らも存在したものです。

自分の生まれのこと、
障害のこと、

学業、就職、
親との関係、

日常の生活、
恋愛もそうです。

結婚、子供、自宅の建築、
会社での業績、能力、

同僚との競争、上司との関係、
顧客・ユーザーとの事、

将来のこと、
起業、会社の設立、

業績、人事、資金繰り、
製品の品質、営業、

地域社会への貢献、
ボランティア、
様々な誘惑、他人との確執や葛藤、



際限なく出てきます。悩みの種は尽きないものです。
人生は悩みや苦しみと共に歩むように出来ているのかもしれませんね。

逆に喜びや楽しみも挙げると枚挙に暇が無いものです。
人の人生は大まかバランスが取れているようにも思えます。

収支トントンと言うところでしょうか。

悩みや苦しみは多分修正尽きることはないようにも思えます、
そこで人間の知恵の積み重ねや経験の出番となるのです。

百の苦しみや悲しみは若しかすると半分に押さえ込み、
あるいは五十の苦しみ、悲しみは

喜びや通常の精神状態に保つように昇華したり転嫁したり、自分なりの工夫をする働きや能力を備えるものです。

そう考えるとやはり年は重ねてみるもの、取ってみるもの。
経験は嫌がらずに、少々の無理があっても積み重ねてみるもののようです。

若い頃であれば眠れない程の夜も今となってはスイスイと寝息を立てて眠れるのかも。  


Posted by mister_kei0918 at 12:26Comments(0)

2009年04月10日

大よそお金とは程遠い人

一芸を極めるは多芸に通ず

多くの人の共感や賞賛を得るほどの際立った感性に恵まれた人、そんな人は私にとっては十分に尊敬に値する方ですし憧れです。

足元にも及ばないと言う感じでしょうか。

例えば、著名や写真家や絵画、音楽もそうです、作曲する人歌う人、演奏する人。
書家、陶芸家、舞踏家・・・・・

枚挙に暇がありませんが、

先天的な才能に恵まれて能力を発揮し、それが世に認められた人もおられますが中には大変な努力の積み重ねや修練、修行をすることによって勝ち得た業績や名声を得た方も多いものです。

たまたま、偶然に恵まれた人や極めて幸運に出会った人、両親や周りの人の関係で著名になる人、環境に恵まれていたばかりに少しの感性でも世に上り詰めたりもするものです。

自力を頼りに極めた人を拝見していると、やはり基本は人並みはずれた集中力の様に思われます。

何事にも興味をそそられるタイプ、
探究心旺盛で、

常人を超えた持続力と惜しまず傾注する努力する、
将来の明るい夢を描ける人、

登り詰めたときのわが姿を想像できる人、
大よそお金とは程遠い人、

幾らか負けず嫌い、



こんなイメージが付きまといます。

時には挫折を味わい、落胆を重ねますがまた起き上がることを体が覚えているようです。

ですから、初志が貫徹できず大きな変化が来ても新しい課題を自分に課して再び挑戦を始めます。

拝見していると一芸に秀でている方は、他の違った分野に挑戦してもその分野でまた頭角を現してくるものです。

中には「井の中の蛙、大海を知らず」的な方がいないでもありませんが、そんな方でも他に興味をそそられるものが出てくるとそこで新しい個性的な能力を発揮したりもいたします。

悲しいことにそんな能力や力、才能は持ち合わせていませんが与えられた日常を真剣に全うする努力だけは忘れないようにしなくては。


『低級な芸術家たちは常に他人の眼鏡をかける。
仏彫刻家:ロダン』


『人間として本当の生き方に立っていたならば、
一生を育児に捧げようと、芸術に捧げようと、
決して空しさに終わるはずはない。三浦綾子(作家)』


『人間にはいつも四人の人間が住んでいる。
一人は探検家、一人は芸術家、もう一人は戦士、四番目は判事。
この四人が正常に機能している人が、一番素晴らしいリーダーになれる。
城山三郎』  


Posted by mister_kei0918 at 15:11Comments(0)