2009年07月19日

葛藤や摩擦を避ける意味でも

想いは百通り

今の政権与党の混乱振り、大よそ次から次へと問題が吹き出てくる或いは思想信条の相容れない纏まりのない烏合の野党を見ていると、余計にこんな想いが過ぎります。

本来、政治は国民の思いやそうでないといけない方向を指し示したり、命や財産を守ることに終始しなくてはいけないはずにも関わらず、自らの意見集約もできず、足の引っ張り合いや責任のなすりあいの様相です。

所謂、そこに権力闘争が重なっているから手に負えません。

どうでも良いから、今一度政治の原点に立ち戻り、誰の為の世紀かなのか、誰から選ばれたのかに想いを新たにして欲しいものです。

政治家でなくても、私どもの日常でも「思いは百通り」。

自分と意見が合わない、気が合わないと毛嫌いしていては結局は自分自身の了見を狭くし、人間関係を狭め、相手からも敬遠されることになってしまうものです。

最初から、人は違うもの、想いは百通りと納得しておけば自ずと自身の度合いを大きくするもののようです。

人は胸襟を開き、人を広く受け入れる度量を持ち合わせている人ほど、世の中では大事にされているようにも思えます。

昔から日本には「長いものには巻かれろ」ということばがあります。

これは強いもには従順であれとか、意見をしてはいけないとか、尻尾を振って就いていくということではなく、年長者や経験者にはそれなりに貴重なものを持っているから旨く利用しなさいとか、経験談を参考にしなさいということとして私は解釈しております。

100%納得できるものはありませんよね。

友人たちと話していても時にそんなことがありますから、ましてや比較的近くない人であれば尚更です。

葛藤や摩擦を避ける意味でも、或いは自分自身の人生の間口を広く保つ意味でもそれぞれに「想いは百通り」と思っていると良さそうです。



Posted by mister_kei0918 at 17:53│Comments(0)
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