2009年07月24日

諦めることの大切さ

諦めることの大切さ

「諦めが悪いね」
物事に執着しすぎるとか、しつこいとか、潔しとしないとか余りいいこととしては使われない「諦め」。

諦めが良すぎるのも困ったものですが、むしろ諦めが悪いほうが弊害は多そうです。

最近しきりに問題になるストーカーだってそうです。
好意をいつまでも捨てきれないで、むしろエスカレートして極端な場合は殺意や誘拐などの凶暴な好意にまで及んでしまいます。

最近もありましたね。
交際を断られている彼女の親を殺して、連れ去った事件。

子育てでもそうでしょう。
過保護や過干渉が子供をどれだけ駄目にしているか。
諦めというか、子供の自主性を尊重し、自立を促し、出過ぎた干渉をしないことのように思います。

本来なら、まっすぐに育つはずの子供が歪(いびつ)な性格に育てられ可哀想な境遇になってしまうこと。

自分の立ち位置を見定める。
すべてが自分の自由になるわけでもありません。

思いの様に事が運ぶわけでもありません。
相手を思いやり、尊厳を可能な限り大切にしながらの適度な距離が大切なようです。

食事をするにも「腹八分」といいます。

満腹に食べたい欲望をほんの少し抑えるだけで、健康を保つことが出来るようにこれ以上食べてはいけないという自制心、諦めの境地が必要なんですね。

子供は自分の物ではないという諦め。

親にとっての子供は自分のものではないとの諦めの境地にはなかなかなれないものですが、預かりもの、授かりものと思えば余計に大切さを認識してしまいますし、肩の力を抜いて教育が出来そうです。

会社は社員やお客様、株主のものであって、社長個人のものでないという諦めの境地。

そのことがむしろ柔軟な発想や思い切った経営が出来そうです。
我が物と思えばつい自分の足元にのみ集中し、高邁な経営理念や未来展望を忘れそうです。


『個人は何ものかに達するためには、
自己を諦めなければならないということを、だれも理解しない。ゲーテ』



Posted by mister_kei0918 at 17:40│Comments(0)
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