2009年07月25日

人生の扉を切り開くのは自分

時の巡り会わせの明暗

幼い頃は親がいないこと、貧しいとか、体のことがどうとか、つまりハンディとかコンプレックスを際立って感じたことはなかったように思います。

親がいなかったことは、私の頭に残っていないだけであるいは寂しい表情だとか、体で表現したりしぐさはあったのかもしれませんね。

万事に頓着のない私ですから、記憶力もありませんしすぐ忘れるのが常です。

小学校に入学すると母親に巡り合いましたので母親のことでどうということはありませんでしたが、父親不在については色んな感情や出来事がありました。

周りの子供たちが持っていても私だけにはないものや欲しいものが手に入らず悲しい想いは幾度となく経験したものです。

あるとき、自転車が欲しいのですが当然買えるわけがありません。

お金持ちで建設会社のぼっちゃんの友人がいましたので、彼の自転車を借りることにしたのですが結局は乗りつぶしてしまった記憶があります。

彼は私に一度なりとも返してくれと言うことはありませんでした。

多分、ご両親も良く知っている間でしたので不憫に思われて、暗黙で上げるくらいの気持ちだったのかもしれません。
勝手な思い込みですが。

人は自分で好んで選んだわけではありませんが、其の時の巡り会わせで人生が好転したり、暗転したりするものです。

時代の流れに翻弄される事態もそうです。

就職氷河期などもそうです。
丁度、就職時にそんな時期に遭遇すると人生設計が狂ってしまいます。

起業をしたのに途端に不景気の波に飲み込まれるなども良くあることです。

自分の精でもないのに。

逆に好景気の時期、引く手あまたの求人で能力以上の企業に就職できたり、高給を手にしたりするものです。

ベビーブームの時に生まれたが為に、生涯、競争に晒される人もいるものです。
戦争だってそうです、その時期に青年期を迎えたが為に命までも落とす結果を招きます。

先ほどの私ではありませんが、親子の問題でもそうですし、障害を背負うこともそうです。
自分で好んで選んだわけでもありませんのに。

でも、その人の一生はどのように生まれようとも命を全うするその日まで、前に進むことを忘れることなく、恥じることなく、正しく、懸命に生きることで道は開けるものです。

また、そのように生きることで報われることは多いものです。

世の中、栄枯盛衰。
恵まれた環境の中にいる人だけが人生を楽しく幸せに全うできるものではなく、むしろ努力をした人にこそその機会は多く訪れるものです。

与えられたものは明暗、悲喜こもごもですが、人生の扉を切り開くのは自分。
そしてどんなに与えられたものが素晴らしいと見えても、それは傍目(はため)のこと。

本当に幸せを謳歌しているかどうかは、その人しか分からないもの。

表目(おもてめ)は良くても苦しんでいる人、貧しそうに見えてもこの世の春を謳歌している人だってたくさんいるものです。

今日も頑張る、頑張る!!



Posted by mister_kei0918 at 10:26│Comments(0)
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