2008年06月24日

人が見ているから

人が見ているから

「余り人の目を気にしなさんな」、私も子供たちや友人たちに言います。

人の目を気にする余り、精神状態に落ち着きを失ったり、不安や嫌悪を感じるようであればそれでもいいと思います。

私自身も人の目や自分に対する意識を気にしすぎて、不安な時期があったり、対人恐怖のような精神状態になっていた青春時代がありました。

人に見られることが、自意識過剰になってみたり、
傲慢さや優越感の発露になってはいけませんがそのことがやる気を起こしたり、自分をより以上に磨くきっかけであったり、修練するための機会として捉えたら大変なチャンスを得ることになります。

私がそんなことに気づいたのは多分40歳前後からでしょうか。

本当はもっと早く気づいていれば私の人生も大幅に今とは違うものになっていたと想像されます。

社会の中で生活する以上、人との係わりなしでは生きていけませんし、人生の楽しみや幸せはむしろ自分ではなく周りや周りの人々から持たされるものです。

であれば、逃げていては巡り来る筈の多くの楽しみ、幸せを自ら避けているようなものだと気づきました。

後ろめたい気持ちや恥ずかしさ、自分を卑下する気持ち、失敗やトラブルを極端に嫌う性格、本当は負けず嫌い、内在する自分の本当の姿を知らない、もしくは見ようとしない・・・・・

私がそうでした。

でも、人の目を心地よいものとして受け止める努力を重ねるととんでもないことが起きて来る事請け合いです。

人間そのものが変わっていくことを実感できますし、多くの方々にお会いするのが楽しみともなるものです。

本来、恥ずかしがりですから根本から変わることはありませんが、人との出会いや見られることが苦痛から開放され時には快感とまで言わなくても心地よい春風にもなったりも致します。
すると人間は欲が頭をもたげてきます。

もっと人に見られても恥ずかしくない人間でありたいとか、自己研鑽を重ねて自分の主張や持論を人に伝えてみたいとか、人間修練の場にもなることを実感することになります。

これが講じると、社会に有用な人間でありたいとか、役に立ちたいとか、自分のことだけでなく周りに配慮する自分を感じることが出来るものです。

好い例が若手の女優さんの姿がそうですよね。

大丈夫かと心配をするほどの新人が見る見る力をつけてみたり、表情に自信がみなぎり、存在感を感じたりもするものです。

勇気を持って、本来持っている自分のあり方を探る意味でも「人が見ているから」を積極的に利用するのも人生を切り開く貴重な体験になるようです。

今日も出来るだけ多くの人々に会ってきます。



Posted by mister_kei0918 at 10:32│Comments(0)
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