2008年08月26日

バリアフリーな社会であって欲しいものです

物議のオリンピック

過去のオリンピックは純粋にスポーツの祭典と信じてみてきたつもりだったのが、今年の北京オリンピックだけは特別でした。

政治とスポーツは別だといいながら見えるのは政治主導、一党独裁の姿が裸になってしまいました。

反体制の人々は数多く拘束されているし、民族的な活動や暴動も多発しているようです。

聞くところによるとチベットでは140人もの人々がオリンピックの期間中に殺されているようだとも聞きます。

認めるはずの国民のデモも結局は一件も認めることはありませんでした。

報道の自由も保証するはずの約束は反故にされ、あちこちで記者が拘束されたり、暴行を受けたり。

誤魔化し、まやかしのアトラクション、会場近くの貧しい人々の強制退去、酷いところは周囲を壁で囲ったり目につかないようにしてみたり。

競技の極めて偏った応援の仕方やブーイング。

自国の英雄的な選手が競技を棄権した途端に会場から大量に帰ってしまう観客。

どうも、見聞きするだけでも従来のオリンピックとは異質な感じを受けたのは私だけではないでしょう。

これからの矛先は経済の動向と人権や民族解放への動きがどうなるのか。

民主的な社会が果たしてどこまで進むのか。

報道の自由がどこまで許されて、発言や表現の自由がどんな方向に進むのか。

環境や自然への配慮がどこまでなされるのか。

スポーツの尊さや大切さは言を待ちません。
それは誰しも異論の無いところでしょう。

オリンピックの後はパラリンピック。

国民や外国人にとってもよりバリアフリーな社会であって欲しいものです。

中国の皆さんがより自由で民主的な社会が世の中の流れであることを気づいてくれるとうれしいのですが。

もしそうだとしたら、若しかすると今まで以上の素晴しい成果を挙げたオリンピックとして賞賛されると思います。



Posted by mister_kei0918 at 07:51│Comments(0)
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