2008年09月01日

横棒のひとつを書き加えることに

辛いことのひとつやふたつ

人は幸せばかりで一生が全うできるわけでもありません。
また、不幸ばかりで一生を終わるわけでもなさそうです。

幸せばかりと思ってはいても時には辛いときや悲しい思いも時には交錯しているものです。

不幸な人生と思っていても幸福な瞬間だってあったはずなんです。

それに気づかなかったり、幸せに目を取られて、或いは辛さに目を奪われて見失っている事だって多いものです。

また、人の心は不思議なもので幸せなときには幸せにばかり神経が走ってますし、辛いときには辛いことにのみ集中するものです。

特に人間、
辛いときは「どうして自分だけこんなに不幸なんだろう」等と胸いっぱいに充満してしまいます。

世の中の不幸の全てをしょいこんでいるような感覚にもなってしまいます。

表情はさえませんし、食欲も落ちてしまいます。
いつもの元気も何処かへ飛んでしまいますし、目の光だって冴えません。

背は丸くなってしまいますし、
何処かしら足取りは鎖でも繋がれたように重々しいものです。

胃はきりきりしますし、
もう頭は他のことには係わる余裕なんてありはしません。

人の言葉はちゃんと聞けませんし、うつろ状態です。

こんな経験は一回や二回ではありません。

多分、幸せと感じた数よりも遥かに多い不幸を感じたのではないでしょうか。

でも、振り返ってみるとどうも人生は山があって谷が存在し、7つ転んで8つ起きて。

幸せと辛さは裏表、辛いの字も横棒のひとつで幸せになってしまいます。

そんなに差はなさそうです。幸せのすぐそばにそっと潜んでいるのが辛さで、辛さの後ろに佇んでいるのが幸せのようです。

辛いことのひとつやふたつ。

私などは数え切れないくらいの辛さを経験しましたが、横棒のひとつを書き加えることに一生懸命でした。

それでもなかなか幸せは来ないものですが、
人生そんなものと思えば結構楽しめることを覚えました。


『幸不幸は、財産、地位、あるいは職業などによって決まるものではない。
何を幸福と考え、また不幸として考えるか
――その考え方が幸不幸の分かれ目なのである。
Dカーネギー「人を動かす」(創元社)』


『自分が不幸なとき、
他の人たちを非難するのは無教養者、
自分自身を非難するのは教養の初心者、
そして他人をも自分をも非難しないのが本当の教養人である。
セオドアルーズベルト』


人生は学校である。
そこでは幸福より不幸の方が良い教師である。
フリーチェ (ロシアの文学者)


『過ぎてかえらぬ不幸をくやむのは更に不幸を招く近道だ。
シェイクスピア』


『どんな不幸のなかにも幸福がひそんでいる。
どこに善いことがあり、どこに悪いことがあるのか、
われわれが知らないだけである。
ゲオルギウ』



Posted by mister_kei0918 at 14:56│Comments(0)
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