2008年09月02日

山手線の中の吊り広告?

行学一如

先日、東京へ出かけたときに目に付きました。
山手線の中の吊り広告?或いは浜松町から羽田へのモノレールだったでしょうか。
つい、書き留めてしまったのです。

駒澤大学の学生募集の広告だったと思います。

走る電車の中でいきなりのメモでしたので間違っているのかもと思いながらのことでしたが調べてみましたら間違いなく駒澤大学の校訓ということが分かりました。

調べが進みましたら東北福祉大学の理念であることも判明したのです。
そこには理論と実践の融合とも書かれていました。

拾ったままをそのまま記載しますと、
『行学一如”という禅の精神があります。
「学ぶ事は、そのまま人格を形成する」を意味しています。
すなわち、人類の叡智と文化を創り上げる為には、たゆまぬ努力を行い、それが思考や人格形成の核となる。』

そうですよね。

学校を卒業しても「習ったことが少しも役に立たない」等と勝手な事を言っていたものです。

実は数字がどうとか、漢字がどうとかではなかったのですね。

それは数学が良く理解できて、漢字が上手に読めて書ければそれに越したことはありませんが、学業の成績よりもどれだけ継続的に努力をしたかだとか、物事を論理的、理知的、社会規範にそぐわない行動がどんなものか、人とのコミュニケーションの大切さや方法、心のあり方、善悪の判断できる能力を養うことこそが問題だったのです。

そのことを分からなくて勉強するものですから、いやいやで不平不満だらけで、頭には少しも残るものはありませんでした。

人間形成や人としてのあり方や、社会での行動の規範、人や自然や環境にやさしい人間を醸成するためのものであることが少しも分かっていなかったのです。

日ごろの行動と学校や社会家庭で学んだことが一致を見るということがどんなに大事かということをこの四文字熟語は教えてくれてます。

そうでなくてはいけないと言っているのでしょう。

似たような四文字熟語で「迷悟一如」・・・・・仏教で迷いと悟りは、本来は同じである。

「心身一如」・・・・・心と体が一体になること、心身の充実、物事に向かって集中している様子。

という言葉もあるようです。

一如は一体である、不可分であると言う事のようです。

言葉を借りれば「言行一如」、そんな人でもありたいものです。



Posted by mister_kei0918 at 07:45│Comments(0)
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