2008年09月10日

飛んでもない刃傷沙汰にもなってしまいます

中洲のネオンと時代背景

若い頃は中洲へ通うのが楽しかった時代もあったものです。

ですが私自身は事業の為の接待など出来はしなかったのです。

不器用ですし、お世辞は嫌いですし、
頓着はないし、第一、食べ物への執着や気遣いの全く出来ないタイプですので接待など出来るわけがありません。

接待をするだけの話題も持ち合わせていませんので、どうせお客さんに退屈を感じさせるのがせいぜいでしょう。

人を蔑む事は最も大嫌いですし、増してや持ち上げることやお世辞など言えるわけがありません。

中洲へ通う特別な正当な理由なんて、在りはしませんでした。
友人や先輩たちと勢いで梯子酒をしてたと言った方が正しいでしょう。

昼は会社経営や社会活動、ボランティアと動き回っていましたので人並みな言葉で言えば少しは気晴らしや付き合い、或いは惰性が殆どでした。

また、様々な集まりの帰りは決まって中洲のお店の一軒くらいは付き合って帰るのが博多の男の粋な所だったのかも知れません。

年を重ねるごとに回数も減り、自分の健康の維持や余り無理をしてはいけないというセイブも働いてきましたし、どうも無駄な?時間のような思いが過ぎり出したのも足が遠のく原因のように思います。

また、昔のようにお店自体の面白みも少なくなってきました。
やたらと外人が多かったり、素人の持て成しを知らない女性が殆どだったりするのもそうです。

中洲にはそれなりの女性が存在していたものです。

そうなると別に中洲に行くまでも無く、しかも他の方が料金だって手軽な事もあるものです。

誰がお客さんなのか、お店の人なのか分からないときもあるものです。
至る所に客引きが存在することや風俗、いかがわしい格好の男や女が目に付くようになったのもそうです。

どうも大人のしかも接待のためや本当に良心的に楽しむ夜の街でなくなったことが結局は衰退化の道を辿ってきたのではないでしょうか。

ただでさえ、夜の街は敬遠されがちなものです。
でも日本人には、或いは大人にとっては大事な存在であったはずなんです。

那珂川に光る中洲のネオンは美しかったものです。
夜に写真を撮りに出かけたものでした。

子供たちが那珂川べりのうなぎ釣りなどの興じる姿も懐かしい昔の風物詩となってしまいました。

クルスマスやボーナスシーズンはすれ違う酔客同士の肩が触れ合うくらいに賑わっていたものです。

今では肩でもすれ違おうものなら飛んでもない刃傷沙汰にもなってしまいます。
或いはわざと抱き合った途端に財布など、抜き取られたりもするものです。

時代は中洲のありようや姿までも変えてしまいました。
幾多のドラマや移り変わり、変遷を遂げてきました。

昔に戻って欲しいとは思わないけれども、もっと賑やかで正常な大人にとって健全であって、それなりのステイタスがあって欲しいとも願うものです。

そうでなくても良いという輩や目的の異なる方ももおられますから叱られそうですが。

少なくとも、家内や社員に「夕べは中洲に行ってきたよ」と軽く爽やかに言えると良いですね。



Posted by mister_kei0918 at 11:57│Comments(1)
この記事へのコメント
はじめまして。

中洲には25年ほど通って常連の店もその間にいくつも変わりました。
今でも努力して営業している店はありますよ。(女性の教育も含め質を保つ努力)
私は客として、オーナーに意見したりします。
夜の店に限らず、客が店(会社)を育てることもあるのはご存じのはず。
くだらない店には行かない事です。

今では肩でもすれ違おうものなら飛んでもない刃傷沙汰にもなってしまいます。
或いはわざと抱き合った途端に財布など、抜き取られたりもするものです。>>中州から3時ごろに帰宅することもたびたびですが、今まで見たことはありません。少し大袈裟に書き過ぎじゃないでしょうか?

そうでなくても良いという輩や目的の異なる方>>私は該当しません(笑)念のため。

人生の先輩に余計な意見をしたこと失礼しました。
Posted by onelife at 2008年09月12日 11:25
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