2008年11月01日

無くなるときは死を迎えたときでしょうか

「我が敵は我にあり」

昔は「己に勝つ」、だとか「克己」「根性」置いていたものです等と教えられたものですから、受験勉強や資格試験の勉強時には机の目立つところや常に目に付く所に置いていたものです。

私は中学2、3年生の修学旅行の折、
確か阿蘇の内の牧温泉だったと思いますが「根性」と書かれた木製の楯がありましたので無いお金で買い求めたものです。

もう半世紀近くが経過してますが未だに会社の私の部屋に飾っています。

素朴な楯ですが、私の小さい頃の思い出も沢山詰まってますが、多感なその頃の私をしっかり覚えているものと信じています。

最近、テレビを見てましたら不思議な名前のグループ、4人組みだったと思いますが興味深い唄を歌っていました。

そのグループの名は羞恥心。作詞はカシアス島田、作曲は高原兄。
歌っている曲は「我が敵は我にあり」。

最近は外敵に対しては極めて神経質で、自分に危害を及ぼしたり、望まない影響をもたらすものに対しては過大な反応をする風潮があります。

ましてや自分への責任転嫁など余程でないとしないものです。

殆どのことは他人や社会、親、学校、法律の精にして自己保全や自己を優位に保つ努力だけは惜しまないようです。

この私がそうですから。

ましてや「我が敵は我にあり」等と考えること自体が、なくなっていました。
実は私にとっても最大の強敵は私自身だったんです。

今まで戦い続けましたから。それは強敵です。

本当は世の中で一番手強く、ままならないのが自分。
自分を滅ぼす最大の敵は我自身のようです。

理性とか、自制心とかが適度に自然体で働くことが素晴しいのでしょうが、人間なかなか上手くいかないものです。

自分との戦いや葛藤はすざましいものです。

我を適度に制することが出来れば、社会性や協調性を備えたことになるのでしょう。

我は全てがなくなってもいけませんし、無くなるものでもありません。
無くなるときは死を迎えたときでしょうか。

我と戦うことの喜びもあります。

自分を乗り越えてどのように自分を変えていくのか、自分の人生を素晴しくデザインするのも自分です。

いくつになっても自分との戦いが続くことが、素晴しい人生設計には大切なようです。



Posted by mister_kei0918 at 17:58│Comments(0)
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