2008年11月09日

危険にあまり注意しすぎると

不幸な未来を想像する余り

未来には不幸と幸せと、平坦な人生のいずれかが横たわっていそうですが実はどれでもないようです。

だから誰も推測も予測も出来ませんし、まぐれで無い限り当たりっこないものです。

だから、悩んだり悔しんだり、地団駄踏んだり、
或いは小躍りするような幸せに巡り会ったり、
また、つまらない変化の無い平坦な日常に飽き飽きしたりも致します。

不幸な未来の自分を想像する余り、一歩が踏み出せなくて後悔することもしばしばです。

どうせ見えていない、確かな予測もつかない未来であれば、むしろ明るい想像に任せて行動したほうがいい結果を招きそうです。

振り返ってみると

「どうしてもう少し早く行動しなかったのか」
「早く実践していたらもっといい結果が見えていたのに」
「決断と実行が伴っていたら、もっと素晴しいことを実現できたのに」

こんなことが多いものです。

そうです、「こんなことをしなければ良かった」の後悔よりも。

当然、努力が伴うことを忘れてはいけませんよね。

努力をしたから結果が良かったのではなくて、未来へ向かう決断が努力を促していい結果を招いたのです。

人の心理は不思議なもので、不幸な世界を想像するに十分な材料を揃える能力を備え持っているようにも思えます。


『危険にあまり注意しすぎると、
多くの場合、危険に落ち込む。ラフォンテーヌ「寓話」』



Posted by mister_kei0918 at 22:45│Comments(0)
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