2009年01月08日

実は廻りまわって社会の損失や家庭の犠牲

優しいだけ、人が良いだけでは損をしている?

私などはその典型かもしれません。

「人に優しくするだけが、
人が良いと言われるのが人間としての美徳だ」などと信じきっていたりして。

人生、得をしようと生きているわけではありませんが人として余りの尽くすだけのバランスの悪さではいけないようにも思えます。

「あの人は、尽くすだけ尽くして自分の事はかまわない人だったね」
「自分の身を削るようにして、頑張った人だね」
「身を粉にして、我が幸せは犠牲にしていた人だね」



そんな人生のあり方を否定するわけではありませんが、何か悲壮感が漂ってくるものです。

打算で物を言ってもいけませんし、計算づくの施しなんて真っ平。

出来れば自分も人並みの人生を歩みながら、その余力を買って人の為に勤めたいものです。

あるボランティアのお世話をしていたときの事。

ある友人はそれはそれは、献身的に、時間を割いて、幾許かのお金をはたいて、体を使って頑張っていたものです。

私は彼に「仕事も大事にしながら、頑張ったほうが良いよ」と忠告は致しました。

でも彼は人に尽くすことの喜びや心地よさに酔いしれていたのでしょう。
耳を貸してはくれませんでした。

とうとう、折角の自分の会社は倒産させてしまいました。

そうでなければ100%倒産しなかったとは言い切れませんが、そんな憂き目を見なくても澄んだのではないでしょうか。

枚挙に暇はありませんが、
物事には順序があり、より大切にしなくてはいけないもの、自分の心や生活の根幹を成すものを見失っては、本末転倒、何をかいわんやになってしまいます。

あるボランティア団体などは「まず、事業を成功に導きなさい」、その余力を持って勤しみましょうとなっているものです。

でも、人はそれが身に染み付いている人も存在するものです。

私もその一人ですが。

「優しいだけ、人が良いだけでは損をしている」事を知らないが為に実は廻りまわって社会の損失や家庭の犠牲・・・を招いている事もあるものです。



Posted by mister_kei0918 at 19:17│Comments(0)
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。