2009年05月19日

経験は尊いものです

「喜びと悲しみは二つで一つ」

若い方ならご存知の曲だと思います。

私も数度耳にした事があり、私ども年配者にも聞きやすい曲ですし、歌詞が極めて共鳴しやすいものですから一部をつい覚えてしまいました。

「喜びと悲しみは二つで一つ」
若い方々がそんな思いで日常を過ごしてくれるなら、本当に安堵いたします。

マスコミの報道もそうですし、いつも悲観的で、自虐的で、退廃、悲壮な事柄やニュースに囲まれているといっても言い過ぎではないでしょう。

人生は喜びと悲しみが交錯する中で懸命に生きることに意義もあり、生き甲斐も見出せるものです。

様々な葛藤の中から喜びを見出したり、幸せを味わったりするものです。

いつも幸せでもいけませんし、増してやいつも悲しみに暮れていても人生に悲観してしまいます。

「喜びと悲しみは二つで一つ」
喜びと悲しみは交互で来るものでもありません。

喜びは得てして小さく感じ、悲しみは世界で一番大きいものを背負っているようにも思えます。

不思議なものですが、悲しみや苦しみは経験を重ねることで同じ大きさであっても次は難なく乗り越えるものです。

喜びは本当はもっと大きいものの筈なのにどうしても小さく感じてしまいます。

喜びを倍加し、悲しみを小さくする方法。

自分の喜びを倍加したければ、まず人に喜びの機会を与えることと
自分へ喜びが巡ってきたときには周囲に分け与えることのような気がします。

喜びをもらった人は私へお返しの喜びをくれるものです。
分け与えた喜びは祝福という素晴らしい喜びを連れて私へ戻ってきます。

悲しみを小さくする方法

人を哀しませるような事は出来るだけ避けること、
悲しみを打ち明ける友人知人を日頃から作っておくこと、

人の悲しみの相談者にもなってあげること、
人には乗り越えられない悲しみは来ないといいます。
つまり私が乗り越えられる悲しみしか来ないのです。

乗り越えた暁には喜びや幸せが待っていることが多いものです。
そう信じることではないでしょうか。

経験は尊いものです。

喜びの時には次の悲しみの為に備えをし、
悲しみの時には次なる喜びを想像逞しくすることのようです。

そのように考えますと悲しみに打ちひしがれたり、挫折の道を歩んだり、人生を悲観することはもうそこに潜んでいる幸せをみずみず捨て去るもののように思えます。

或いは悲しみも喜びを待ち受ける一里塚ではないでしょうか。



Posted by mister_kei0918 at 13:13│Comments(0)
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