2007年03月14日

あなたの為に生きてみたい

あなたの為に生きてみたい

そんな事、一度は言われて見たいものですね。

良くあなたの為なら死んでもいいとか、
お前たちの為なら命は惜しくないとか。

言葉にはしなくても親とか妻、子供たち、人間として導いてくれる人のためには命を投げ打ってもいいとも思ったりする時があったりもするものです。

でも、考えてみると実際に自分の命を犠牲にしなければいけない事態が発生したときにそんな決断が本当に出来るかと自問をしたりも致します。

咄嗟の判断で犠牲的に命を捧げたり、
余りにも緊急な事で冷静な決定が出来ない環境の中で
勢いで我が命を捧げる事はあるのかもしれませんね。

或いは相手を助けようとして、
結果的には命を落とすことになってしまったとか。

こんな事を書いていましたら、何だか自分が意気地なし、
若しくはペテン師に思えてしょうがないのですが皆さんは如何でしょうか。

それもやはり人間としての自然な感情なんでしょうね。
或いは動物的なものと考えてもいいような気が致します。

最近は、むしろそんな事を考えるより、
というか非現実的、非生産的で殆どそんな事態が発生しない時のことを思うより、
「お前たちと生きるんだ」とか「お前の為に生きてみたい」とか、

会社でいえば以前は「事態によっては俺の命は会社と運命共同体」
などと考えてもいたものですが今は「会社と共に生きる」
「会社と一緒に自分も成長する」、
そんな風に考えを改める事にしました。

死をもって償ったり、
あるいは死をもってなされた犠牲的な状況が結果として例えあったとしてもそれを否定するものではありませんし、むしろその行為は賞賛や尊敬に値する事であることは間違いはありません。

或いは非現実的しかも人間の根源的なものだからこそ、
そんな言葉が言われるのかもしれませんね。

本当は「あなたの為に生きてみたい」「お前の為に生きてやる」、
そんな言葉が行き交う間柄の人が多くいると嬉しいですね。

そういえば、誰かに「俺はお前と一緒に生きて行きたいんだ」と言った若い頃を思い出しました。

そんな時でないとなかなか言わない言葉だったんでしょうか。

此処まで書いてくると何か、生と死、同じに聞こえてくるのが不思議です。



Posted by mister_kei0918 at 07:44│Comments(0)
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