2007年06月26日

愛する事を少しづつ失ってきました

「不便だけど不幸ではない」

ある著名な方なんですが障害を持っておられます。
その方がテレビに出てらして「不便だけど不幸ではない」
とおっしゃってました。

ご自分が障害を持つ人間として日常的に不便を感じる事は多々あるけどそれは不幸ではないと言われたのです。

私ども健常者が痛切に受け止めねばならない言葉ではないでしょうか。

自分の思うように成らなければ我侭を言い、
使い勝手が悪ければ物や人の精にし、
ちょっと不都合が生じると投げやりになり、
努力を怠りながら幸せだけは欲張って、
思うに任せない事態からはすぐに逃げ出して
、気に入らないときはすぐ憮然となって。

私などはその典型的な人間なのかもしれません。

苦難を乗り越える事がどれだけ人間を強く変えていくのでしょうか。

言葉を反せば「便利だけど幸せではない」、
若しくは「不便だけど幸せ」って聞こえるのですが皆様はどう解釈されますか。

社会現象でもそうです。
余りにも便利であることが逆に荒んだ心を持つ事になり、
愛する事を少しづつ失ってきました。

物の豊かさの分、心の豊かさを失ってきました。

幸せとか不幸せとか、そんなに簡単に論じてはいけない、
それだけ重いものだし大切なものだよって言って頂いているようにも思えます。


『幸福人とは、過去の自分の生涯から、
満足だけを記憶している人びとであり、
不幸人とは、それの反対を記憶している人々である。萩原朔太郎』


『子どもを不幸にするいちばん確実な方法はなにか、
それをあなたがたは知っているだろうか。
それはいつでもなんでも手に入れられるようにしてやることだ。ルソー』


『幸福な家庭はどれも似たものだが、
不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである。トルストイ』



Posted by mister_kei0918 at 07:06│Comments(0)
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