2007年07月05日

我利我利亡者

有り難い判り易いお話でした。

去る6月の27日に「迷いと悟りの経営」という首題、爽やかな人生の為にの副題のセミナーへ出て参りました。

日常の生活でもそうですし、経営においても迷いや葛藤、ストレスに囲まれながら人生をヨチヨチ歩んでいるというのが私の現状です。

そのときのお話の中で興味深い、しかも判りやすく書いてある文章を戴きましたのでご披露申し上げます。

頂いたのは心理研究所主幹 岡野守也先生です。お話は「迷いと悟り・・こころを読む」でした。

『よく考えてみると=気づいてみると、私たちは実にたくさんのものなしには生きていません、生きられません。
それなのに、自分だけで生きている・生きられるというふうに思っていることが、「迷い」のもっともポイントです。

それに対して、私ではないたくさんのもの(者と物)とのつながりのお陰で生きていることに気づくことが「悟り」のポイントです。

といっても、言われてその時ちょつと気づいたのは、悟りの入口の入口のそのまた入口くらいで、いつも心の奥底まで気づいているほんとうの悟りとは大変な違いですが、それにしても気づかないよりははるかにすばらしいことです。

自分も含めすべてのものが他のものから分離・独立して単体で存在しているというものの見方を、仏教では「分別知」といい、またほんとうには事実が見えてない、明るくないという意味で「無明」ともいい、だから生き方に迷うので「迷い」ともいうわけです。

それに対して、自分もすべてのものもつながって生起しているという事実を「縁起」といい、それに気づくことが「悟り」のまず第一のポイントです。

さらには、すべてのものがつながっているのがありのままのほんとうの事実であることを「如」といい、すべてがつながっているのなら結局は一つだということを「一如」といいます。

そして、私たちが錯覚しているような分離・独立した単体など何もないこと、すべてがつながって一つなら、他に比べて数えるものが何もないことを「空」といいます。

私たちの生きている現実の世界が縁起の世界であり、一如・空の世界であるという事実に心の奥底まで気づいていることを「悟り」というのです。

迷っていることのどこがいけないのでしょう。

迷っているということは自分だけで生きていて、自分だけが大事だと思い込んでいるということで、その結果当然「我利我利亡者」になります。そうなれば利益が得られるかというと、そうではありません。

「我利」ばかりを考えていると、自分の思いどおりにならないとすぐに悩んだり、腹を立てたり、ストレス状態に陥ったりします。

友達としても取引先としても、「我利」ばかり考えているエゴイストと付き合いたい人はいないでしょう。
人間関係がうまくいかなくなります。
仕事もうまくいかないのではないでしょうか。

では、悟る=事実に気づくとどういういいことがあるでしょう。

まず、事実に基づいて生きられるようになりますから、
つまらない迷いがなくなり、真直ぐに生きられます。

すべてとつながっていることに気づくと、
余計な不安・恐れ・心配・ストレスがなくなります。爽やかに元気に生きられるようになります。

すべてがつながっていることに気づくと人にやさしくなれます。
人にやさしくなると、人から愛されるようになります。

こういうことを、「自利利他」といいます。利他の行ないをすると、「ギヴ・アンド・テイク」でまた利益が還ってきて、「自利」が得られます。

「自利→利他→自利→利他」の好循環は縁起の理法にかなっているので、終わることはないでしょう。

それがほんとうの人生の成功なのではないか、と私は考えています。』



Posted by mister_kei0918 at 15:05│Comments(0)
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