2007年07月31日

小説の作家がペンネームを持っているように

寿陵と自分で作る戒名

自分の入るお墓を生前に作る事を寿陵というようですが、縁起のいい事、長生きする事とする反面、人によっては寿命を短くするとか、縁起でもないとか言われます。

どっちがどうなのかの判断は私には出来ませんが、個人的な経験で物をいうとしたらこんな気がいたします。

一つには私が亡くなった後は当然私も入るわけですから、私自身がその事については全く危惧する必要がなくなったこと。

従来のお墓があったわけではありませんので私が生きているうちに建立をして、しかも支払いも全て済ませておけば残る家族に永代供養も含めて経済的負担を強いる事はないこと。
多分、数百万の負担になるであろうから。

家族にとっても、自分たちの行く末は多分安心してくれていると判断している。

お墓を作ることによって月に一度程度はお参りに行くわけで、ご先祖の供養をしながら心の安らぎが求められる事。

家族、とりわけ子供たちに先祖の大切さや両の手を合わせて供養と感謝をする事の大切さを私自身が身をもって教えられる事。

こんなところでしょうかね。

今、考えているのは戒名の事です。

家族からは縁起でもないと言われそうですが確か世間にもそんな方々がおられるように思います。

生まれてくるときには当然、自分の名前を考える知恵や経験などはあるわけがありませんが、大人になった今ならば、せめて亡くなった後の戒名くらいは考えられそうです。

それには幾らか仏教の素養が必要かもしれませんが。

でも、面白いと思われませんか。

自分の戒名を常に持ち歩いているなんて。
小説の作家がペンネームを持っているように気軽な気持ちで持ち歩けると、
より親しみが持てそうです。

お盆が近づいてきましたのでこんな事も考える時間があってもいいですよね。



Posted by mister_kei0918 at 12:54│Comments(0)
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