2007年08月28日

大型デジタルテレビの功罪

大型デジタルテレビの功罪

デジタルの事を決して非難しているのでもありませんし、むしろそんな事になるんだと驚愕の思いでテレビを眺めている一人です。

コンピュータに関わって数十年、今までデジタルの効能ばかりを賞賛し持ち上げてきたつもりなんですが大型のデジタルテレビを見るにつけ、時に寂しい思いがしないでもありません。

スピードや正確さ、容量、多面性、双方向性・・・確かに様々な恩恵をもたらしてくれるのは有り難いし、決して否定はしたくありませんしむしろ推進派の方でしょう。

今、丁度世界陸上大会が大阪で開幕し、躍動的な、挑戦的な素晴らしい美しい肉体美が大きな画面に映し出されるのは見るものの眼を釘付けにしてしまいます。

滴る汗の滴る一粒までも、筋肉の踊る姿までもがものの見事に再現をされてしまいます。

片や、昨日の夜中は安部第2次内閣の顔ぶれが揃い、記者会見に臨んでおられました。

悲しいかな、記者の質問の貧弱な事、深みのない質問に情けないやら寂しいやら。
もっと突っ込んだ、厳しい、重大な、質問などは出来ないものなのでしょうか。

或いはそんな質問が出来ないようになっているのか、聞くところによるとどうも新米の記者が多いとも聞きます。

大型デジタルテレビに大写しにされる顔〃の髪の毛一本、深く切り込んだ皺の奥、流れる汗の筋、ネクタイの糸の一本までも見えるようなあり方に、そこまで鮮明でなくてもいいのではとないのと言いたくなるのは私だけではないでしょう。

デジタルに耐えられるだけの風貌や容姿、若さや洗練された姿だけが持てはやされて、或いは耐えられない物や人はどうもはじき出されて行くのではないかと危惧を持つのは私だけでしょうか。

老練さや人間の内面の美しさ、
尊ばれる経験や皺のひと筋にも深く刻まれた歴史を暖かく感じるようにならねばいけないようにも思いました。

人間としての本当の美しさは何なのか、何処に見出すのか。

ビジュアルが尊ばれ、デジタルが全盛を極めていくとしたら、やはりそこには人間を改めて見つめなおす教育や時間が必要な気がしないでもありません。

それは私自身がそんな状況に耐えられないほど、年を重ねてきたからでしょう。



Posted by mister_kei0918 at 11:49│Comments(0)
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