2008年01月17日

限られた命しか与えられていない私ども

「天意と生命や如何」

ある著名な先生から頂いたお題です。
これに対する私の身勝手な解釈を今日は掲載を致しました。夫々の方々が夫々に感じる事であり一様なものでもないでしょうが、私自身の思いを綴ったものとしてお読み下さいませ。

『天意は天、つまり神から授かったというか与えられた、若しくは意を受けた使命とでも言いましょうか。
一人の人間として命を全うする中で、ただ全うするのではなく与えられた人間としての使命を果たしなさいということでしょうか。

生命とはただ生物的な命という事だけではなく、取り巻く社会や家族、自然の中でその役割を充分に果たしながら尽きるまでの道程なのではないでしょうか。

天意と生命がまさしく一つのものとして作用しあい、共鳴しあい或いは葛藤しあう事によって素晴らしい人間としての生き様が醸成され、完成していくように思います。

天意を感じながらも生命として充分な機能をしえないでの苦しみ。
或いは生命として余りあるほど機能していながら天意を全く感じない人間。
世の中様々ですが、そのバランスが大事なのでしょうね。

宗教のよってその事に到達できる人間もいましょうし、良き師、良き父母に恵まれて目覚める人間もいるでしょう。
或いは不幸にして、目覚めを知らない、自分の本来のあるべき姿を知ることなく命を全うする人間も多いものです。

限られた命しか与えられていない私どもには、とても到達できない、知りえない世界が存在するのも事実のよう思われます。

それは極めて重要な感覚であり、その存在を認めることから様々な事象の解決の糸口を見つける鍵がありそうです。

天意を感じ、心身ともに健康な生命に恵まれながら、希望を捨てることなく生涯が全うできればこれに越した事はありません。』


そこは違うとか、そうだと共鳴をされたりする部分が存在するとおもいます。
それでいいんだと思うのです。生き方も夫々ですから。



Posted by mister_kei0918 at 14:53│Comments(0)
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