2008年02月25日

過去が神々しくも見えたりするものです

お前には必要な事だったんだよ

過去を振り返ってみるとしなくても良かったような体験や経験もあるものです。

「苦労は買ってでもせよ」とも言われましたが、随分としなくても良かったのではないかと思われるようなことも経験してきました。

当時は「どうして自分だけこんな目に会わねばいけないのか」、
「人が背負い込む苦労の全てを自分ひとりに背負わされているような気がする」、
「一生、こんな惨めな思いをしながら人生を終わってしまうのか」とかとか・・・

でも不思議なものです。

背負い込んだはずの苦労というとんでもないお荷物は、結局自分の血に成り肉になっているものです。

苦労は買ってでもせよと教えられて、様々な火中の栗まで拾ったりもしたものです。

それは経験という大きな収穫となって、問題解決の様々な糸口を目の前に突きつけてくれます。

下手をすると人間までをも変えてしまいます。
人間の屋台骨までも太くしてくれるものです。

経験は自分にとって必要なものだったとする認識。
その経験があればこそ、今の自分がここに存在する事とする畏敬の念。
過ぎ去った苦しい経験の存在を認め、崇め奉り、しかもそれがあればこその自分であることを再確認する事で過去が神々しくも見えたりするものです。

振り返ってみると只、指をくわえて苦労だ苦労だと喚いていても解決には何にもならないものですし、底なしの泥沼にはまり込んでいるようなものです。

解決の糸口を見つけるためにもがき苦しみ、努力を忘れない事ではないでしょうか。
それが経験というものでしょう。

「神様は、その人に負えないような苦労は負わせない」
とか言われたものです。

でも、往時は八方塞りで天も地も我に味方するものの存在さえも否定し、かつそんな精神的ゆとりなど微塵もありません。

人生のハードルは、少しづつ少しづつ高さを増してきます。

でも経験という踏み台がそれ以上に厚味を増す事で苦にもなりませんし、却って楽しいものに心地いいものに変化するもののようです。


『人間が賢くなるのは経験によるのではない。
経験に対処する能力に応じてである。
英劇作家:バーナードショー』



Posted by mister_kei0918 at 20:46│Comments(0)
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