2008年08月29日

楽しみになってきました、地方の時代が

情報と競争心のお陰?

良く東京へ出かけます。

私自身も東京田町のコンピューターメーカーでソフト開発に係わっていましたし、その後九州の支社に勤務しましたのでそのことを考える機会が多かったものです。

どうして人材の質の差が東京と地方であるのか?
別に差別的に考えているわけでもなく、純粋に。

だって地方には東京にはない人間性や心の豊かさ、自然の素晴しさがあるから丁度バランスは取れていると思うのです。

政治や経済の中心に成るということはそういうことでしょう。
日本の人口の10分の1は東京周辺に住んでもいますし。

先日の北京オリンピックの開会式の挨拶でしたか、「中国は世界の人口の5分の1」という言葉が飛び出してきました。

だから素晴しい人間が多いということでもないし理想的な社会が存在するわけでもありません。

問題は、人としてどれだけ豊かの心を持って生活しているかが問われるべきではないでしょうか。

数の論理や多数決がどんなに悲惨な状況を作り出しているかを今の社会が如実に示してくれています。

東京の話しに戻ります。

やはり、情報の量と競争心の存在ではないでしょうか。
確かに最高の教育を受けた人、トップクラスの学府が存在するのも事実ですが。

今の日本では情報の大半が東京から発信されています。
情報もそうですが出版だって多分90%以上が東京発だと思います。

政治も経済も、社会の動き、生活情報も全て東京。

であれば東京の人々が情報を最初にしかも大量に、深く知ることになってしまいます。

また、「生き馬の目を抜く」といいます。
歩くことさえ、競争です。競争が日常のスタンスにもなっているものです。

競争に耐え抜くために教育のシステムも出来上がりますし、第一取り組む姿勢が異なります。吸収の度合いが違うでしょう。

地方の私などはのんびり構えてますが。

と言う事は個人の自己への投資だって地方の差ではありません。

世界を相手にする大企業も全て東京、その下請けだって殆どがそうでしょう。
のんびり構えていては置いてきぼり所の話しではなくなるのです。

九州支社にいたときには本社から出張で来る同僚たちの情報量の多さに舌を巻いたものです。

ですが、情報格差はネット社会が始まり幾らか縮まっててきました。

時間的なハンディの少なくなってきましたし、地方が引けを取らない時代はもうすぐです。

後は競争心をどう育てていくかでしょう。

政治的な権限や予算が地方に委譲されることで、一極集中が緩和されることに繋がれば。

そうなると親元を離れて淋しい思いをしなくても済むでしょうし、生涯地元を愛しながら過ごせる時代が来るのかもしれません。

楽しみになってきました、地方の時代が。



Posted by mister_kei0918 at 10:12│Comments(0)
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