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2007年04月30日

彼女たちのほとばしる息吹に

両隣が女学生、外国への飛行機の席

あれは3月の25日でした。

香港への旅の時の話です。
そんな若い女性もいるもんだと思って読んで欲しいんです。

おじさんとしては両隣が若い、しかも大学生のお二人に囲まれてそれは貴重な時間でした。
そんな事って滅多にありませんし、もしこれがバスか地下鉄なら却って避けて座るところです。

飛行機ですから私が決めたわけでもなくあちらも私と知らずに座るわけですから、ある意味申し訳ないと思っています。

左は香港へ金融の勉強に行く大学生、
右はアメリカへ留学に出かける大学生。

香港へ行く彼女は目的は私と同じ、3日間観光など全くなし。
朝の9時から21時まで勉強です。

彼女は最終的にはお医者さんになるべく大学に行ってますので当然医者でしょう。
その彼女が世界の金融の勉強?一般的には想像もつきませんし、多分普通の学生だったら香港まで出かけてしかも金融の勉強などしないでしょう。

多方面に興味を持って勉強しようとする彼女の姿勢に逞しさを感じました。
多分お医者さんになっても豊富な知識を貪欲に吸収しようとする事は終生変らないでしょう。

あと一人は、香港経由でアメリカへ留学に出かける女の子。
2回目の留学との事で幾分慣れているのでしょうか、たんたんと不安げもなく語る姿は極めて印象的でした。

英語もそんなに上手ではありませんと答えてましたが、
きっとそうでもないのでは?と思わせる節もありました。

国際的とは言い古された言葉ですが本来は自国の文化や歴史、宗教等についてもしっかり勉強をしていただいて、きちんと日本人のこと、日本の事を説明が出来て欲しいものです。

私も留学生の教育やオリエンテーションを経験した事がありますが只の観光であれば別ですが留学やそれに近い形で出かけるのであれば充分ではなくても説明が出来て欲しいと思います。

途中の飛行機の乗り換え時間を含めるとほぼ5時間近く隣に座りましたがしっかりしたお嬢さん達の勇気ある、逞しい姿に感心をさせられて一日でした。

私自身も彼女たちのほとばしる息吹に刺激を戴いて、
勉強にも身が引き締まり楽しい旅行の始まりになったのは申すまでもありません。

私が隣で申し訳ない気持ちがないでもありませんでしたけど。

  


Posted by mister_kei0918 at 07:44Comments(0)

2007年04月29日

怖からずに、恐れずに、勇気を持って

若いうちから自己投資を

「後悔は先に立たず」とは言い古された言葉ですが、これほど私の長い人生にあって痛切に感じるものはありません。

「私の人生」と断りましたが大方の方が感じられる事ではないでしょうか。
私は社員にも子供たちにも、出会う若い方々にも良く「機会損失、チャンスロス」という言葉を口にします。

実は私が若い頃、コンピュータメーカーに勤務しソフト開発をやっているとき、
「コンピューターの導入の時期を逸すると大変な事になりますよ」、
或いは「企業の存続の危機に立ち至ったり若しや命取りになる可能性もないではありません」とか「競争他社が先んじてしまえば、それこそ追いつく事は至難の業ではありませんよ」などと口にしていたものです。

正直なところで言えば、コンピューターのように技術的な進歩の激しいもの、
極めて複合的な技術が絡み合っているシステムで動くようなものは一番乗りの導入でも良くないんです。
メーカーにもある程度は技術を集積させ、ライバルの数社が導入し本稼動を確認するぐらいの余裕があったほうが良いようです。

私も色んな姿を見てきましたので。
その方がライバルを出し抜くシステムの確立が出来るようです。

私の人生で早くから自己への投資の大切さをこんこんと教えてくれる人がいればあと少しましな人生を迎えていたかもしれません。

決して今が辛いとか苦しいとかを言っているのではありませんよ。

今は今で充実した豊な人生を遅らせていただいていると思っていますし、
後悔をするものではありませんが人生一通りではないわけですから違った道を歩む人生も経験したかったと言えばご理解をいただけますでしょうか。

最近、私の行動パターンは出来るだけ若い方々にお会いする、
できるだけコンピューターやデジタルコンテンツの世界の方々との交流を図る、
業界と関係のない方々との付き合いを出来るだけ求める、
或いは自分から仕掛ける、
若しかすると私の知りえない社会の存在を見る努力をする・・・こんなところでしょうか。

つまり日常の仕事やお世話にかまけるあまり、自己投資を怠ってきたと思われるからです。

人に言わせるとその事が実は自己投資なんだという人もいますし、
時間が経過したから新たな要求が出てきたんだと言う方もおられます。

でも、私が今頃になって欲している自己投資の要求は今までに気がついていて、かつ時間が取れれば過去にも出来たはずなんです。

ただ私が気がつかなかった、必要性を感じなかったという事でしょう。
或いは無視してきたといっても過言ではないようにさえ思います。

十年早く、今の私の境地に私が気づき、行動を起こしていたなら、今以上に面白い人生、ワクワクする人生が存在していたかもしれません。

常にアンテナを張り巡らせ、自分の知らないところにこそ物事の真実や未踏の世界があることを若い方々に知っていただきたいと思います。

或いは日本を離れてもいいかもしれません、
情報が飛び交う世界ですから体は日本にあっても自己投資の世界を海外に求める事も出来る時代となりました。

少しは金銭的にも自分の懐具合だけで相談せずに、思い切った事も若い頃ならできるはずです。

私の最近の経験でも凄い世界があるものだと痛感したことがあります。
それも20年若かったら大変な事になっていたかもしれません。

皆さんも怖からずに、恐れずに、勇気を持って自己投資を、特に若い方には!!
  


Posted by mister_kei0918 at 11:29Comments(0)

2007年04月28日

美人の女性が実は粗雑で言葉使いは荒々しく

「象の心臓とのみの心臓」

人間は見かけによらないとはよく言われます。

私もそんな方を何人も存じ上げています。先日もこんな事がありました。

私の会社に黒人で背も高く、顔もごつくて如何にも強面(こわおもて)の様相をしている方が尋ねてこられました。
さぞかしそんな方かと思いつつ対面していると声は優しいし、
笑った表情は人の良さを表しているし、挨拶は丁寧だし、
言葉はたどたどしい日本語ですが人の良さを十分に感じさせる言葉使いです。

私は始めての訪問なので気を使ってそんな体面の仕方をする人かもしれないと判断をしてましたが実は訪問は初めてではなかったのです。
過去に対面した者に聞いてもやはり同様の印象を受け取っています。
見かけによらないんですね。

或いは優しそうに見える美人の女性が実は粗雑で言葉使いは荒々しく、見掛け倒しの事もよく経験する事です。

或いは大きな会議で堂々と素晴らしい挨拶をされる方が普段はのみの心臓の持ち主かと疑いたくなるような言動の持ち主であったりもするものです。

小柄で見掛けは大丈夫かと心配をさせる人が実は強心臓で、全てに物怖じしない態度や考えの持ち主だったりもします。象の心臓の持ち主だったんです。

或いは人って両方のものを実は持っているのではないかと思う事もあります。

ですから、色んな経験をする事によって自分の特性や特長、不得手な部分を見つける事が出来るように思われます。

若い頃は人前にも出たがらない、喋ってもしどろもどろで充分に言葉を探せない人が一念発起、経験を重ねてみたら逆に人前で話す事に快感を覚え、社会のリーダーになっている人もおられます。

眠っている能力は際限もありませんし表面では判らないものです。
「象の心臓とのみの心臓」とを持ち合わせている我々であればこそ、
希望も夢も実現できる可能性があります。

自分の何処が象の心臓で何処がのみの心臓なのかを早く知る事こそ、
人生を豊にする手立ての一つかもしれません。

恥ずかしいとか苦しいとか、そんな事までしなくてもと思われる事を一歩踏みこんでみると新しい自分の世界を見つけ広げる事が出来るようです。

得手不得手と言い換えてもいいかもしれません。

多くの人と出会い、多くの経験を重ね、人を知ると共に自分を知り我を磨く努力。
そんな事を考えてましたら今日の一日も楽しいものになりそうです。
  


Posted by mister_kei0918 at 07:11Comments(0)

2007年04月27日

子供にも経験させたくない

反対するにも時には深刻な意味がある

家庭でもいいんです、会社でも、或いは諸団体、趣味や娯楽の会、色んな集合体があります。

色んな決め事や纏めなければいけないとき、
或いは意見の集約をしなくてはいけない時に反対する自分がいます。

そんなときに余り大した理由のないままに反対する自分を見つけたら、
一度どうして反対をするのかを探ってみると納得できる理由があるものです。

極めて個人的な、しかも意識していない思惑や先入観、思い違いで反対しているときがあるものです。しかも最もらしい反対理由を自分で勝手に探していたりして。

昔こんな事がありました。

次男が小学5年生の頃だったでしょうか。
地域の方々が学校の体育館を利用して剣道を教えてくれるサークルがあって、結構しっかりした指導もなされ強い優秀な子供たちが育っておりました。

その次男が「お父さん、自分も剣道を習いたいんだけど」と言ってきたのです。

私は既に習っている子供たちの姿やお世話する方々の献身的な姿を普段から見てもいましたし、PTA会長もしてましたので個人的にも存じ上げている方々ばかりです。

剣道は今時分の子供たちにとってはメジャーなスポーツではありませんが、本来の私個人の考えとしては礼儀やしつけ、根性を養うには素晴らしいスポーツだと思っていた筈なんです。しかも日本古来の武士道の一端にでも触れる事ができる事は歓迎するというのが私に姿勢だった筈なんです。

所がそこで私が反対をするのです。
家内からも「子供がこんなに一生懸命にしたいと懇願しているのにどうして反対をするの」何度となく意見をされました。

ですが私は頑として許さないのです。

理由は色んな事を並べ立てたと思います。

心の中では「子供が望むならさせてもいいんではないのか?」などと自問は繰り返してはいるんです。
結局は子供と家内が折れてしまいました。

今思えば親のエゴでかわいそうな結末を与えたと悔やんでいます。
多分何時かは次男に謝ることになると思います。もう彼も子を持つ親になりました。

これが実は後になって分かったのですが、ちゃんとした理由があるんですね。

それも私が小学校5、6年生の頃でした。
その頃は剣道が盛んで近くの子供たちが大勢、練習をしていたものです。
実は私も加わりたいのですが指を咥えて眺めているばかりでした。
参加したくても胴衣は当然持ち合わせていませんが肝心の竹刀がないのです。

つまり買うお金がないほどの貧乏所帯でした。生活保護受給家庭、
しかも母は病気入院。小学校の私一人はご飯など作れるわけがありません。

食べるものも満足にない家庭でましてや竹刀など買うお金があるのが可笑しいくらいです。遠くに離れて住む祖父がその事に気づき、自分の家の奥に眠っていた竹刀を授けてくれました。

可笑しい話ですが数十年も眠っていた竹刀ですから虫に食われて無数の穴の開いた竹刀です、それで剣道なんかできるわけがありません。数回叩いているうちに只の竹の切り屑になってしまいました。

お判りのように私は無意識の内にこんな経験を引きずっていたのです。

「自分が経験できなかった事は出来れば子供にも経験させたくない。」

普通は逆だと思いませんか。
「経験できなかった事は子供にはせめて経験させたい」、それが普通だと思いますよね。

でも私自身の性格に起因したり、余りにも強烈な思いはむしろ本来あるべき道とは逆送をする事があるものです。

父親としてもっと冷静でしかも無意識にしろ苦い過去にとらわれない判断を出来なかったものかと悔やまれます。

皆さんも若し理由が明確でない、
或いは理不尽な理由を並べ立てて反対をするときには自分の胸に手を当てて静かに過去を振り返ってみると不思議な事に気づきます。

あってはいけないことですが。
  


Posted by mister_kei0918 at 20:30Comments(0)

2007年04月26日

与えられなかった事に恨みや辛みは言わない

父親がいれば、今と違った自分が。

もう孫のいる人間が今頃になっても「父親がいれば、どんなにか良かったのに」などと口走るのは何と往生際の悪い事だといわれそうですが、多分私は死ぬまでそんな思いを抱きながら過ごすのかも知れません。

自分の子供たちの成長を振り返るとき、
父親に手を引かれた子供を見るとき、
今の季節でしたら体よりも大きいランドセルを背負った子供たちを見るとき、
夕暮れの公園で父親とキャッチボールに興じる子供たち・・・・・。

親の存在やあり方はそれ程に大事なものだし、人の一生さえも変えてしまいますし、
死ぬまで影響を受け続けるものです。

私は父親のいない状況で生まれ育ち、結婚できなかった母親は挫折と悲嘆と周囲の非難、中傷に耐えかねて両親に生まれたての私を預けて当時の国境を密航で越える大変な苦難、経験を致しました。

初めて母親に会った7歳のときの状況は今でもくっきりと脳裏に焼きついています。

別にその母親の事を同情する事はあれ、とやかく言うことは一切ありませんが父親が目の前に存在しなかった事は今でも時々悔やみの思いに駆られる事はしばしばです。

特に男の私としては厳しい人生の岐路の度々立つ事がありました。

その時々に「こんなときの身の処し方はどうあればいいのか」と自問を繰り返したり、
経営をしながらも重大な局面では解決の糸口ぐらいは示唆をもらえたかもしれません、
子育ての途中でも「自分は父親としての子育てをしているのか」と思うことも良くあったものです。

若し私が父親としての本来の教育をしていなかったとしたら子供たちに大変な禍根を残すと考えた私はその頃から自分自身の親業、父親業の機会を増やしたのは申すまでもありません。

子育て真っ最中の同世代の父親たちに遅れを取る事も許されませんし、それは幼い子供たちの体や心からの滲み出る要求でもあるからです。

振り返ってみると、父親にしてくれたのは
当然、家内の協力もそうですが子供たちがその事を充分に理解してくれて父親業に励む私に様々な機会をプレゼントしてくれました。

父親と向かい合って始めて会ったのは高校3年生だったでしょうか。
なじる、口汚くののしる私の目の前で畳にひれ伏さんばかりに大粒の涙を流す父親の姿でした。

まさしく最後の最後は既に棺に横たわる父親の姿でした。

でも、父親と日常的に接する事も極めて重要な事ですが、
それが許されない環境であったればこそ今の自分が存在する事も又事実。
父親のDNAは確実に私の体や心に埋め込まれている事も事実でしょう。

不足な処や部分は自分で補う、
与えられなかった事に恨みや辛みは言わない。

そんな思いに至ったのも多分、恵まれない環境が私をそのように導いてくれたのでしょう。
過酷な環境や状況は望んで作られたものではありませんがそれを克服しようとする新しいエネルギーを生み出してくれます。

それを逆手にとって、新しい自分なりの人生構築を果敢に取り組んでみるのも面白いものです。

そんなことでも思いつつ、自分を慰めてみたり諦めの心を奮い立たせてみたり。

人の人生って所詮そんなものかもしれません。
  


Posted by mister_kei0918 at 10:55Comments(0)

2007年04月25日

繰り返す事にむしろ快感を感じる?

悪い想像は際限がなくて、しかもその通りになる?

私などはいつもマイナス思考の人間ですから悪い想像を働かせ始めると何処までも、
行き着く所を知らず広がっていきます。
失敗を恐れる余り、その余波を想像する事には逞しくて。

あ~でもない、こ~でもない、あっちをこうしたらこうなるから難しい、
こっちをそうしたらそうなるから無理、どっちも駄目そうだから辞めておく。

本来は結果なんて大よその想像は出来ても、そのようになるかなんて事は誰にもわからないし、むしろ心配や危惧は取り越し苦労であったことが多いものです。

リスクを予想する事は大事ですが、
その事に固執する余り決断の時期を逸してみたり結局は決断をさえも逃してみたりするものです。

人間は悪い想像は元来、逞しいものです。

私の周りを見渡してみても、幸せに近い人に限って比較的に決断が早く、
情報に対する行動が機敏で積極的。かといってリスクや失敗を想像しないではありませんが彼らはリスクや失敗の想像を跳ね飛ばす勇気や回避の方法を導き出しているようです。

逆に一度決めた自分の決断は尊重するし、辞めた決断をいつまでも引きずらない。

悪い想像は、不思議なものでまた新たな悪い想像を引き連れてくるものです。
連鎖的に襲ってくる悪い想像は、もうこれ以上いくら考えてもいい方向への想像は決してしないであろうと思われるところまできてもこれでもか、これでもかと増殖を繰る返すものです。

しかも、膨らんだ悪い想像は殆ど、当たるといっても過言ではないようです。

また、悪い想像ばかりを繰り返していると不思議なもので悪い想像の専門家と化し、全てに対し悪い想像に終始してしまうものです。

物事を成就させたいと願うなら、60~70%の状況に至ったら決断をしなさいとよく言われます。

過ぎた悪い想像の中で実行された事柄は、
見事に悪い想像の道筋を辿りながら進んでいくものです。

「やっぱり想像した通りだった、それ見ろ心配した通りではないか、言わない事じゃない、辞めとけば良かった」、このようになるに違いありません。もう気持ちは既に萎えています、上手く進む筈がありません。結果も中途半端なものに終始してしまいます。

ある程度考えて、やるのであれば早めに進む方向への結論を出す。

そうでなければきっぱり早めに諦める。出した結論や判断は尊重してあげる。
くよくよしない、出した結論にいつまでもの固執はやめ、
次に気持ちを切り替える。

悪い塑像は過ぎると癖にもなり、それが個性化し、虜になるものです。

悪い想像を繰り返す事にむしろ快感をも感じたりするものです。それこそ悪循環というところでしょうか。悪い想像をする専門家なんて要りませんよね。

失敗を恐れない行動こそ、明るい未来を築く近道でしょう、
人を大切に、環境に優しく、社会に意義深い行動であれば尚更のこと。
  


Posted by mister_kei0918 at 08:08Comments(0)

2007年04月24日

その分感動や感激はより素晴らしいもの

人生で最も決断が鈍ったとき

数日前に私の決断の話を書きましたが、「じゃああなたが最も鈍ったときはいつでしたか?」、「決断の為に最も時間が必要だったのはいつだったの?」と問いかけてみました。

人生の転機はいくつか訪れました。

―――最終学校を卒業し就職したとき―――。
さあ、これから船出と思いました。幾多の苦しみから解放されるのではとの期待感もあったのですが。悩みや葛藤との決別は出来ませんでした。

―――結婚したとき―――。
家内と結婚できたというこの上ない喜びと責任の重大さ、幸せに出来るのかとの不安、相応しい人間としての成長をしなくてはという焦り、夢物語りのような、ままごとの様な思いが交錯する日々でした。私の世界に彼女を引き入れる事に多くの躊躇がありました。でもこの全ては私の勝手な推測や悩みであった事が徐々に証明されるのですが。

―――子供の誕生―――。
この子らの一生が肩にひしひしと感じる日々、父性に少し近づいた感覚、自分よりも優先しなくてはいけない存在の登場を体で感じる、男としての自信が出てくる。

―――一軒の家を造ったとき―――。
一家の大黒柱としての自信、家長としての責任、夫としての自己の確立、25歳の若さで一軒家を作った誇りと優越感や達成感、一歩夢を実現した喜び。

―――大企業を飛び出し起業をする―――。
井の中の蛙が大海に飛び出た思い、不安な日々でありながら希望に燃える、自分の体が自分のものでない思い、歯を食いしばる日々、世間や社会の広さを実感、能力のなさや自分の非力さ、人のつながりの大切さ、家族の絆を改めて実感、人生七転び八起き、山あり谷ありを知る、努力は報われる事を知る、幸せの有り難さを噛み締める。

―――子供たちの結婚、孫の誕生―――。
人生の役割や終焉を考える、私のあり方が彼らにどれだけ多くの影響を与えるかを実感、彼らの生涯が幸せな日々である為には私がまだまだ健康で心身共に充実していなければいけないと決意、終焉を迎えた後、彼らがより以上に幸せな日々を送るためにその素地は私が作ると腹を決める、私がそうであったように孫たちに思い出深い祖父であらねばと精進を誓う日々。


この様に並べ立ててみるとどれも私にとっては手ごわいものであり、強烈な時代でした。

取り立ててどれが一番決断に時間を要し、最も困難な決断だったかと問われれば「結婚」だと応えるでしょう。

それは決して結婚を否定的に考えていたのではなく、自分にとって一生で最大の出来事であることも充分認識をしていたし、自分が結婚をするに相応しい人間であるのか、成熟しているのか、彼女には私でなくてももっと幸せに出来る人間が居るのではないか、様々な思いの交錯する中で時間ばかりが経過するのが、心を更に乱し坩堝に落ち込む自分をどうしようもなかったのを思い出します。

その後の展開が予想出来ていれば、そんなに悩む事もなかったでしょうに。

結婚によって私の人生の展開をあらぬ方向へ舵を切ることになることは全く予想だにで来ませんでした。
むしろこの結婚が私の新しい人生の幕を開き始めたといっても過言ではありません。

生みの苦しみといいます。
未知の世界に飛び込む勇気、
結果のつかめない、
予想のつかない世界への船出は悩むものです。

でも悩みが深いからといって挫折してはいけません。
その分感動や感激はより素晴らしいものですし、
それはあなたの人生や人格、個性までをも幸せを呼び込むものに
変えてしまうかもしれないのです。

決断に苦しむときほど、それを尊重してあげなくてはいけないと思うのですが如何でしょうか。

或いはオーバーな言い方をすれば決断に苦しむ自分を
端からさりげなく見ている自分の存在があってもいいように思います。

それも様々な経験を積まないとできる事ではありませんが。
  


Posted by mister_kei0918 at 07:48Comments(0)

2007年04月23日

四六時中そばにいてくれる人

いつも誰かが暖かい眼差しで見てくれている

人を支えるのも、言葉は汚いかもしれませんが生かすも殺すも人間、
その殆どがそうかもしれませんが挫折に追いやるのも人間。

そんな人間社会で賢く、逞しく、お互いに幸せを共有しつつ生きていくのが技というものでしょうか。

自分の人生を振り返ってみて、
多分3分の1は半分は悩み苦しむ、葛藤に明け暮れる日々、
後の3分の1は考える暇や時間もなく粉骨砕身、仕事や社会活動に勤しむ、努力する日々、
残りの3分の1は心安らぎ、充実の、落ち着いた、豊な時間を満喫しつつ過ごす日々。

何処で線引きをするかは難しいものですし何を持ってどの3分の1に入れるのは難しいところですが大雑把な言い方をすればそんな所でしょうか。

でも、そんな中で決して私一人が苦難を切り抜けるための努力をしていたんではなくて支えてくれる親や家族、友人知人、或いは人生経験豊な先輩たちが暖かく見守りかつ励ましてくれていたのは紛れもない事実です。

中でも皆さんには決して信じてもらえない事があります。

神、仏とか宗教とかそんな事を申し上げるつもりではなくて人間ってそんな側面も事実としてあるんだと感じてもらえれば充分なんです。

実は私をいつも暖かい眼差しで見てくれている人がいるんです。

現存しませんので人というには可笑しいかも知れませんが私にとっては常に側に居て頂いてますので人という言い回しについなってしまいます。
母方の祖父がそうなんです。もう何年前でしょうか、既に亡くなってますが。

巷で言う「守護霊」、余り好きな言葉では実はないんです。

そうなった理由は過去にも何回か登場されてますので改めての言及は避けますが
一言で言えば「私の人生の全てを見守っていただいている方」といえば良いでしょうか。

物事に成功すれば御礼を、
失敗しても次のチャンスを与えて頂いた事への感謝を、
判断や決断を迫られたとき見守っていただく事へのお願いを。

「いつも誰かが暖かい眼差しで見てくれている」、

それは家族であっても親であっても、私のように亡くなった親族、先輩であってもいいと思います。
常に思う事によって心に強い味方に成って頂けること間違いありません。

でも助けてくださいとか、どうにかなりませんか、
こうしてくださいなどということは決して申しません。
それがエチケットでしょうし、

ましてや他力本願では物事は成就しませんし、
そんな事では成功どころか失敗の公算が殆どでしょう。

たとえ成功しても感激も半減になってしまいますし努力のかけらのない成功なんて人生の糧にもならないでしょう。

「いつも誰かが暖かい眼差しで見てくれている」、
そんな思いがまた、今日の私に頑張る力と素晴らしい生き方を教えてくれます。
  


Posted by mister_kei0918 at 09:18Comments(0)

2007年04月22日

気持ちを暖めておきたいもの

あまりにも性急な恩返し

良く人への贈り物をしたり、戴き物をしたり致します。

以前にもこんな事を書いた記憶がありますが、
今日もビルの新築のお祝いを差し上げてましたら丁寧なお返しを戴きました。

実は余り大したお祝いを差し上げたわけでもありませんのでお返しを戴くと恐縮をするところなんです。
でも時期、時宜を得た素晴らしいタイミングだと感心を致しました。

ところで皆さんも同じような経験、思いをされていると思いますが如何でしょうか。

お祝いなどの贈り物を致しました。
ところが早速2,3日後には返礼が届いてしまいました。

告別式の会葬御礼だって49日を過ぎてからですよね。(これは宗教上、そうなっているんですが)

送ったほうは一日でも多く、自分の送った気持ちを暖めておきたいもの。
相手にもその思いを出来るだけ長く噛み締めて欲しいものです。
打算のように思えますが正直なところではないでしょうか。

でも返礼、お礼が余りにも遅くなってしまうとこれまた、失礼な事ですよね。

余りにも早く返礼、お礼が戻って来てしまうと相手方に早くこの事の決着を済ませてしまおうとする意図を何となく感じてしまうものです。

そんなこともありますよね。
すべき返礼をいつまでも放っておくと貰った本人は気になって仕方がない、
早く済ませたい、開放されたい、義理を欠いているようで気持ちが落ち着かない。

そんなことから急いで返礼をしてしまう。

案外このことで人の気持ちを逆に作用させてしまう事もあるようです。

「急いては事を仕損じる」

こんな言葉もあります。

「あまりにも性急に恩返しをしようとするのは、一種の忘恩行為だ。ラロシュフコー」
  


Posted by mister_kei0918 at 17:52Comments(0)

2007年04月21日

幸せは守るにも努力が必要

もう何回目の結婚記念日なのでしょうか

忘れるくらいに時間が経過いたしました。

今更、結婚記念日などと照れくさいような、むしろ忘れ去ったほうが良さそうですが、
どっこいそんな単純な事では収まらないのが結婚記念日ですよね。

もう既に二人の子供は結婚も致しましたし、残る娘も適齢期になりました。
孫も小さいながら二人になりましたし、母も今のところは元気で頑張ってくれてますし。

4月18日、いつも近づくと家内が言います「この日は何の日だっけ?」、
「言わなくてもちゃんと分かっているよ」。
こんな会話が何度となく繰り返されてきたものです。

ちゃんと分かっているなんて実はいつもではないんです。
その間ほぼ半分以上はすっかり忘れていたというのが正直なところでしょう。

冒頭の言葉ではありませんが決して忘れ去っていいなどとは微塵も思ってはいないんですよ。

忘れなくても、忘れたくても脳裏には焼きついているんですから。

夫婦は空気のようだとか、水のようだとか比喩されますが、
決して否定は致しませんがお互いの人間性を高めたり、支えあったり、
励ましたり、戒めあったり、或いは様々な事の発露の相手であったり、
当然男と女でもあるわけですが。

18日の日に家内が21と22日、二人で何処か行きますか?と軽く問いかけてきました。

結婚記念日とは一口も言いません。
私もわざと「そうだね、結婚記念日だし」と口まで出掛かりましたが彼女が口にしませんので言葉を飲み込むことに致しました。

だって、いつも彼女のほうから「今日は何の日ですか?」と聞いてくるのがいつもの事ですから。

多分、今日の夜でも「どうして旅行を切り出したか分かってますか?」と言ってくるに違いありませんから。

今から出発し、久住山を軽く登山して
久住高原の「レジネイトクラブくじゅう」(大分県竹田市久住町)に宿泊を決めました。

もう既に満室状態でしたが偶然にもキャンセルが出た直後だったようです、
有難い事でした。家内の願いの一途さがそうさせたのでしょう。

もう此処まで来ると、
お互いの存在に感謝しつつ充実した残りの人生にせねばいけません。

その根幹や基本の所は私がしっかりする事でしょう。
家内や家族に不安を与えてもいけませんし、尊敬も出来る、
信頼を揺るがせない私でなければと思っています。

当然、一層の精進も努力も必要、
しかも前向きで笑顔を忘れない自分でなければいけませんよね。

幸せは守るにも努力が必要ですものね。

幸せは作るものですから、維持するのもですから。
  


Posted by mister_kei0918 at 08:13Comments(0)

2007年04月21日

心の焦りや曇りは何処かに現れる

笑顔の余韻の美しさ

いつも見慣れている笑顔に変化が見られる事はありませんか。

と言っても中々ご理解いただけないと思いますが、例えば私に置き換えてみましょうかね。

私の心の焦りや曇りがあったとします。
話をしていていつもと違う笑顔の表情であることに気づきます。
笑顔そのものは変りはないものと思いますが、笑顔の終わりかけの余韻、
笑顔から普通の表情に戻るときまでの間の事です。

気持ちが落ちつかない、多忙を極めている、或いは緊迫した状況の中で人と話さねばならない時などに私自身が自分の笑顔の変化、表情のあり方に危惧や懸念を感じるときがあります。

私の身近にこんな方がおられました。

最近はその方にお会いする事が殆どありませんので、
というか会社が倒産し離婚もされて挙句の果て引越しをされましたのでお会いする事がないのでお話してもいいでしょう。

その方が笑顔の後、普通の顔に戻られる表情がいつも気になっていました。
笑顔は素晴らしいんですよ。
それは私一人が感じていたわけではなく家内も同じ事を言うようになってきたのです。

家庭では奥様にもとても厳しく、しかも嫉妬深く、
商売をしてますから当然お客様が来られます。
当然男のお客様との長話は絶対に禁物、電話もそうです。
出張先からもチェックが入る始末。

お二人の子供さんがおられましたがとても口やかましい子育てでしたので
長男はチック症状が出ていました。
高校を出てから東京へ就職しましたがついに家庭へ帰省する姿は
一度たりとも見たことはありませんでした。

屈託のない笑顔と昔から申します。

人間、様々な経験を重ねたり遭遇したりは当然な事ですが
せめて笑顔だけは失ってはいけませんし、
今日の笑顔はどうもおかしかったねなんて言われる事の無いようにありたいものです。

相手に幸せをもたらすのも笑顔、自分へ幸せを呼び込むのも笑顔。

笑顔の後の余韻にこそ美しさを感じたり、
逢瀬や別れの心地よい余韻に酔いしれたいものです。
笑顔の残り香といっても宜しいのではないでしょうか。

「あなたの笑顔に出会う事がどんなにか私の心の平安を呼び覚ます事につながるよ」なんて言われて見たいものです。

もうそこから私の幸せが動き始めました。
  


Posted by mister_kei0918 at 00:43Comments(0)

2007年04月20日

「働かざるもの食うべからず」を公言

鉄面皮について

昔、と言うと叱られますね、
最近のイギリスの首相、サッチャーさんは「鉄の意思持つ女」として名を馳せました。

確かに沈滞化、低落傾向にあったイギリスの政治や経済、
或いは国の威信もと言ったほうが正しいでしょう、
それらの全てに鉄に意思を持って取り組まれ、
見事に今のイギリス社会へ戻る基盤を作られました。

「イギリス病」と揶揄、誹謗されその凋落振りは産業革命以降の世界を
引っ張る姿を知っている私どもにとっては不可思議な思いさえも持ったものです。

労働党政権から久しぶりに政権奪取した保守党、
しかもイギリス憲政史上初の女性宰相として登場してきました。
そこにはイギリス社会の疲弊仕切った状況を打破したいと願う国民の思いが交錯した結果でしょう。

「働かざるもの食うべからず」を公言してはばからず、強硬な政治姿勢で世界の注目を浴びたものです。

話は違いますが「鉄の顔を持つ男」などという映画もありましたね。
見てませんのでタイトルだけですみません。

話が本題とずれてしまいましたが面の皮が鉄で出来ているんではないかと思わせるほど厚かましい人のことを「鉄面皮」と言いますよね。

ずうずうしい、厚顔無恥そんなことも通じる言葉でしょうか。

私などは赤面症ですから人前に立つ事でさえ憚るタイプですが。

おられますよね、神経が図太いと言うのか、迷惑も顧みないというのか、
人への配慮がないというのか、むしろ人の神経さえも逆なでする人。

冷たいのか、人のことを意識する思いを持ち合わせていないのか。
感情がないのか、体を血が通っているのかさえも疑いたくなるような。

周りにいませんか?そんな人。

冒頭のサッチャーさんは「鉄の意思持つ女」であって、決して「鉄面皮」と言う事ではありませんので誤解をされないように。
  


Posted by mister_kei0918 at 09:49Comments(0)

2007年04月19日

相手を本当に幸せに出来るんだろうか

あなたは焦る人?或いはゆとり人?

先日、私の決断のあり方について書きましたが、
「決断は早い方がいい、躊躇するなら止めた方がいい、
止めたらいつまでも引きずらない、次の事に集中した方が得策」
というような事を書いたつもりでしたが私自身もいつも迷いを払拭するのは
難しいですし、特に企業の存亡や金銭、人間関係に及ぶとますます熟慮してしまいます。

こんな言葉を頂きました。

「決断するのに時間がかかる人は決断してから焦り、
決断が早い人は行動の時間に余裕を持つことができます。
時間の使い方が上手な人ほど物事を決める時には、「すばやく」決断し、行動には、「ゆとり」を持つことができるのです。人生もゆとりを持って生きていきたいものです。」

結局、しないといけないことであればさっさと決断をしなさい、
資源(経営資源を含めて)や時間は限られているし焦る事になってしまうよとの忠告ですよね。

でも、どうせしなくてはいけない決断はそんなに苦しむものではありません。
企業の存亡に関わる事だとか、
家庭の長い将来に関わる事、人生を左右するような事、
他人に危害や迷惑が及びそうな事、
結果によっては重大な事態の引き金にもなるような事・・・
そんなときにはそれなりの時間と熟慮が必要なものです。

後は決めたら、覚悟が必要ですよね。

この事をやり遂げる、成功してみせる、周りを幸せにしてあげる。

結婚の時だってそうです。
婚約に結びつけるまではそれなりの真剣な思いが却って決断を鈍らせたり、
苦しんだり、一気呵成にというわけにはいきませんよね、

一般的には。相手を本当に幸せに出来るんだろうか?、
或いは彼女には私以上に相応しい、
より幸せにしてくれる男性が見つかるのではないだろうか、
お互いの家庭の事、自分の将来の事、金銭の事・・・

思い悩むことは多いものです。
でも決断したら半歩後ろは振り返っても一歩はもう下がらない。

彼女に毅然として勇気と自信を持って望む事ではないでしょうか、
いつまでも煮え切らない男性では彼女が可愛そうです。

煮え切らない、ぬるま湯的な人生なんてつまらないし
暗く、じめじめした一生なんて送りたくはないものです。

私の人生がそんなものでしたから。

所謂、決断を鈍らせる材料には事欠かないっていうことでしょうか。

大いに悩む事も必要です、
それは生きるエネルギーとなりますし学ぶ事も多いものです。
しかも自分自身を知る一番のチャンスですし。

一度、決断をしたら不退転の決意、そんなところでしょうか。


「そのことはできる、それをやる、と決断せよ。
それからその方法を見つけるのだ。リンカーン」
  


Posted by mister_kei0918 at 07:44Comments(0)

2007年04月18日

オーラでさえも、引き寄せてしまう

人間の脳には主語がない話

人の言葉や表現力は無限なものです。
「人間の脳には主語がない」、こんな言葉を頂きましたので皆さんにも差し上げたいと思います。

最初聞いたときには何事かと思いましたがなるほど、納得。

こんな思いを早くから、小さい頃から教えていただいていたら
もっとマシな大人になっていたような気がします。

人間の脳の特長は創造する事だと言います。
そして想像と事実の区別がつかない、
従って良い想像をすることによって自分の脳を騙すことができると言うんです。

自分に対しては
「私は若い、私はまだ30歳である、いつも元気で溌剌、私は頭がいい・・・・・」

自分の事だけでなく他人にも
「あなたは綺麗ね、あなたは素晴らしい、あなたを尊敬するよ、あなたはいつも元気だね、あなたは美しいよ、あなたは幸せそうね・・・・・」

脳は主語がありませんので私の脳は、
「綺麗ね、素晴らしい、尊敬するよ、元気だね、美しいよ、幸せそうね・・・・・」と
全て自分の事と勘違いをするというのです。

そして思考は現実化するので「思い切る、思い込む」事が大事。
人にいい事を言い続ける、口癖になってしまう事が重要。


こんな話は充分に頷けますよね。

でも、歯の浮くような言葉は聞いていても寒気がしますし、嫌なものです。

そんな方の脳だっていくら主語がないとは言っても却ってマイナス効果であることは当然ですよね。

そんな事が許されるのであれば口八丁、嘘八百の人ばかりが幸せになってしまいますから。

水がそうであるように、
相手を褒め称える美しい言葉、相手をも幸せにする言葉も謙遜しへりくだる自分に、つまり低い方へ流れてくるもののようです。

そして、あなたの言葉によって幸せを戴いた相手の醸し出すオーラでさえも、自分へ引き寄せる事にもなってしまいます。

言の葉、たかが言の葉。

口に刃が刺さる象形の言は刃(やいば)にも、幸運を相手にも自分にも運んでくる冠にもなるようです。
  


Posted by mister_kei0918 at 07:33Comments(0)

2007年04月17日

恨み辛みに終始する?

あなたが決断を求められる時は?

他の方に示唆を与えるほどの力は持ち合わせてはいませんがある方のお尋ねにお答えした事です。

私自身は決断は早めにするように心がけています。

時間をかければかけるほど余分な雑念や横槍が入りやすく、ますます鈍ってきますし、
やる気も当初のそれとは薄まってきますよね。

その代わり決断するための材料は徹底して集めます、自分を納得させ、短い時間で決断させるために。

逆にいつまでも決めきれない、或いは社員特に幹部社員が反対するとき、
また私が説得しきれないときは決断は捨ててしまいます。
会社の根幹に係わるときやや長い将来に関することは。
中には当面の事で勇断をしなければいけない事もありますが。
家庭でも同じです。

例え、決断が出来なかったとしてもいつまでもその事を引きずりはいたしません。
たとえ、決断を実行したほうが良かったとの状況が生まれても。

踏ん切りや開き直りが必要だと思うからです。

できなかった事をいつまでも悔いる事は結局は決断をさせなかった事象や
人、事情をいつまでも恨む、辛む事につながりますから
出した結論はむしろ尊重する事が必要でしょうし、
新たな展開に希望をつなぐ事のほうが意義深いと思っています。

後悔からは何も生まれませんし、
反対者への恨み辛みに終始してしまいます。
たとえ、それが自分自身のの結論であっても。

実は諦めざるを得ない状況に陥っても禍根を残さないように
自分の心の納め方に関する私自身の方法を持っていますが。

そんなときは結果としてその方が最善最良の結論であったとする事にしています。

難しい事に直面する事の多い人生ですが、
私の決断が家族や多くの社員、関係する人々に
悪い影響が及ぶ事が一番危惧することであり、
私に及ぶ結果はそんなには考えません。

それと決断しないといけない事が生じたときはついつい口をついて出ますが
私は自分の心が決まるまでは余り口に出したりは致しません。

口に出すときは殆ど私の気持ちの固まったときであり、
情報や判断材料は既に揃った時に初めて口にします。

社長の言葉は軽くはありませんし、
決断を要する事は一旦口を離れたら大きな責任や憶測を呼ぶからです。

軽口を叩く事は社長自身の能力や品格を落とす、欠くことにもつながりますし
不安を増長させる事にもつながるからです。

社員は出来れば現状のままで安泰な状況が続く事を望みます。
将来に希望が持てることであることを実証できる材料を
提供してあげる必要があると思っているからです。

決断したら早く説明と実行を。

それには経営者として会社と社員、お客様を守る決意を。
実行するなら、極力後悔しない。

たとえ、決断が鈍ったら、鈍る状況が派生したらやめる決断を早く。
辞めた決断をいつまでも引きずらない。

そんなところでしょうか。
  


Posted by mister_kei0918 at 12:00Comments(0)

2007年04月16日

微笑ましい話の一つとして

満88歳の母が拉致された話

拉致と言うと北朝鮮をすぐ思い出してしまいます。
でもひどい話ですよね、戦時下にあるわけでもなく、当然戦争状態でもありません。

向こうはどうも国威発揚の為か戦争への危機感か、
本当にそんな事を思っているのか分かりませんが、
他国の一般国民、善良な市民を暴力的にしかも国外へ拉致していく。しかも密入国して。

平和に暮らしている人間にしてみたら、
想像の域を超えてしまう様なとんでもない事件です。

拉致問題は韓国を筆頭に世界各地の人が拉致されているわけですから
国連あたりが厳しく糾弾すべきだし、解決に向けて尽力すべきだと思うのですが。

今日はそんな大変な人権を無視したような話でもありませんし、
その事が悪いと非難しているわけでもありませんので
誤解のないようにお読み戴けると嬉しいです。

つまり微笑ましい話の一つとして。

この前の統一地方選挙のことです。

母が言うには近くの方が選挙の集まり、つまり応援の為の集まりに
連れて行くと言う事でした。
私は母の選挙に対する考えがあればそれはそれで拘束をするつもりもありませんし
自由に振舞って欲しいところです。

私に「誰が良いかね」なんて聞いてくる時や決め兼ねているような時は
こちらからこの人がいいのではと言う事はあります。

先日、投票の前日になって明日の投票の予定について話をしようとしたら、
もう行ってきたというんです。
つまり先日の近くの方の話は期日前投票に私の母を連れて行ったという事だったんです。

結局はその方々の信奉する人への投票をさせるために
私の母をわざわざ投票所まで連れて行って票を入れさせたと言う訳だったんです。

その事をとやかく言及する事はありませんが、
これも一つの拉致かな?なんて冗談が頭をよぎったりしたものです。

母がいつもお世話になっている方でしょうから、母も恩返しのつもりで出かけてのでしょう。
本人が承諾をしての事と判断すれば拉致とは言わないのかもしれませんね。

また、そんな選挙もありなんだなって感心をさせられました。

今回の選挙は前回にも増して異常に期日前投票が多かったと統計が出てましたが、
或いはこんな方法での票の獲得が横行したのでしょうか。

余り、追求するのはやめにして、このくらいで。追求ではなくて詮索かな?
  


Posted by mister_kei0918 at 13:02Comments(0)

2007年04月15日

共通の土俵にお互いが乗り合う

聞き上手って何?あなたは?

昨日のブログで財産を得る最良、最速、確実な方法は

『「人の話を上手に聞いてあげられる人、人の話を上手に導き出してくれる人、人の話が上手に咀嚼できる人。

出来ればそこに笑顔が加われば最高のプレゼントではないでしょうか。

後一つプラスするとすれば、何かお役に立てる、アドバイスが出来れば相手に小さくても幸せの種を蒔いてあげる事が出来ます。」』

ということを書いてましたら、こんな疑問が浮かんできました。

では聞き上手な方にあなたが出会った時は、どうするの?そんな事を考えてみました。
今度は聞かれる、自分が話す立場です。

話している相手は話す事による満足感、充足感や達成感、
伝達できた喜びや優越感ってありますよね、
頭の中の思いを言葉として繰り返すことによる開放感みたいなものや、
言葉にすることによる自分の思いへの念押しであったり、再確認であったり。

聞き手の私は相手の言葉や心を受容した喜び、知識知恵や情報頂いた感謝、
聞いてあげる立場の優越感、相手の言葉や思いを共有し
同じ立場や境遇への一体感や連帯感、
或いは聞かせていただいている劣等意識的なところや遜った気持ちなんかも
交錯しているのかもしれません。

私が話しているときに
相手は聞き上手になってくれている?のだろうかと考えたり、

或いは相手が聞き上手でない、全くそんな意識のない人もいますよね。

もし聞き上手の相手でしたら、私が優越感に浸ってみたり、
自分の言葉に自分自身が酔ってみたり、相手に劣等的な意識を待たせたり、
遜るような気持ちにさせない事が大事なように思います。

相手を自分の話の土俵に引きずりこむのではなく
共通の土俵にお互いが乗り合えるような状況を作る事に
腐心や工夫をする必要があるように思います。

自分が相手にどれだけのものを与えて上げられるのか?
そんな事も当然必要でしょう。

それには私自身がもっと、勉強や精進、或いは洗練されていく努力を
するということなんでしょうね

聞き上手であると言うことは

逆に経験や真実に基づいた話上手である事、
ただ、上滑りな事ではなくて心に響くような会話が出来る自分の存在が
ないといけないのでしょうね。

考えるほどに難しくなってきました、ごめんなさい。

セールスや講演会、会議などで主導権を握りたい、
或いは出来るだけ風向きを自分の方向へ向けたい、
自分の主張や商品にスポットを当てたい時などは敢えて、逆な事を試みる事もあります。

そんな時は言葉や雰囲気だけの問題だけではなく、
座る位置関係、光の関係・・・そんな事を配慮する事もありますよね。
  


Posted by mister_kei0918 at 10:57Comments(0)

2007年04月13日

幸せの風を爽やかに行き渡らせる力

「いい年を取ったね」

私は年長者の方にお会いする機会が多い人間ですが、
そんな方々の中に「こんな風に年が取れたらいいな」と感じる人々がおられます。

私自身も結婚が早かったとはいえ、幼い孫が二人もいる年齢にもなって来ております。

当然、家内にとってもいい主人のままで終わりたい、
子供にとっては掛け替えのない父親であったと評価して欲しい、
孫にとっては彼らの人生の目標にされるような、
それでいて精神的な支えになれるような祖父でありたいものです。

そんな方々をおこがましくも観察をしていると、
やはり精神的な落ち着き、風貌が爽やか、身奇麗な出で立ち、
金銭的なゆとり、姿勢や目の動き、笑顔、周りに対する細かい配慮、
人を見下さない態度や人を信じる心・・・

そんなところでしょうか。

その裏打ちとして、やはり大変なご苦労を乗り越えてきた人に
そんな方が多いようにも思われます。

幾多の困難を逃げずに真っ向から勝負を挑み乗り越えてこられた暁の姿、
多分、人を信頼しどんなものにも愛情をもって接する事を忘れない日頃の態度、
葛藤をもエネルギーを高めるものと信じ果敢に挑戦をされ、
恐れも忘れ克服された方々。

そんな思いが走ります。

いい年を取る、迎えるために。

その事は私の家族や会社、社会の為である事を信じ、
私自身が人生の終末を迎えるときにみんなから
「いい年の取り方をした人だったね」なんて呟いて頂ける人間でありたいものです。

私のそんな精進が、
引いては関わる全ての方々にも幾許かの「いい年の取り方」の示唆にでもなれば、
或いは幸せの風を爽やかに行き渡らせる力にでもなれば。

多分、私自身は生きている間中、戦いの日々でしょうから
自分の感覚として「いい年を取ったね」なんて感じる事は不可能かもしれませんが
客観的にそんな風に評価をされる一生にしたいものです。  


Posted by mister_kei0918 at 08:14Comments(0)

2007年04月12日

こんな事ってありますよね

結婚式でのこんなトラブル

福岡でも極めて著名な結婚式場での事でした。

考えてみたらそんな事もないではないかなと思わないでもありませんが、
当のご本人たちにとっては大変な出来事になってしまいますよね。

結婚式の受付にある方がお見えになりました。
でも探せど名前が見当たりません。

本人は出席のハガキを出したと言われるが、受付の席次表には名前がありません。

理由は幾らか思いつきますよね。
本人が返信出欠ハガキを出していない。
出したのが届いていない、行方不明。
あるいは案内状は貰っていないのに親しい間柄なので本人が勝手に来ている。
届いているが紛失か、行方が分からなくなっている。
席次表を作るときの原稿の渡しミス、若しくは作成ミス、校正ミス。

考えたらキリがありませんが、あり得る事ですよね。

表向きの話としてはハガキを頂いていないと言うことでしたが

新婦のお父さんが以前に本人から直接貰っていた事が判明。
預かったときに背広のポケットに入れたままになってしまっていたと言うのが
事の真相のようでした。

既にその方は立腹して帰ってしまいました。

式までの時間が迫る中、新婦の父親はさっきの方の自宅まで車を飛ばしましたが、
もう本人は式場に戻る気などありません。

その後は会議で一緒になっても声を交わすことも顔を合わせることもしなくなりました。
でもお互いに善意の思いを持ちながらの事ですので、
必ずや修復をして戴きたいものです。

雨降って地固まるって事もありますし、
場合によっては以前よりも関係が含まる事も充分予想されます。

そんなことを思うと、日常の人間関係のあり方って難しい、
永続的に関係を保っていく事の困難さを思いますが
常日頃からそんなこともあると言う事をある程度予想しておく事も大事なようです。

今回だと、若しそんな方がおられたら、席次表に載ってない、
席札や引出物がないかも知れないけど一人分くらいはやりくりはつくものです。

無理な状況なら身内の方の一人の中から一番理解のある人、
問題の少ない方に一時的に譲って戴いておくとか。

当然その無理を言った身内の方には充分なお返しは必要だし、
式の最中でも同じ食事は出せなくてもホテルに無理を言えば融通を
利かしてくれるものです。

先日、ホテルの婚礼関係の責任者をしている友人にこの付近を話したら、
いよいよの時は配慮は出来るとの事でした。
先日、ホテルの婚礼関係の責任者をしている友人にこの付近を話したら、いよいよの時は配慮は出来るとの事でした。

所謂、始めから相談しても駄目だと諦めないで相談をと言う事でしょうかね。  


Posted by mister_kei0918 at 17:32Comments(1)

2007年04月11日

私自身が丸裸の状態になりそう

ブログ1000日、A5本1500ページのCD化

今日がブログ開始から1000日になりました。
多分、A5版の本にして1500ページは超えていると思います。

振り返ってみると良くもこんなに書いたなという思いですがそんなに負担になっていたわけでもなく、ただ折角やり始めるなら後悔のない様にとは心がけていました。

最初の2,3日は日記風の書き込みで始まりましたが数日後から、
書くなら人生の記録にしてはどうかとの思いが募り、
できるなら読まれる方に何らかの示唆になったり、問題提起にでもなればと思うように変化をしました。

昨年の1月1日には365日分を纏めた一冊の本が出来上がりました。

A5版、350ページ、1000部の本でした。

友人知人に配布しましたら瞬く間になくなり、
色んな思いや評価を戴き有り難いものだと感じたものです。

最初のうちは私の暴露本的な所もありましたので恥ずかしい思いがありましたが
いざ配布を始めると意外と皆さんの評価も高まり、
私という一個の人間を通じてご自分を写してみると言う鏡的な経験も
多くの方々がされたようです。

周りからは1000日の記録も残すべきだとのご意見も戴き、
また一冊目の続版を作ってくれとの要望や期待を戴いてますので
どうするかを社員や家族とも相談をしているところです。

また、いつも見守って頂いているブログやSNS仲間からも
是非、形にしてくれと言われてますのでそのつもりで考えるつもりです。

今考えているのは、CDの形にしてコンテンツは
PDFのしおりをつけて読みやすくし、当然盤面の印刷も致します。
装丁はCDのトゥールケースに入れてジャケットをカラー印刷してはと思っています。

部数は1000~1500部くらいかなとは思ってます、前回の本が1000冊作って不足気味で渡したい方に行き届かない状況がありましたので。

いずれにしても私の財産になってしまいました。

机の上で筆を走らせていたのではこんな事は出来ませんが
やはりキーボードを叩きネット上にアップする事で気楽にしかも拝見する方の
反応を肌で感じながらの作業が続かせたようです。

それと青春時代からコンピューターメーカーにいましたので
年齢の割には全くアレルギーがなく、しかも日常がPCに囲まれての事でしたので
此処まで来れたのでしょう。

これで私自身が丸裸の状態になりそうですが、これも良いでしょう。
これからは2000日を目指す日々が始まります。  


Posted by mister_kei0918 at 08:20Comments(0)