2007年04月27日

子供にも経験させたくない

反対するにも時には深刻な意味がある

家庭でもいいんです、会社でも、或いは諸団体、趣味や娯楽の会、色んな集合体があります。

色んな決め事や纏めなければいけないとき、
或いは意見の集約をしなくてはいけない時に反対する自分がいます。

そんなときに余り大した理由のないままに反対する自分を見つけたら、
一度どうして反対をするのかを探ってみると納得できる理由があるものです。

極めて個人的な、しかも意識していない思惑や先入観、思い違いで反対しているときがあるものです。しかも最もらしい反対理由を自分で勝手に探していたりして。

昔こんな事がありました。

次男が小学5年生の頃だったでしょうか。
地域の方々が学校の体育館を利用して剣道を教えてくれるサークルがあって、結構しっかりした指導もなされ強い優秀な子供たちが育っておりました。

その次男が「お父さん、自分も剣道を習いたいんだけど」と言ってきたのです。

私は既に習っている子供たちの姿やお世話する方々の献身的な姿を普段から見てもいましたし、PTA会長もしてましたので個人的にも存じ上げている方々ばかりです。

剣道は今時分の子供たちにとってはメジャーなスポーツではありませんが、本来の私個人の考えとしては礼儀やしつけ、根性を養うには素晴らしいスポーツだと思っていた筈なんです。しかも日本古来の武士道の一端にでも触れる事ができる事は歓迎するというのが私に姿勢だった筈なんです。

所がそこで私が反対をするのです。
家内からも「子供がこんなに一生懸命にしたいと懇願しているのにどうして反対をするの」何度となく意見をされました。

ですが私は頑として許さないのです。

理由は色んな事を並べ立てたと思います。

心の中では「子供が望むならさせてもいいんではないのか?」などと自問は繰り返してはいるんです。
結局は子供と家内が折れてしまいました。

今思えば親のエゴでかわいそうな結末を与えたと悔やんでいます。
多分何時かは次男に謝ることになると思います。もう彼も子を持つ親になりました。

これが実は後になって分かったのですが、ちゃんとした理由があるんですね。

それも私が小学校5、6年生の頃でした。
その頃は剣道が盛んで近くの子供たちが大勢、練習をしていたものです。
実は私も加わりたいのですが指を咥えて眺めているばかりでした。
参加したくても胴衣は当然持ち合わせていませんが肝心の竹刀がないのです。

つまり買うお金がないほどの貧乏所帯でした。生活保護受給家庭、
しかも母は病気入院。小学校の私一人はご飯など作れるわけがありません。

食べるものも満足にない家庭でましてや竹刀など買うお金があるのが可笑しいくらいです。遠くに離れて住む祖父がその事に気づき、自分の家の奥に眠っていた竹刀を授けてくれました。

可笑しい話ですが数十年も眠っていた竹刀ですから虫に食われて無数の穴の開いた竹刀です、それで剣道なんかできるわけがありません。数回叩いているうちに只の竹の切り屑になってしまいました。

お判りのように私は無意識の内にこんな経験を引きずっていたのです。

「自分が経験できなかった事は出来れば子供にも経験させたくない。」

普通は逆だと思いませんか。
「経験できなかった事は子供にはせめて経験させたい」、それが普通だと思いますよね。

でも私自身の性格に起因したり、余りにも強烈な思いはむしろ本来あるべき道とは逆送をする事があるものです。

父親としてもっと冷静でしかも無意識にしろ苦い過去にとらわれない判断を出来なかったものかと悔やまれます。

皆さんも若し理由が明確でない、
或いは理不尽な理由を並べ立てて反対をするときには自分の胸に手を当てて静かに過去を振り返ってみると不思議な事に気づきます。

あってはいけないことですが。



Posted by mister_kei0918 at 20:30│Comments(0)
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