2007年04月28日

美人の女性が実は粗雑で言葉使いは荒々しく

「象の心臓とのみの心臓」

人間は見かけによらないとはよく言われます。

私もそんな方を何人も存じ上げています。先日もこんな事がありました。

私の会社に黒人で背も高く、顔もごつくて如何にも強面(こわおもて)の様相をしている方が尋ねてこられました。
さぞかしそんな方かと思いつつ対面していると声は優しいし、
笑った表情は人の良さを表しているし、挨拶は丁寧だし、
言葉はたどたどしい日本語ですが人の良さを十分に感じさせる言葉使いです。

私は始めての訪問なので気を使ってそんな体面の仕方をする人かもしれないと判断をしてましたが実は訪問は初めてではなかったのです。
過去に対面した者に聞いてもやはり同様の印象を受け取っています。
見かけによらないんですね。

或いは優しそうに見える美人の女性が実は粗雑で言葉使いは荒々しく、見掛け倒しの事もよく経験する事です。

或いは大きな会議で堂々と素晴らしい挨拶をされる方が普段はのみの心臓の持ち主かと疑いたくなるような言動の持ち主であったりもするものです。

小柄で見掛けは大丈夫かと心配をさせる人が実は強心臓で、全てに物怖じしない態度や考えの持ち主だったりもします。象の心臓の持ち主だったんです。

或いは人って両方のものを実は持っているのではないかと思う事もあります。

ですから、色んな経験をする事によって自分の特性や特長、不得手な部分を見つける事が出来るように思われます。

若い頃は人前にも出たがらない、喋ってもしどろもどろで充分に言葉を探せない人が一念発起、経験を重ねてみたら逆に人前で話す事に快感を覚え、社会のリーダーになっている人もおられます。

眠っている能力は際限もありませんし表面では判らないものです。
「象の心臓とのみの心臓」とを持ち合わせている我々であればこそ、
希望も夢も実現できる可能性があります。

自分の何処が象の心臓で何処がのみの心臓なのかを早く知る事こそ、
人生を豊にする手立ての一つかもしれません。

恥ずかしいとか苦しいとか、そんな事までしなくてもと思われる事を一歩踏みこんでみると新しい自分の世界を見つけ広げる事が出来るようです。

得手不得手と言い換えてもいいかもしれません。

多くの人と出会い、多くの経験を重ね、人を知ると共に自分を知り我を磨く努力。
そんな事を考えてましたら今日の一日も楽しいものになりそうです。



Posted by mister_kei0918 at 07:11│Comments(0)
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