2009年01月29日

足元くらいにでも到達できれば大成功かも

座右の言葉です。

高校時代に孔子の書物に出会い、もう今ではボロボロになってしまっています。

そんなに読みこなしたのではなく、もう数十年も持ち歩いているからです。

引越しも何度かしましたし、家の中でも、会社でもあっちに移動したり、こっちに動かしたりしてますから。

実は時間があればいつも読み返したい本です。
中身が多すぎてなかなか熟読は出来ませんが。

中でも一番好きな言葉です。
よく、一人で繰り返しています。

「子曰く、われ十有五にして学に志す。
三十にして立つ。
四十にして惑わず。
五十にして天命を知る。
六十にして耳順う(したがう)。
七十にして心の欲する所に従えども矩(のり)を踰(こ)えず。」

四十にして惑わず、五十にして天命を知る・・・までは良く語られるところです。

私が好きなのはその後の「六十にして耳順う(したがう)。
七十にして心の欲する所に従えども矩(のり)を踰(こ)えず。」の部分。

2600年前といわれますから、途轍もない昔のことですが、その頃60、70歳まで人は生きていたのでしょうか。

だからこそ、その言葉が生きてくるのでしょうね。

それだけ、人は「耳順う」、或いは「心の欲する所に従えども矩(のり)を踰(こ)えず」の状態になることの難しさを語っておられるのでしょうね。

望みなんです。

私が若し、今で言えば90、100歳になった頃にでもそんな人間になっていれば最高だなと。

でも無理な話でしょう。

そこまで寿命がもつかどうかさえ不透明ですし、私ごときの精進ではとてもとても不可能な話しです。

ま、足元くらいにでも到達できれば大成功かも。



Posted by mister_kei0918 at 18:03│Comments(0)
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