2009年02月21日

天才は実は凡才

天才は実は凡才

こんなことを言うと、世に言う天才の方々は
「失礼な!!俺はもともと非凡な秀でた才能を持っているんだ」とお叱りを請うような気もします。

が、私の周りのそれこそ著名な方々、秀でた方々はそれなりに地道な努力を重ねておられるようです。

天才は誰しも最初から天才であるはずはないんだと私は思うのです。

日本から一度に4人の方がノーベル賞を獲得されるという快挙がありました。
失礼ですがどう拝見しても、かけ離れた方々という思いはありません。

やはり、人並みはずれた研究の成果でしょうし、環境に恵まれ、良き師に巡り会い、人と人との深い関係の中で地道な積み上げをされた方々に思えます。

最近では韓国やアメリカでも天才と証せられる子供が出現してますが、やはり人並みはずれた努力をしているようです。

森鴎外さんが19歳で東大を卒業され、軍医として、作家として素晴しい業績を残しておられますが、家柄や津和野という土地柄に恵まれたこともありますが典型的な天才ではないでしょうか。

やはりその陰には弛まぬ努力が大いに潜んでいるようです。

天才とはあたかも天から与えられた如く、地道に弛まず努力をする能力を備わった方のように思えます。

それは私にも、全ての人にも与えられているのですがそれを開花させる引き金や周りの環境、良き師との運命的な出会い、たまたま複合的な条件が重なり合って天才という花を開花させているように思います。

若しかすると、皆さんのお子さんだって条件を満たすことが出来れば古来稀なる天才の誕生となるかもしれません。

或いはまた、知らず知らずのうちに条件が整って本人も知らないうちに天才化していることもあるやも知れないものです。

でも、折角生まれた天才でもそれが自慢の種であったり、うぬぼれが表面化したら、人間として尊敬できなければ、それこそ天才と呼ばないかもしれませんね。

それは悪才、悪知恵の塊、悪徳、悪漢、ひいては悪魔と呼ばれるかも。

天才とは天命に背かずに、人間としての最大限の努力を積み重ねた人。
そうあって欲しいものです。

考えてみると、身近にも天才は存在するものです。


『天才とは努力する凡才のことである。
アインシュタイン』



Posted by mister_kei0918 at 11:39│Comments(0)
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