2009年07月04日

格差や幸不幸、悲喜こもごも、艱難辛苦

不幸に生まれた子は幸せになる権利がある

幸福なのか、不幸なのかを判断する基準など有りはしません。

物が豊富にあれば、幸福に感じる人もいるでしょうし、
お金が沢山あっても不安な日々を送っている人も多いものです。

物質的には恵まれてはいなくても、十分に幸せだと感じている人もいます。

幸不幸は、主観的なものですから傍目から幸せそうだとか、苦労が多そうだとか、様々な憶測、詮索はしますが実のところはなかなかわからないものです。

いつもにこやかでさわやかに見えていたのに実は大変な苦労を背負っていたとか、私の知人はそんな素振りは微塵もなかったのですが自殺をしてしまいました。

当然、びっくり仰天です。

逆も多いものです。

幸不幸の度合いや深さも色々。
同じ程度の幸せでも、その人によって感じ方も違いますし表現の仕方も全く違うものです。

小さなことでも幸福感を体いっぱいに漲らせる人がいるかと思えば、羨むほどに恵まれていてもちっとも幸せそうではない人。

良く、人間には一生を通じてみると平等に幸不幸は訪れるものと聞きます。
本当はそうではないですよね。

如何ともし難いこの世の幸不幸の差の存在を却って否定するが如き言葉です。

不幸に生まれた子は幸せになる権利があるものです。
その言葉が本当だとしたら「不幸に生まれた子は幸せになる権利がある」と叫びたいのです。

人は廻り来る幸せが真実だとしたら、この世を誠実に、篤実に生きることを全ての人々が選択するのではないでしょうか。

言い方を変えれば、格差や幸不幸、悲喜こもごも、艱難辛苦・・・掴みどころの無い正体不明な人生だからこそ、

また、何処に幸不幸が転がっているかさえわからないからこそ生きようとするんだという見方も真実かもしれませんね。


『自発的な努力によらなければ、
善良にも偉大にも幸福にもなることはできない。ウィリアムロバートソン』

『自分自身を幸福だと思わない人は、決して幸福になれない。
サイラス(アケメネス朝ペルシャの王)』


『人生は学校である。
そこでは幸福より不幸の方が良い教師である。フリーチェ』



Posted by mister_kei0918 at 12:33│Comments(0)
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