2009年07月17日

最も偉大なことをも完成できるほど豊富に与えられている

話しすぎは禁物?

今日は話しすぎてしまいました。

何事もそうですが、過ぎては評価も半減です。
「過ぎたるは及ばざるが如し」
「時は金なり」

子どものしつけも行き過ぎや叱りすぎ、しつこいのは却って過干渉や親のヒステリックな行動やあてつけに思えて、決して教育的ではありません。

逆に、余りにも構わなさすぎ、ほっぽり放しや無視は子どもにとっては存在そのものを拒否されているようでますます嫌なものです。

大事にしすぎるのも、嫌らしいものです。言わば過保護。
至れる尽くせりは、我侭な子どもにしてしまいますし人の為に尽くすことを学ばないものです。

結局は自分を大事にしてくれない人を相手にしない、自己保身、利己的な人間を作り上げてしまいます。

つまりは過保護にする親さえも、自分の為に有益でないとなると無視する傾向だって出てくるものです。

私も3人の子供の親でしたし、PTAの会長、青少年相談員、法務省の保護司、地域の子供達のお世話等も経験しましたので、大変に苦労をしたものです。


話はかなり飛んでしまいましたが、
今日は業界の若い方々へセミナーの講師の依頼がされていましたので、1時間のつもりで話してきました。

所が時間は気にしながら話をしていたつもりですが、結局20分ほどの超過になってしまいました。

申し訳なく思っています。
時間は守らないといけませんよね。

どんなに立派な話だとしても。
(私の話はとても立派とは言えませんが。)

時々はこんな機会があってもいいものです。
緊張感もありますし、まず自分の頭の中の整理にも役立ち、何よりも人の前で話す訳ですからいい加減、嘘八百は許されないものです。

当然、そのために調べ物をしたり、少しは研究をしたりするものです。
そういうことを思うと機会を与えてもらえることが第一、ありがたいことですよね。

次回は時間厳守、気をつけます。


『予期しない事実に当面した時、これを処理できる能力を「沈着」という。
「沈着」の度合いは、心が平静に戻るまでの時間によってはかる。
クラウゼヴィッツ』


『われわれは短い時間をもっているのではなく、
実はその多くを浪費しているのである。
人生は十分に長く、その全体が有効に費やされるならば、
最も偉大なことをも完成できるほど豊富に与えられている。セネカ』



Posted by mister_kei0918 at 08:40│Comments(0)
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