2007年06月25日

自分のために開いているドアが別にある

気づきの時々

私などはいつもそうですが
後悔の連続です。

自分が他人より劣っていると気づくとき、
もう少し努力すれば良かったと気づくとき、
あの時、このようにしておけばもっと素晴らしい結果になっていただろうと気づいたとき、
逆にこんな事をしなければ良かったと気づいたとき、



いろんな場面で気づく事が多いものです。それが良しきにつけ悪しきにつけ後になって気づくものです。

それはそうですよね、
確実な予知能力があるとか、予感があれば別ですが一般的な人間には物事の結果がもたらす事の事前予想なんて、我侭な自分勝手でしかも都合のいい予想にしか過ぎませんよね。

家庭のことも会社の事も社会活動も全てそうです。

こんな事を考えますとその気づきの時こそ最善のチャンスではないでしょうか。

そのときにどのような対応に終始するのか、今後の其の時に備えて自分のあり方をどう変えていくのか。

幾度となく訪れる気づきのときに少しづつ少しづつ自分の変化を作り出していく事が今度の気づきは前の気づきと異なって新しい段階の気づきを創造してくれるように思います。

新しい気づきの創造は以前のものとは異なり、確かにレベルの違うものになっているはずです。

漫然とただ気づくのではなく、気づきにどのように対応してきたかが人間としての高まりをより実感できるような気が致します。


『閉まったドアを見ていると、自分のために開いているドアが別にあることに気づかない場合が多い。ヘレンケラー』


『小才は、縁に出合って縁に気づかず、中才は、縁に気づいて縁を生かさず、大才は、袖すり合った縁をも生かす。柳生家家訓』


『時のすぎるのが早いか遅いか、それに気づくこともないような時期に、人はとりわけ幸福なのです。ツルゲーネフ』


『人間は自分がすでに自分のうちにいだいている世界にしか気づかぬものである。サンテクジュべり』


『本人は気づかないが、いつも拡大鏡を持ち歩いて、人の欠点ばかりのぞき回っている者がいる。ジョンワナメーカー(米実業家)』



Posted by mister_kei0918 at 13:14│Comments(0)
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