2007年07月30日

お陰で人生を踏み外した人間がいたとしたら

人生を左右した先生っていました?

人生の岐路に立ったとき、それを左右する人が存在すると有り難いものです。
それは父親だったり、或いは先輩だったり、若しくは会社の社長だったりもするものです。

学生のときであれば師と仰ぐ先生でしょうか。

先生って言えば、今時はやれ先生の評価が落ちたとか、
先に生まれていれば先生なのかとか、
世間知らずの先生が多いとか、
飲むと行儀の悪い事の代表とされてみたり最近は厳しい目にさらされて大変です。

また、先生たちへの厳しい或いは理不尽な父兄の要望や無理強い、極端なときには脅迫めいた状況も出てきているようです。

オーバーに言えば神と崇めていた先生像が何処かへ飛んでしまい、普通人に成り下がったというのが現在の状況でしょうか。

子供たちと友達感覚で接するとした一部の先生方のあり方も問題だったのではないでしょうか。

先生はやはり先生であるべきで尊敬されるべきもの、指導を乞う有り難い存在であったはずなんです。

人間は平等ではありますが、夫々の立場や状況で尊敬されるべきものがあります。現在はそれを失ってしまいました。

人生で岐路に立つとき、
左右の道を選択するとき、
或いは子供が判断に迷っているとき、
またはこの子には進むべき道を示唆してあげて方がいいとき、
先生の存在がそこで問われるのではないでしょうか。

私も或るとき、15歳のときだったでしょうか。

大きな岐路に立たされました。でも本人はそこでの判断の大切さを認識してませんし周りにもその事を指摘してくれる存在はありませんでした。

そのときの先生の判断がその後の私の人生を大きく変えてくれました。

多分そのときの私の判断のままで進んでいたら今の人生は無かったかもしれませんし、或いはもっと苦しい大変な人生になっていたであろう事は容易に想像できます。

先生は先に生まれた人ではなく、
先に人生を果敢に勇敢に、
しかも正しく知識豊に過ごした人間なんです。

その事を先生方は認識をされて、教師という仕事の大切さや役割を改めて考えて欲しいものです。

あなたには人生を左右するほど素晴らしい先生の存在はありましたか。

逆に先生のお陰で人生を踏み外した人間がいたとしたらそれは本末転倒、
そんな先生は糾弾されるべきでしょう。

先生は神様ではありませんから全てを望むわけではありませんが。



Posted by mister_kei0918 at 13:14│Comments(0)
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