2008年01月14日

或いは死ぬまでそうかもしれませんね

成人の日々

昔の成人は15歳ですから今で言えば中学の3年生の頃でしょうか。

昔の元服と言ったらしいのですが、今と比較するのは相応しくないのかもしれませんね。

時代背景や生活様式も全く違いますし寿命が多分50歳にも満たない時代ですから人間としての成長も早かったのではないでしょうかね。
それも精神年齢は特にその様に感じます。

今年も成人は1月1日の計算で135万人。昨年からすると4万人も減少のようです。

もう、私の成人から何年経過したのでしょうか。子供が3人、孫2人。

人生の半分は過ぎてしまいましたが、何歳になっても人間としての到達間や達成感、上り詰めた思いなどはかけらも出てきません。

それは私だけではなく全ての方がそうなのではないでしょうか。
或いは死ぬまでそうかもしれませんね。

「もうここまででいいんだ」と納得する日々は多分生涯来ないでしょう。

生きる限り、成長を望み、生活の充実を求め、競争の日々で明日のあり方をいつも思い巡らす日々のような気がします。

或いは20歳になったから成人ではなくて人間らしい状態になることですから、一生人間としてのあるべき姿を追い求めて模索をし、精進を重ねるのかも知れません。

当然そういう意味では今日成人式を求めた方々も私にとっては人生の競争相手であり、切磋琢磨の仲間だといったほうが正しいかもしれません。

だって、年齢の差なんて所詮大した物ではなくて、今日成人を迎えた人が50歳の人間を越える事なんてよくあることですから。

毎日が成人の日々だとの思いこそが人間としての本来あるべき姿を追い求める人にとっては有効な手立てかもしれません。


『少年は親たちが思っているより三年早く大人になっている。
しかし、自らが考えているよりは二年ほど遅い。ルイスハーシー』



Posted by mister_kei0918 at 18:26│Comments(0)
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