2008年01月22日

極まったもの、より高まったものが

「智徳と元氣 如何」

1月17日に頂いたお題に対する私なりの見解です。

『人間を取り巻く環境の中には様々な知恵や知識を必要とする時が多いものです。

それは経験から頂くものもありますし、人間として本来備わっているもの、あるいは先人から頂く貴重なものもあるものです。

智恵は、人間として歩む中でのより深い知識知恵と解釈するのですがどうなんでしょうか。

人生、より充実した、より幸福感に満ち溢れた、人間としての高まりを導き出すのはそれなりの智恵の結晶のような気がしてなりません。

人間として、より正しく、より清らかに、周りをも取り込んで幸せへと導きだす知恵といえばいいのでしょうか。

それが極まったもの、より高まったものが智徳。

人間として歩む為のより深い知恵と心の有様(ありよう)でしょうか。

元氣は智徳に裏づけされた心や体の様(さま)といったら言いのでしょうか。

心身ともに人間として或いは人間の体として正しく生きようとする人間本来の姿や形。
字体から行くと健康な様、溌溂とした様を連想しますが。

「昔から健康な体には健康な精神(心)が宿る」と言われました。

表面的な捉え方をすれば異論が残りますが、夫々の人間にとって健康のあり方も違うものでしょう。

また、夫々の生き方や心のあり方も異なるところがあって当たり前と思われます。

そうでないと人生なんて金太郎飴のようで、上り下りや曲がりのない道路に似てて変化を失った空しい、退屈なものになってしまいます。

より高邁な智徳を求め、より元氣な自分であるために努力する事の大切さや意義を理解し、精進する事の楽しみを覚えたいものです。

自分の生き方や自分のあり方に呼応するような智徳と元氣。

それを求めて弛まず歩き続ける、そんな自分でありたいものです。』



Posted by mister_kei0918 at 12:56│Comments(0)
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